9匹目:ミルクチョコが好きなのは誰? 3
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こんなに寒いのに本当に茶の一杯も出さないのかと文句を垂れるエリオットを追い出したあと、ジェマは1人分のお茶を入れ直して居座っていた。
雨脚は弱まったが、少し風が出てきたので東屋にも雨が降り込んでくる。風邪を引かないうちに戻るべきだとはわかっているのだが、イライラしたままで戻る気にはなれなかった。
ブランケットを頭まで被り、ホットミルクにたっぷりと蜂蜜を入れてほっと息を吐いた。
「いや、アンジェリカ様ってあれが好きだったの?」
馬鹿な子ほど可愛いというあれだろうか。
少なくとも顔とスタイルと家柄は良いし、おそらく大量の持参金も付いてくるが『アレ』はない。
婚約者は子どもから貰ったものなら何でも喜んでくれる親とは違うのだ。
例えアンジェリカがエリオットにベタ惚れしていたとしても、いつまで経っても好きなものの1つも覚えてくれない婚約者に不満を言って何が悪い。ましてや別の女が好きだと言ったものを買って、それが丸わかりなラッピングをして。むしろなぜ喜ばれると思ったのだ。
よくよく思い返してみれば、アンジェリカはエリオットのことが好きだったとか慕っているという言い方はしていなかった気もするが、泣くまでアレに傷つけられたのは事実だ。
「いやアレに? 怒りの方が先では??」
――いやそうか、アンジェリカは怒れなかったから泣いたのか。
すとんと納得して、エリオットへの怒りも飛び去った。
アンジェリカはなんて可愛い人なのか。婚約者にずっと嫌われ続け、ご機嫌取りのプレゼントすら別の女の好みを押し付けられ、それでも怒れず悲しむだけとは。
吹っ切れて冷却期間を置くことになって、一言でも言い返すことができたのは大きな前進ではないだろうか。
ジェマが「置いていってもいい」と言っただけで勝手に話を始めたお馬鹿さんのことだ。きっとあのチョコレートを受け取っていたら、エリオットはアンジェリカに不貞行為を許されたと自分勝手に解釈したことだろう。
「うわぁ。アレと結婚させられんの? 可哀想すぎる……」
甘ったるくしたはずのホットミルクがほろ苦い気がする。
ジェマ用ではなくリリアン用にピンクと水色のリボンでラッピングされた箱を眺めながら、はぁっと大きくため息を吐いた。
「あらやだジェマちゃん、大丈夫? 体調が悪いのかしら」
「あー、これは精神的に頭が上がらないだけなのでぇ……お気になさらずぅ……」
優しく背を撫でてくれる手にするりと尻尾を滑らせた。
そっと見上げると眉を下げた友人がいた。ふわりと風に靡くダークチェリーのような深い臙脂色の髪が美しい。心配してくれている気持ちが紫の瞳にありありと現れている。
さすがに申し訳なくなって、ジェマは体を起こした。
「本当に大丈夫? 寒いし雨も降り込んできているじゃない。カフェテリアかどこかに移動した方が良いのではないの?」
「体調は大丈夫です、本当に。次の時間は講義あるのでもうすぐ戻りますし。ありがとうございます、シェリー」
「それなら良かったわ」
2人でほのほのと笑い合う。先ほどまでのささくれた気持ちがすぅっと無くなっていくようで、優しい友人に心から感謝した。
「シェリーも何か用事があったんじゃないんですか? 何か飲みます?」
「あぁ、今日は特に用事があったわけじゃないのよ。ただすれ違ったレッドグレーヴ大公令息が『猫が役に立たなかった』とかなんとか呟いていらっしゃったから気になって……」
うわぁと顔を顰めて尻尾を逆立てたジェマを見て、シェリーはなんとなく事情を察したようだった。諦観を湛えた顔で頷き、そっとクッキーを分けてくれた。
「クッキー」
シェリーとクッキーの組み合わせに、ジェマの顔からすんっと表情が消えた。友人の戸惑う声が聞こえて、慌てて取り繕う。
リリアンがエリオットのために作ったクッキーをアンジェリカが踏んだとか踏まなかったとかというくだらない事件のとき、初めにリリアンに注意をしてあげた真面目な白花会員。それが今隣に座ったシェリー・コールリッジだった。
リリアンと同じクラスで、以前からリリアンの問題行動についてよく相談しに来ている1番の常連でもある。
正直なところ、あまり頻繁に来られて迷惑だと思うこともある。シェリー本人は好きだが、話の内容が内容なだけに聞きたくない気持ちもあるのだ。けれどリリアンの問題行動を逐一教えてくれるので、情報収集という観点からすればむしろお金を払いたいくらいだった。
クラス委員長としてもリリアンにしつこく注意をせざるを得ない立場にいるシェリーは、そのせいでかなり気が強いじゃじゃ馬娘と思われてしまっている。しかし本人は優しく真面目で、友人想いのとても素敵な女の子だ。
リリアンのせいでシェリーの婚期が遅れているかもしれないと思うとさらに怒りが増すが、アンジェリカとの伝手もしっかりできたようなのでその心配は無用かもしれない。難しいところだ。
「さっきまで噂の王子様が来ていたので、思わずあのお花畑のことを思い出しちゃいましたよ。クッキーを見てびっくりしちゃった」
「あら。うふふ、ごめんなさい。あの事件のことね?」
こくこくと頷きながら、小さなお鍋でミルクを温め始めた。隣から「ミルクティーがいいわ」とリクエストが入り、茶葉も追加する。
「やっぱりあの方がいらしてたのね。大丈夫だった?」
「ん。まぁ大丈夫だったんですけど……。これどう思います?」
視線で先ほどエリオットが置いていったチョコレートの箱を示した。
しかしリリアンと特徴の似ているジェマを目の前にしていれば、何も違和感を覚えないらしい。ジェマもリリアンも、大雑把に見れば2人ともピンク色の髪に水色系の瞳なので。
シェリーはそっと首を傾げただけだった。
「これ、ランズベリー嬢がお好きなんだそうですよ」
「え? これあなたの色ではないの?」
やっぱり驚くことだよなと思いつつ、ミルクティーを注ぐ。
甘いホットミルクティーを1口含んだあと、
「…………それは、わたくしが聞いて良かったのかしら」
シェリーは真顔で呟いた。
ジェマはうっかり余計なことを聞かせてしまったことを詫びた。