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一通目 『イェニチェリ』

 南東武(みなみとうぶ)大学の理工学部、応用化学生物科の教授神山(かみやま)裕之(ひろゆき)はルーマニア語で書かれた手紙を印刷し、同じ大学内の医学部解剖学科の栄田(さかえだ)(たけし)の元に『歩いて』向かっていた。

 広いキャンパス内は、自転車や車の移動も可能で、理工学部から医学部への距離を歩いて移動するのは、非効率で時間を無駄にしている。

 一時間ほど歩いて、栄田の研究室についた時には、神山の額には珠のような汗が噴き出しては流れ落ちていた。

 シルバーフレームのメガネをはずして、目の周りや額の汗を拭うと、神山の頭の少ない前髪が後ろに撫で付けられた。

 彼の頭は前髪だけでなく、頭部の髪が全体に薄かった。

 栄田はその様子を見て声をかける。

「どうした、そんなに汗をかいて」

「自分の研究室からここまで歩いて来たものだからな」

 次々に噴き出る汗を、ハンドタオルで拭い続けている。

 栄田は研究室の冷蔵庫を開けると、冷やしていた麦茶をコップに注ぎ、机に出した。

「自転車はどうした? 盗まれたか」

 そう言う栄田の髪は、一本一本が黒々して太く、天然のウェーブがかかっていた。

「途中で戻って自転車に乗ればよかったと思ったが、考える時間が欲しかったから、ちょうどよかった」

「なんだ、LINKメッセージで済まないことか?」

「ちょっと古いルーマニア語で書かれている手紙を持ってきたんだ」

 テキスト化出来なかったと言う意味か。それなら画像のまま送ればいいだけだ。栄田はそう思ったが、言わなかった。

「久しぶりに同期のお前と話もしたかったし」

「今や感染症のせいで、様々なものがリモート化しているのに逆らってるじゃないか」

「冷たいな……」

 神山は、ほとんどの場合、こんな風にイジられ役だった。

「なんだよ、話って」

「言語が得意だったよな。さっき言ったルーマニア語の手紙を翻訳して欲しいんだ」

 神山はそっと印刷した紙の束を差し出した。

「アルファベットの機械翻訳があるだろう」

「見ての通りテキスト化が出来てないし、テキスト化されていても俺の言語センスじゃ機械翻訳を使っても無理だろうな」

「そうだろうな」

「おい」

 このへんがやめ時だ、これ以上やるとキレることも知っている。栄田は差し出された紙を受け取った。

「とにかく言葉も言い回しも古いな。宛先は染みで見えない。差し出し人はヴラド三世だって? なんだお前、文学部の歴史科に転科するのか」

「そんな気はサラサラない。この手紙のどこかに書いてある、ある内容を知りたいんだ」

「ごめん、冗談だ。まあ、そんなところだろうな」

 栄田は思い出していた。以前にも神山から手紙を翻訳して金をもらった。その時の内容は、海外に住む異性との電子メールの翻訳だった。

「二週間ぐらいでできるか? 報酬は出す」

「十万」

 神山はスマフォのバーコード決済のアプリを起動して、十万を表示させて見せた。

 金額を見て、バーコード決済アプリは限界の金額があるんじゃなかったろうか、と栄田は引いた。

「本気かよ?」

「ほら、受け取れ」

「ちょっと待った、本当にこれに何が書かれている?」

 確かに古いルーマニア語だが、十万の作業では無いように思えた。

「もう五万ぐらい出すか?」

「とりあえず、もらえるものはもらっておくか」

 栄田はスマフォを出すと、受け取った。

「ありがとう。この手紙に書かれていることがわかれば、俺の考えに確証が持てると思うんだ、それと」

「……」

「他の手紙の翻訳も頼むかもしれない」

 栄田は、抑えるように手のひらを神山に向けて出すと言った。

「悪い、今それを受けるかどうか答えられない。その時、暇なら、受ける」

「構わんよ」

 神山は満足そうに微笑んだ。

 そして、出した麦茶を一気に流し込んだ。

 下らない話を自慢しげに話し始めた。

 ヴラド三世は、ワラキア公国の君主で別名ヴラド・ツェペシュ。串刺し公。または、ヴラド・ドラキュラ。小竜公。と呼ばれる。一般的には二つ目のドラキュラが有名だろうか。魔人ドラキュラのモデルとされている人物だ。

 だが、串刺し公の『串刺し』の逸話が吸血鬼につながる部分がよく分からないという。ヴラドに問題があったのではなく、串刺しにされた相手に問題があったのではないか、と言うのが神山の解釈だった。

 自分の権力を見せつけるためだけに串刺しにしただけではない何かの理由。それは当時のオスマン公国の兵、イェニチェリが連れていた最下層の兵に問題があったからだ。

 神山はヴラド公が出した手紙の中にそのイェニチェリが連れていた兵の秘密が書かれているはずだと考えている。翻訳によりそこをはっきりさせたいようだった。

「そもそもルーマニアの研究者はなんて言っているんだ」

「十五世紀の手紙の内容を真剣に考える研究者はいないのさ」

「……お前はそんな古い時代に何を見出そうとしている?」

 神山は笑った。

 栄田はその笑いに違和感を感じて、寒気を感じた。

「栄田、お前は生まれた時、言葉も喋れなかったのに、親の姿を見て愚かだな、と思ったことを覚えてないか?」

「話が飛躍し過ぎて意味がわからん」

「おそらく、十五世紀も、現代も、起こっている事象は全く変わらないんだ。リンゴは時期がくれば地面に落ちることに違いはないということだ。だが、解釈として重力だ、引力だ、神がそう仕組みを作ったからだ、と理解が違うだけだ」

 言いながら神山は何度もリンゴが落ちるような仕草を手で見せた。

「それと子供が全知全能なのと何がつながる?」

「俺は、一歳にならない頃の記憶がある。言葉という表現が出来なくとも、事実の理解は出来ていたという記憶がな」

「やっぱり、あんまり関係ないと思うが」

 栄田がそう言うと、神山は少し落ち込んだようだった。




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