16匹目:叶わぬ初恋にほろ苦いオランジェットと余計なアドバイスを添えて 8
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手を伸ばした先にあったお菓子の皿がすすすと遠のき、ジェマは下手くそな舌打ちを零した。もう何をしてもツボに入ってしまうらしいクリスティーナがころころと笑い、シェリーがジェマの肩に腕を回す。
「ジェマって最高に馬鹿よね! そういうとこ大好きよ!」
「もうシェリー! 褒めることじゃないでしょ! どうしてあなたたちはそう好戦的なのよ。絶対に殴る以外に方法があるでしょ」
「いやぁ……」
「ないわよねぇ」
「パッと思いつかないのが問題なのよね……」
「あらあら」
「全員そのスタンスなの!? わたくしがおかしいの!?」
クロエの背中をぽんぽんと摩り、遠ざけられた焼き菓子の皿を取り戻してクッキーを食む。
このメンバーの中で、クロエだけがリリアンの騒動に関わっていない。
クロエは、リリアン物語に登場させられているジェマの話を聞くことで間接的に関わっているだけで、実はリリアンとの接点はまったくない。挨拶すらしたことがないくらいの関係しかないので、そもそも話したことがない。
なのでクロエだけがまだ会話をすることを諦められていない。もう諦めきった顔のアンジェリカと殴る気満々のシェリーの顔を見て、小さく「噓でしょ」と呟いた。
「あ、シリル様はわたしに否がないように持っていけるなら1発くらいは引っぱたいても良いって」
「あなたもう許可貰ってきてるの!?」
「じゃあ私怨にアンジェリカ様を巻き込んだだけじゃない。あぁだから猫の悪戯なのね」
「バレた」
「うふふ。可愛い悪戯ねぇ」
「可愛いかしら……」
初めからずっと関係のないクリスティーナは完全に他人事である。ころころと笑っているが、ジェマ自身も「大公令息をぶん殴れ」は可愛くないと思う。
完全に出遅れたクロエ、後ろから笑っているだけのクリスティーナ、ちょっといいかもとは思っているけれどそこまで振り切れていないアンジェリカ、覚悟どころか後々の責任の擦り付け方法まで計画を立て始めているジェマとシェリー。
ピンクで統一された可愛いお茶会に美少女が5人も揃って、議題は『学友を殴るか殴らないか』。
もうこのカオスな空間が楽しくなってしまったジェマは、別にどっちでもよくなってしまった。
ドーナツを頬張りながらゆらゆらと揺れる。左右からため息が聞こえ、前からは楽しそうな笑い声が響く。
「いやぁわたしもとうとうちゃんとお茶会開いちゃったなぁ」
「全然違うわよおばか!」
「始めた本人が一抜けするんじゃないわよ」
両隣から頬を引っ張られて、またクリスティーナが噴き出した。
一瞬にして興味を失ったジェマだったが、両腕をがっちりと捕まえられては呑気にお茶を飲むことすらできない。まるで餌を前に待てをさせられてる猫になった気分で、ため息を吐きながら尻尾を垂らした。
「んー……。まぁやるとしたら会場はここだよね。あんまり目立つとアンジェリカ様の立場とかもあるし。あれかな。それこそわたしがお茶会でも開くかな」
きっとエリオットを公衆の面前で殴る許可は下りない。リリアンを引っぱたくのも、一応ジェマは平民でリリアンは貴族令嬢。殴る側の今後も考えると、やはり人払いの必要性すらないここでドッキリパーティーに嵌めるのが良いだろう。
もう出会い頭にいきなりぶん殴ってもたぶんシリルがなんとかしてくれるだろうと思えるほどリリアン物語に引いてはいたが、その後の説教が大変なことになりそうなので実行はしないつもりだ。今のところはそこまで情熱的な恨みもないので、いつかざまあみろと嗤ってやれれば十分である。
「でもそれだとやっぱりアシュダートン伯爵家にも参加者の家にも、きちんと連絡を入れて置くべきね」
「もしものときに備えて男手もいるわ」
いくら体格差も魔法でカバーできると言っても、エリオットは実は出来損ないと言われるほどには間抜けではない。今年はリリアンのせいで成績が落ちたらしいが、それでも卒業はできる程度の成績は維持できているのだ。
高位貴族にはあるあるの護身術や武術も、実践で使えるくらいに優秀だと聞いたことがある。アンジェリカには武器を持たせても良い気がしてきた。
しかし普通に成績表に秀が貰えるエリオットを出来損ないとまで落とすほど優秀すぎるのがアンジェリカだ。たぶん殴り合いの喧嘩をしても勝てる。やっぱりパーでいかせよう。
うむうむとジェマは深く頷いた。
「んじゃぁベルノルト様にも協力してもらいましょう。彼もリリアン・ランズベリーの被害者その3くらいだし」
「あら。でも彼はランズベリー嬢と親しくしているのでしょう?」
「んーん。ただアレが鍛錬場にいるベルノルト様のとこに通ってるだけらしいですよ。本人は迷惑してました」
「そういえば悲恋の騎士の噂もやっぱりランズベリー嬢の流したデマだったそうですしね。あの方が関わると噂が錯綜しますわよね」
ベルノルトはアンジェリカとリリアン両方との噂が立っていたのだったか。すっかり忘れていたジェマだったが、シェリーたちの反応から察するに元々信憑性が薄かったようだ。
噂を楽しむのと本気で噂を信じ込んでしまうのとは訳が違う。優秀なレディたちは、噂話を嗜みつつ真実を探り情報を収集するのだ。
「やるなら本気でやりましょう。アンジェリカ様、止めるなら今ですよ」
パンと手を打ち鳴らし、ジェマはどこか上の空だったアンジェリカを見つめた。
「……即答はできないわ。今は冷却期間を置くことになったけれど、次はきっと話し合いという何の意味もないお茶会からやり直しでしょう。けれどわたくしのためにもエリオットのためにも、1度きちんとぶつからないとならないのは事実だわ」
でもと言って、アンジェリカは頬に手を添えて首を傾げた。
アンジェリカは考えごとをするときに小指で下唇をなぞる癖がある。そんな何気ない所作でも美しい。鏡の前で真似をしてみたジェマは絶望した。
嫌なことを思い出して、きゅっと寄った眉根に皺ができる。
「……これまでのエリオットの言動を考えると、1発じゃ少ないんじゃないかしら」
「素敵ですわ!!」
「アンジェリカ様!?」
「思い切りやったれ!!」
「こら馬鹿猫!!」




