10匹目:フォンダンショコラに秘めた心 3
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相談は受けられないが話を聞くだけならできるといつものやり取りをして、2人でお茶を飲んで少し落ち着いた。
風は冷たいが、クリスティーナの顔は真っ赤になっている。表情は落ち着いて見えるが、膝掛けを撫でる手が止まらない。
そわそわしているクリスティーナが可愛くて仕方がない。
けれどジェマは、あまり面白そうな顔をしても失礼かもしれない、と表向き「へぇ」みたいな顔をして、もっちもっちとお菓子を頬に詰め込んだ。
「その、わたくしは婚約者はある程度自由にしていいと言われているの。それで、その、す、すきな方ができて、母に報告する前に、そ、その、こ、こくはく、しようかと、思って」
視線をあちこちに彷徨わせていたクリスティーナは、ほっぺがぱんぱんになったジェマを見つけて固まっていた肩からすっと力を抜いた。
若干笑われているような気がしなくもないが、リラックスできたのならばまあ良いだろう。うむうむと頷きながら、ジェマは緩みそうな口元を隠した。
「えぇとね。それでわたくし、その、お慕いしている方とお約束しようと思って、会いに行ったのだけれど。……先にあの方がいらしたの」
ジェマはなんとなく嫌な予感がして、ごくりとお菓子を飲み込んだ。
「ランズベリー男爵令嬢って、あなたのお友だちなのでしょう? その、彼女はエリオット様や他の方とも親しいと聞いたのだけれど、き、キンバリー先生も、ランズベリー嬢のことが、お、お好きなの、かしら」
(いやまたあの女案件かよ)
ジェマはぺたんと耳を下げた。もはや怒りすら湧かない。ただただ残念な気持ちだ。さっきまですごく美味しかった安いお菓子も途端に味気なく思えた。
紅茶で流し込んで、しょんぼりと眉も下げた。
ジェマがリリアンとお友だちだと認識されてしまっているのは、リリアンが『ヒロインの好感度上げがうまくいっている』と思い込んでいて、ジェマとお友だちだと言いふらしているからだ。直接尋ねられれば否定しているが、別に違うと言って回るほどのことでもない――と思っていた。
うっかり「知らねぇよ」と言いそうになって、もう一口紅茶を飲み込んだ。
「あー……。ランズベリー嬢とは友達ではないので、彼女の方の気持ちは知りませんが、フランツ先生はよく透水花の様子を見に来ているので話しますよ」
「え……?」
フランツ・キンバリー。錬金術の講師で、リリアンの話にたまに出てくる『攻略対象』とやらの1人だ。
詳細な年齢は知らないが、シリルと同時期に学園に在籍していたらしいと聞いたので、おそらくジェマより10歳前後年上の25歳くらい。何やら錬金術の研究で成果を上げて男爵位を授かった元平民。
その研究に透水花が必要らしく、この湖にもよく顔を出している。
実はこの湖を見つけた日にすでに出会っているので、リリアンの話に出てきた中ではシリルの次に付き合いが長い。
ジェマは【幸運の猫ちゃん】の話が出回りだしてからちゃっかり愚痴を吐きに来るようになったちょっとダメな大人の姿を思い出して、内心でため息を吐いた。
「ランズベリー嬢のことは『ダメな生徒』って感じで話してましたけど、さすがに入学以来ずっと補習の常連だと迷惑しているみたいですね。ぶっちゃけ治癒科で毎回補習を受ける生徒なんていないらしいですよ。そもそも治癒科でフランツ先生の講義を受けるには必修じゃない講義を自分で選ばなきゃいけないのに、毎回補習なんて印象悪くもなりますよね。というかまず、フランツ先生は生徒を恋愛対象として見るような人じゃないと、思い、ます……」
「そ、う、よね……」
なんでも素直に言えば良いというものじゃない。
クリスティーナの潤んだ瞳と震えた声に、ジェマは自分が投げやりすぎる態度を取ったことを反省した。クリスティーナには何の恨みもないのに、ちょっとだけ八つ当たりをしてしまった。
これまで【幸運の猫ちゃん】なんて呼ばれるほど成功していたのは、ひとえにジェマがずっと黙っていたからである。
ジェマも一通りの淑女教育は受けた。けれどやはり貴族令嬢になれたわけではないし、なろうとも思っていないのでそういう勉強はしていない。それを自覚していたからこそ、余計なことを言わないように黙っていた。
でもクリスティーナはごく普通の恋愛相談だったので、思いがけず気を抜いてしまった。
泣かないでくれと願いながら、慌てて捕捉する。
「いや、あのごめんなさい。そうじゃなくてですね。あの、例え恋愛関係になったとしても『好きだから補習に呼ぶ』とかそういうことはしないって意味で。というか普通によく補習に呼ばれているから仲良しってわけでもないので……」
反応のないクリスティーナに不安になる。ぴったりと腰に巻き付いた尻尾を撫でながら、ちらちらとクリスティーナの顔色を窺う。
「え、えっとね。あと、ランズベリー嬢ね、勉強ができないわけじゃなくて、フランツ先生に会いたいって補習受けてるかもしれなくて。それもちょっとバレてるというか、あんまり心象良くないみたいというか。あとまだ15歳だし、完全に子どもにしか見られてないみたいというか。だからその、今年20歳でもうすぐ卒業のクリスティーナ様とはちょっと条件が違うというか。だからね、あのっ」
「ん、ふ、ふふ。うふふっ」
くふくふと可愛らしい笑い声が返ってきて、ジェマはぽかんと口を開けたまま固まった。両手で口元を隠したクリスティーナのネイルがとても綺麗だなと、関係のないことを考えてしまうくらい面食らった。
クリスティーナは滲んだ涙をそっと拭って、まだ笑いの残る声で「大丈夫よ」と微笑んだ。
「そんな、いたずらが見つかった猫ちゃんみたいに慌てなくても大丈夫よ。わたくしも驚いてすぐに踵を返してしまったし、もう少し話を聞いて来れば良かったと今後悔しているわ」
「えっと、それなら、良かったです……。でもごめんなさい」
「ふふ。本当に良いのよ、ありがとう」
ふわふわと髪を揺らして微笑むクリスティーナが女神に見えた。フランツの女性の好みは知らないが、これを見れば誰でもドキッとするに違いない。
「わたしはした」と謎の自信を胸に、ジェマはクリスティーナを拝んだ。