2匹目:手作りクッキーを踏み割られたらしいが自業自得だと思う
書き直して2話目です。よろしくお願いいたします!
マグワイア魔導学園。
国内一歴史の古いこの魔導学園は、魔導に関することなら幅広く学べる最高峰の学習機関である。けれどその性質上、保有魔力量の多い生徒が多く、ゆえに貴族や貴族の血を引くものが多かった。
平民にも貴族並みに多い魔力量を有する者もいるが、常に多い魔力量を維持し続けている貴族ほどではなく、『先祖返り』や『突然変異』などと言われるほど数は少ない。
ジェマは小さな田舎町生まれの平民だが、下手な貴族以上の魔力量を有していた。お小遣い稼ぎに作り始めた魔力結晶がとある貴族の目に留まり、学費を援助して貰うことになって王都まで出てきた。
そんなジェマにとって、貴族の多い学園内は少々息苦しくなることも多い。どこにいてもそれなり以上の礼儀作法を求められる空間から逃げるように学内をふらふらしていたとき、偶然この小さな湖を見つけた。
人気もなく、景色も日当たりも良いこの場所をすぐに気に入った。それ以来、ジェマは午後の選択授業の合間に、よくこの湖を訪れ1人でのんびりしている。
爽やかな秋の昼下がり。
今日もジェマは1人で貰い物のお茶とおやつを楽しんでいた。
「私エリオットたちのために一生懸命クッキー作ったのに! わざわざ叩き落して踏ん付けるなんてあんまりだわ……!」
そう、1人で楽しんでいたはずだった。このめそめそと嘆く令嬢がやってくるまでは。
ジェマはふかふかの芝生に絨毯を敷き、お気に入りの猫耳付き巨大クッションに身体を預けてだらだらしていた。礼儀作法の講師に見つかったらこっぴどく叱られるに違いない。しかし勝手にやってきて勝手に話し出した彼女のせいで台無しになってしまった。
「だってエリオットが、私が作ったクッキーを食べてみたいって言ってくれたんだもの。だから作って来たのに……! エリオットが好きだからってそんなひどい意地悪をしなくたっていいじゃないっ」
ぽろぽろとわざとらしいほどに小綺麗に泣きながら、令嬢はちらちらとジェマの方を見上げてくる。身長も体格もほとんど変わらないのだから見上げるも何もないのだが、彼女はいつもこうして見上げてくる。
その腹が立つほどのあざとさに、ジェマはイライラと芝生に尻尾を叩きつけた。
ふわふわと跳ねる撫子色の髪に、くりっとした淡い碧色の瞳で、低身長な猫獣人のジェマ。
明るくて綺麗に巻かれた桃色の髪と、夏の空のように明るい青色の瞳の小人の令嬢。
なんとなくジェマと特徴が似ているこの令嬢の名前は、リリアン・ランズベリー。今学園内を騒がせている元凶とも言える男爵令嬢であり、ジェマの大嫌いな人だった。
学園に入る数か月前までは平民だったという彼女は、
『貴族のルールってまだ難しくて……』
と、作法の方はそれなりに覚えているのに、礼儀の方は身に着ける気概が感じられないと評判の問題児である。
甘いミルクティーでため息を呑みこみ、猫型のジャムサンドクッキーを齧る。
この猫クッキーは、リリアンではない別の令嬢から貰った物。ジェマの前には割れたクッキーも置かれているが、それには一切手を付けていない。
踏まれたとは言うものの、そのクッキーは粉々というほどボロボロではなかった。しかし欠けているものが多く、プレゼントするには不向きだと一目でわかる。
(だからってどうして踏み割られたクッキーをわたしに食べさせようとしてるんだろ。供養ってこと? 包みの上からでも土足で踏んだんでしょ? わたしもそんなものは食わんぞ……?)
リリアンは話の合間にわざとらしく咳ばらいをしたり、自作のクッキーをジェマの方へ押し出したりしていたが、ジェマはしれっとそれらを無視していた。リリアンがジェマの目の前に座ってからたっぷり30分は経っているが、まだお茶の1杯も出していない。
けれどリリアンはお構いなしに喋り倒している。とても鬱陶しい。
「アンジェリカ様は手作りのものなんてプレゼントしてくれたことがないんですって。だから私がお菓子作りが趣味って言ったらいいな、羨ましいなって。すごく寂しそうだったの!だから私はエリオットに作ってあげたくて……。それなのにどうしてあんなに責め立てられなきゃいけないの?」
(そりゃまぁ、人様の婚約者に手作りクッキーなんて渡そうとしたら怒られるに決まってるでしょ)
べぇっと舌を出したくなる気持ちを抑えて、自分のバスケットから取り出したカップケーキにかぶりついた。
リリアンが呼び捨てにしている“エリオット”は王弟の次男で、ランプリング公爵令嬢アンジェリカの婚約者。しかもエリオットの方が婿入りする予定と聞いた。倫理的にも法的にも、アンジェリカは側室を娶ることができるが、エリオットは妾を持つことすらよろしくない。
そんなエリオットと親しくして、あまつさえ大公家の子息に男爵令嬢の手作りクッキーを渡そうとしたのだ。踏みつぶすのはやりすぎだとしても、渡すことすら許されなくても仕方のないことだと、なぜ理解できないのだろうか。
平民のジェマがわかっていることを、この男爵令嬢はわかっていない。
表向き礼儀作法は身に付いていても、根本的なところで頭がおかしいと言われる所以である。
アンジェリカはその清廉な性根を表すかのような真っすぐで艶やかな黒髪に、キリっと吊り上がった涼やかな金の瞳を持つ、すらっとした高身長美人だ。真面目な努力家で、その凛とした姿はとてもかっこいい。
女性が憧れる女性の見本とも言えるアンジェリカは、同年代の男性からは少々敬遠されている。
その中に婚約者までも入ってしまっていることは残念だが、当てつけのように正反対なリリアンと親しくしてみせるのは、性格と趣味が悪いとジェマは思っている。
「ねぇ、あなたもそう思うでしょ?」
全く思わない。ジェマは心の中で返答した。
潤んだ瞳で首を傾げるリリアンの見た目は確かに可愛い。
けれど、なぜかまるで自分が1番とでも思っているかのような高慢なその態度は、これっぽっちも可愛くない。
「ひどいわよね。文句があるなら口で言えばいいのに、叩き落して踏みつぶすなんて!」
「もぐ……んぐ……」
小動物のようにほっぺにぱんぱんになるまでカップケーキを詰め込んでいたジェマは、こっくりと頷いた。
あの完璧令嬢アンジェリカが、今更嫉妬心で食べ物を踏むなんて真似をするとは思えなかった。しかし実際にボロボロに割られたクッキーが目の前にある。それ自体はジェマも酷いと思った。おそらく誰かに踏まれたことは本当なのだろう、と当たりをつける。
リリアンはわざと自作自演しなければならないほど、悲劇に困ってはいない。
カップケーキ美味しいなぁとぼんやり現実逃避しながら、リリアンの後ろで煌めく湖面を眺めた。
髪に入り込む風が心地よいというのに。
めそめそぷんぷんと泣いたり怒ったりたまに媚びたり、忙しなくうるさいリリアンがとても邪魔だった。
同じ話が繰り返され始め、次の授業もあるしと腰を浮かしかけたところでハッと気が付く。
(まさか、これが手土産のつもりだったのか……!?)
ほっぺにぱんぱんにカップケーキを詰め込みながら、バッと自称アンジェリカに踏み割られたボロボロクッキーを見下ろす。そんなジェマを見て、リリアンは愚痴を吐きつつも嬉々としてクッキーを押し出してくる。
「――それでね、アンジェリカ様が取り巻きに泥棒猫なんて言わせたのよ。そもそもアンジェリカ様がエリオットに冷たくするからいけないのに。自分が愛してもらえないのを全部私のせいにして罵倒するなんて……っ」
「噓でしょ……やって良いことと悪いことがあるじゃん……」
「ねっ。あなたもそう思うでしょ?」
愕然とするジェマに勘違いを暴走させ、リリアンは嬉しそうに、どれだけアンジェリカが冷酷で非道かを切々と語り始めた。
なんだかどっと疲れてしまった。のんびり休憩していたはずなのに、とんだ精神的苦痛を味合わされた。ちょっとした好奇心で「流行りの話題だから」と耳を貸さなければ良かった。
向かいに座るリリアンにも聞こえないちいさなため息を零した。それを誤魔化すようにすっくと立ち上がる。
「ごちそうさまでした」
「え、ちょっと。もう少し話を……あ、あの、あ! クッキー! 踏まれたけどちゃんと包んであったから綺麗だから!」
初めて直接的に勧められたことで嫌悪感がいや増した。誰かが踏んだクッキーなんて、他人に勧めて食わせるものではないのに。
この自己中心的なところがとても苦手だ。
ジェマはなぜか必死になってクッキーを食べさせようとしてくるリリアンを躱し、テキパキと片付けを済ませた。
「次の時間は講義がありますので、失礼いたします」
「そんな酷いわ! あなたも意地悪するのね……!」
「絨毯を仕舞いますので、ご起立くださいませ」
「ひどい……」
まったく聞き耳を持たずに絨毯を引っぺがし、まだめそめそと泣き続けるリリアンに背を向けた。
リリアン視点の話は情報収集という意味では予想外に役に立たなかったが、リリアンたちの過失が大きいのだろうということは確定だ。
この主役気取りのお花畑女は、他人をなんとも思っていないのだろう。
リリアンが来るまでは穏やかな時間だったというのに。
とても不愉快だ。
「百歩譲って割れててもいいから、踏まれてないものを持ってこいよ……!」
歩き出すとすぐに聞こえなくなったすすり泣きに、更にイライラが募った。
ふんふんっと鼻息荒く尻尾を振りながら、ジェマは飴玉を1つ口に放り込んだ。
【魔力結晶】
形のない魔力を物質化して固定した石。
地球で言う電池のようなもので、魔力を引き出したりため込んだりする性質を持つ。補充もできるが、人によって魔力の質が異なるため誰でも魔力を補充できるわけではなく、質の低いものは使い捨てにされることも多い。
質の良いものはかなりの高額で取引されており、魔力結晶作りで生計を立てている人もいる。