25匹目:チーズケーキはあんまり好きじゃない 11
ちょっと遅れたけどちょっと長めです。昨日の3倍あります。
「うるさい! ヒロインをやめるって言ってんの! 返す!! それならもうあたしには関係ないでしょ!? もうほっといてよ!!」
現実とゲームが違うことなんてわかっている。それがわからないほど馬鹿ではない。けれどそれでも夢中になって夢を見てしまえるほど、現実はリリアンに都合良く進んでいたはずだったのに。
「だからほっといてってば!!」
伸ばされたアンジェリカの手をいやいやと頭を振って躱して、リリアンは叫んだ。
美人だけれどキツくて近寄り難い見た目だったアンジェリカは、気付けば流行りのゆるふわ系女子になっていて、ゲームであれだけイライラさせられた正義ちゃんはすっかりなりを潜めていた。
それなのに、今のアンジェリカはどうだ。これまでリリアンが順調に攻略が進んでいると思っていたときには大人しくしたくせに、バッドエンドを迎えた途端にあのリリアンが大嫌いな馬鹿真面目な優等生に戻った。
天才的な嫌がらせだ。どれだけリリアンのことを恨んでいれば、ここまで追い詰めるような真似ができるのだろう。
それなのに、もう興味がなくなったとでも言わんばかりに席に戻ってお菓子まで食べ始めたジェマに、憎しみにも似た怒りが沸き起こる。
それほどまでにヒロインでいたかったのならリリアンが声をかけたそのときに嫌だと言えば良かったのだ。しかもリリアンはその後も自らジェマの元へ足を運び、どこまで攻略が進んでいるのかを報告し続けた。つまりジェマはリリアンの状況をずっと理解していたということだ。
これまでに何度もリリアンを止められる機会はあったし、ヒロインを返してほしいと頼むことだってできたはず。
ジェマは何も言わなかったーーという以前にろくに返事すらしなかったではないか。
「そんな風に癇癪を起こしてしまうと、いくらわたくしたちが懇願しても学園には残れないわ。これまでの言動も踏まえると厳重注意だけでは済まなくなってしまう。お願いだから少し落ち着いてちょうだい」
「うるさいな!! だからもういいの!! どうせあたしには何も残ってないんだから!!」
1番うまくいっていると思っていたエリオットでさえこれなのだ。どうせジェマに夢中なルシアンも、ずっと困ったような顔をして補習をしていたフランツも、きっちりとした態度しか見せなかったベルノルトも、今日初めて会えたシリルも、どのルートもうまくいっているはずがない。
エリオットと親しくなるにつれ増えていった友だちが残るとも思えないし、冗談抜きで授業にはついていけていない。
異世界転生で爆上げされたテンションで乗り切れたのは受験勉強までだったのだ。ヒロインと同じ特進科に入れなかったどころの話ではなかった。ランクを落とした治癒科ですら落第ギリギリを維持するので精一杯。フランツを攻略するにはさっさと補習から抜け出さなければならなかったのに、小手先の努力ではどうにもならなかった。
どれだけ努力して可愛くなろうと天然美少女の人気には適わないし、貴族らしい振る舞いはいつまで経っても慣れやしない。
もうこんな学園辞めてやる。本気でそう思ったときだった。
パシンと軽い音がして、痛いくらいの静寂が鳴った。そしてじわじわと熱を持ち始めた頬に、困った顔のアンジェリカの手が添えられた。
細くて柔らかくて少し冷たいその手がふわりと冷気を纏い、痛み出した頬を冷やした。
「……は?」
なぜ悪役令嬢がそんなことを。
悪役令嬢の役割はヒロインを虐げることではない。ヒロインをハッピーエンドへ導くための先生であり踏み台だ。
ヒロインが悪役令嬢と遭遇するだけで教養のステータスが上がるくらいに、口うるさくヒロインを指導し続ける。たとえバッドエンドを迎えたとしても、公爵令嬢の厳しすぎる指導のおかげでなんとか退学処分は保留にしてもらえるのだ。
けれどそれは決して虐められるわけではない。そうとも捉えられる厳しい指導というわけでもない。
彼女は正しいことしか言わないのだ。
そう、悪役令嬢は真っ直ぐすぎるほど正しい面倒くさいキャラのはずなのに。
「アンジェリカがぶった……」
理解が追いつかなくて呆然と呟いた。エリオットがアンジェリカを選んだこと以上に予想外かもしれない。「目上の相手を呼び捨てにするのはやめなさい」なんて眉を顰めているアンジェリカを見つめ返した。
攻略対象は所詮攻略対象だ。ハッピーエンドがあればバッドエンドもある。グッドエンドでは恋は実るが結婚には至らず学生時代の良い思い出として終わってしまう。
本物のヒロインでさえそうなのだ。攻略対象たちに選ばれなかったことについては、納得はしないが理解はできる。
けれど悪役令嬢は違う。誰のどのエンドを目指しても必ず出てきてヒロインに構い倒す。お手本であり、貴族令嬢ならば目指すべき目標、清廉潔白な優等生。それがアンジェリカだ。
そんなアンジェリカがヒロインに手をあげるなんて。
「落ち着きなさいと言っています。すべてを投げ捨てたくなる気持ちはわかるけれど、それで解決させるにはあなたはやりすぎました」
エリオットと付き合うことまではまだ良いのだと静かに婚約者が語り、エリオットがまた頼りなく肩を落とす。
「あなたの悪かったところは、わたくしを始め高位貴族相手に不敬を働き続けたこと。わたくしに冤罪をかけ、エリオットと喧嘩になるように仕組んだこと。貴族でありながら階級制度を蔑ろにしたこと。そして周囲を先導してそういうことをしても良いという風潮を作ったこと。あなたがいなくなればそれで良いという話ではありません」
学園を辞めたとしても責任は取らなければならない。あなたが負い切れない分は、あなたの両親が払うことになる。
そう言われた意味が理解できなかった。
アンジェリカは婚約者を奪われそうになったことを怒っているわけではないのか。リリアンはゲームを進めただけなのに、なぜ家族まで巻き込んで怒られなければならないのだろう。なぜ。
リリアンがヒロインではないから?
「なんで? なんであたしばっかり酷い目に合わなきゃいけないの?」
「……あなたの行いのせいなのだから当たり前でしょう」
「なんでジェマは何も怒られないのに、あたしばっかり!!」
「ジェマちゃんは関係な――」
「うるさいうるさい!! なんでよ!! 意味わかんない!!」
意味がわからない。わかりたくもない。どうして自分ばっかり責め立てられなければならないのか。好き放題しているのはみんな同じなのに、なぜその責任のすべてをリリアンが負わなければならないのだ。
本物のヒロインだったならバッドエンドでもこんなことにはならなかったのに。
「ぜんぶ! 全部ジェマが悪いのに! 全部あたしに押し付けて見て見ぬフリすんなよ!!」
「あなた何を言って……」
「いやちゃんと思い出してほしいんだけど、わたしが譲るって言ったわけじゃないしお前が譲ってって言ったわけでもないからね。お前が勝手に『あたしがやるから安心して!』って言い出しただけだから。全部お前の責任だよ。ゲームのせいにするのもいい加減にしろ」
いつの間にか傍に立っていたジェマが冷たい声を放った。何の感情もない瞳に見下ろされて、ひゅっと喉が鳴る。咄嗟に言い返そうと口を開いても言葉は何も出てこない。
自らヒロインを譲ったくせにそんなに恨まなくったって。そう思いながら見つめ返すと、ジェマは不愉快気に眉を顰めた。
「というかゲームって何。意味わかんないはこっちのセリフなんだけど」
ぽかんと口を開けたまま呆然と見上げる。今更何を言っているのかと言い返したいのに、何と言ったら良いのかわからない。
もしジェマがヒロインではなかったら。
リリアンは本当に、ただはしゃいで馬鹿なことをしただけになってしまう。なぜ誰も教えてくれなかったのか。そんなこと知らない。わからない。そんなことがあってたまるか。
リリアンはヒロインじゃない。けれどジェマもヒロインじゃない。
だってここは現実だから。
(……そっか。そういえばホシツカのヒロインの好きなスイーツは)
苺のタルトだった。




