20匹目:お誘いの薔薇とプリンアラモード 4
どこかで時間を作って書き溜めをしたい
これまた珍しくルシアンから呼び出されたジェマは、放課後寮へ戻る前にあの湖を訪れていた。シリルに1人で行くなと注意されているので、ちゃんとフランツのところへ寄って報告をしてからだ。
ルシアン自体に危険性は感じないけれど、やはりルシアンもリリアンに狙われている1人だということでフランツがこっそり付いてきている。幼いころ、初めて1人でおつかいに行ったときにバレバレの尾行をしていた父を思い出して、ジェマの尻尾はご機嫌に揺れた。
冷たい風が長いスカートをひらめかせ、ジェマはもこもこのマフラーを引き上げた。
サマンサたちがくれた手袋は、薄手なのにとても暖かくて手触りも素晴らしい。値段を考えると怖くなるのでどんな素材なのかも聞いていないが、もう他のものは使う気すら起きないくらいに気持ち良くてぽかぽかする。
お揃いの帽子も貰ったのだが、校則で帽子は禁止されている。風が吹くたびに耳を折りたたみながら、ジェマはのほほんと歩いていた。
「んぇ…………?」
そんな呑気だった少し前の自分のことを少し恨みたい。差し出された薔薇をじっと見つめ、変な汗のせいで気持ち悪くなってきた手をぎゅっと握りしめた。
学園の建国パーティーはパートナー選びが難しい。
他のパーティーではクラスメイトや憧れの人などを気軽に誘うこともできるが、建国祭と卒業式後のプロムだけはそうもいかない。建国祭の参加者はほとんどが生徒だけなのだが、男女で一緒に参加するなら公式な婚約者か本気で交際している相手と、という暗黙の了解がある。それは建国祭と同時に結婚式を行ったかつての国王に敬意を払うという意味があるからだとか、この湖に曰くが付いたのが建国祭の日だったからだとか、それらしい説が数多くある。
不貞相手と一緒に建国祭に参加しようとした彼が、その邪魔をした婚約者を突き落としただとか。
そしてそのパートナーの申し込みに使われるのが、自分の髪や瞳の色に変えた1輪の薔薇だ。
ルシアンの髪と同じ柔らかそうな白い花弁にをぼんやりと眺めた。先日錬金術の授業で習った花を染める方法から、これまでに聞いた湖の噂、リリアンを中心としたトラブルの話などが、次々と脳裏に浮かんでは消えていく。
建国祭へ誘うということは、貴族にとっては婚約の申し込みと同義だ。侯爵令息のルシアンがそんなことを理解していないはずがない。
少し視線をずらせば、青みがかった灰銀色の瞳が真っすぐにジェマを見つめている。普段は可愛くに全振りして殊更にあざとく振舞っているルシアンが、きゅっと口を結んで真剣な顔をしている。
ジェマの耳と尻尾が、へにょんと情けなく垂れ下がった。
「僕、本気なんだけど」
「それは見ればわかる……」
「じゃあなんなの、その耳と尻尾は」
困っているのだ。久しぶりにこみ上げてきた涙を堪えながら、ジェマは握りしめる手にさらに力を籠める。
「…………ごめん。わたしそれは考えたこともなかった」
見開かれた銀の瞳にとてつもない罪悪感が湧き出る。みるみるとルシアンの顔がぼやけていき、ジェマの頬を熱い何かが伝っていく。
別に泣くようなことではないというのに。気持ちも思考もぐちゃぐちゃになって何も答えが出ない。
慌てたルシアンが薔薇を仕舞い、泣き出したジェマのためにとハンカチを取り出す。それにまた涙が溢れた。
「な、なんでジェマが泣くの。僕がフ
「ひっく。だってぇ。そん、そんなのまだ、ちゃんと考えたことないもんわかんないよぉ」
「だからって、ジェマが泣かなくったってっ」
ハンカチを握りしめたルシアンの手が、ジェマの顔の周りをふらふらと動き回る。柔らかい手袋で乱暴に目元を擦ってから、この手袋がとても高価なものだったとどうでも良いことを思い出す。
確かにリリアンはずっとヒロインがジェマだと言い続けていた。そしてルシアンたちは本来ジェマと恋愛をする予定だったのだと。
けれどルシアンとの仲はあんな低俗なものではないと思っていた。ただ気が合うから親しくしていただけで、リリアンの言う通りの関係になんて絶対にならないとどこかで思っていた。もちろん恋愛を否定するつもりはない。けれどリリアンの語る恋愛物語に出てくるジェマのようにはならないと、なんとなく恋愛問題を避けていたことに今気が付いた。
目の前にいるルシアンが、ジェマがヒロインだから好きになったとは思えない。
なぜだろうか。
ルシアンのことは友人として好きなままなのに、ジェマを好きだと言ってくれたルシアンに言い知れない嫌悪感を抱いてしまった。
濡れて冷たい睫毛をぱちぱちと動かして、そろりとルシアンの顔を窺う。おろおろと情けなく顔を歪めたルシアンはいつものルシアンで、追加の涙がぼろぼろと零れた。
「なんでそんなに泣くの? 僕のこと嫌いになった? ま、また美味しいお菓子買ってくるから、ね?」
「ひぅ。ご、ごめんねぇ」
「わっ、わかったってばっ。わかったから、もう泣かないでよぉ……っ」
「ふ、ぅにゃぁぁ」
「わぁーんっ。もうどうしたら泣き止んでくれるんだよぉ」
2人してわんわんと泣きわめき、ルシアンのハンカチも気付いたらびしょ濡れになっていた。お気に入りのもこもこマフラーも手触りの良い手袋も気持ち悪いばかりで、ちっとも暖かくない。
そんな立ち尽くして泣く2人の元へ、慌てたような足音が近づいて来た。しゃくりをあげながら顔を向けると、すっかり存在を忘れていたフランツが目を丸くして両手にタオルを持っている。
「ど、どうした!? 何がどうしてこうなったんだ!?」
「だってぇ! ジェマが泣き止まなくてぇっ」
「ぜんぶりりあんがわるいのぉっ」
「わかったわかった! わかったからとりあえず落ち着けおちびども!! 寒いからカフェテリア行くぞ! ほら泣き止め!」
ジェマとルシアンの頭にそれぞれタオルを被せて、乱暴に2人の顔を拭いながらフランツが声を荒げた。「さっきまで微笑ましかったのに」と呟いた低い声には気が付かなかったフリをして、フランツの白衣に抱き着いた。




