いとしの千翔先輩 1
上ノ原駅改札、朝、七時五十分。
峯崎高校の制服を着た、男子生徒三人組が現れる。
ひとりは制服のブレザーの下に、ピンク色のパーカーを着ている、金髪の先輩。
もうひとりはヘッドホンを首にかけ、ギターケースを背負っている、茶髪の先輩。
そしてその後ろで、見るからに機嫌悪そうな顔つきでスマホをいじっている、黒髪の先輩。
「おはようございます!」
わたしは朝一番の、晴れ晴れとした声を上げる。
前を歩くふたりの先輩がわたしに気づき、にこっと笑って挨拶をしてくれる。
「おはよー、瞳子ちゃん」
「瞳子ちゃん、今日もかわいいね」
わたしはにっこり微笑んで、「ありがとうございます」と頭を下げてから、もう一度声をだす。
「おはようございます! 千翔先輩!」
その声に顔を上げた後ろのひとり――喜多川千翔先輩が、少し長めの前髪の陰から、切れ長の目でわたしを睨みつける。
わたしの全身がぶるっと震えあがった。
最高……最高です、千翔先輩! 今朝もわたしを冷たい目で見下してくれて、ありがとうございます!
「千翔先輩! 歩きスマホは危ないですよ。転んで怪我でもしたら、大変です」
わたしはダッシュで千翔先輩に駆け寄る。ふたりの先輩がさっとよけて、わたしに道を作ってくれる。
千翔先輩はスマホを持ったまま、さらに顔をしかめた。
「もしよかったら、わたしがスマホ預かっておきますよ。あ、ゲームの途中でしたら、わたしが代わりに進めておきます」
「うっせえよ」
ひりひりと身体がしびれる。低い声で、面倒くさそうに突き放すところ、カッコよすぎる。
「千翔ー、今日もモテモテじゃん」
パーカーの福丸耀太先輩が、わたしと千翔先輩を見て笑った。
「新入生一の美少女、加賀美瞳子ちゃんに惚れられるなんて、おまえ一生分の運、使い果たしてんぞ!」
ヘッドホンの柳楽進先輩も、ひやかしてくる。
千翔先輩は「ちっ」と、めちゃくちゃシブい舌打ちを放った。
「毎朝毎朝待ち伏せしてんじゃねぇよ! 邪魔だ、どけ!」
わたしは思わず、泣きそうになる。
やばい。千翔先輩に怒られた。感動して涙でそう。
「おいおい、そんなこと言ったら、瞳子ちゃんがかわいそうだろ?」
「千翔、おまえ、身の程わきまえろ!」
先輩たちが口々に言う。
「だ、だいじょうぶです」
わたしはちょっとにじんだ涙をこすり、笑顔を見せる。
「無理するな、瞳子ちゃん」
「そうそう、悪いのは全部、こいつなんだから」
「おいっ、おまえらまで、いい加減にしろよ!」
千翔先輩はふたりの先輩に怒鳴りつけると、「ふんっ」と顔をそむけ、改札に向かって大股で歩きだした。わたしは慌てて追いかける。
「待ってください、千翔先輩! 今日はお弁当を作ってきたんです!」
改札に入る手前で、千翔先輩が足を止めた。
わたしは時間を確認する。七時五十二分。上り電車が来るまであと三分ある。
「先輩いつもお昼になると、購買でパン買ってますよね? だから今日はわたしがお弁当作ってきました」
「は? んなもん、誰も頼んでねーだろ。てかなんでおれがパン買ってるの、知ってんだよ」
先輩のあきれたような声に、にっこり微笑む。
「先輩のことはなんでも知りたいので、福丸先輩たちに聞きました。それで、購買のパンばかりじゃ栄養が偏ってしまうと思って、今日は四時起きでお弁当を作ったんです」
「うわ、四時起き?」
「気合入ってるねー」
福丸先輩たちが寄ってきて、わたしの持っているお弁当をじろじろと見る。二段の重箱を、赤色に白いうさぎ模様が散りばめられている風呂敷で包んだお弁当だ。
「はい。気合を込めて、栄養もバッチリ込めました。十七歳男子の一日に必要なエネルギー量を、千翔先輩の身体活動レベルを考慮の上計算し、タンパク質、脂質、炭水化物をバランスよく……」
「あー、もういい! とにかく弁当なんかいらねぇよ!」
千翔先輩が「行くぞ」とふたりの先輩に声をかけ、歩きだす。
「おい、千翔! もらってやれよ! 瞳子ちゃんが四時起きで作ったんだぞ?」
「おまえがもらわないなら、おれがもらっていいか?」
やさしいふたりの先輩が、そんなことを言いながら千翔先輩を追いかける。
わたしはぽつんと改札の前に取り残された。
七時五十三分。わたしも早く行かないと、遅刻してしまう。
きょろきょろとまわりを見まわすと、改札の横にゴミ箱があった。まっすぐそこへ向かって歩き、お弁当を持った両手を高く振り上げる。
「待て!」
捨てようと思ったお弁当箱が取り上げられた。
「千翔先輩?」
目の前に立っている千翔先輩が、わたしのことを睨みつけている。
わたしの身体がじんじんしびれる。
「食べ物を粗末にするな。もったいねぇだろ」
「でも千翔先輩に食べてもらえないなら、こんなお弁当なんかただのゴミです。この世に一番いらないものです」
「だったら食うよ」
千翔先輩がむすっとしたまま、赤い風呂敷で包まれたお弁当を自分のリュックに押し込んだ。
わたしは黙って、先輩のごつごつした大きな手を見ている。
「おい、なにボケっとしてんだよ。早くしねーと乗り遅れるぞ!」
ハッと時計を確認すると、七時五十四分だった。
「急げ! 走るぞ!」
「はい!」
目の前に見える、千翔先輩の背中を見ながら走った。
黒い髪も、ちょっと猫背の背中も、長い足も、全部素敵だ。
「あ、先輩! 駆け込み乗車は危ないです!」
「んなこと言ってる場合か! いいから急げ!」
階段をのぼったところで立ち止まったわたしの手を、先輩がつかんだ。
その手の冷たさが、わたしの腕を通って、心臓まで伝わってくる。
「はー、間に合った」
ギリギリセーフで乗り込んだ電車のなか、千翔先輩がゼエゼエ息を切らしている。
先輩は大の運動嫌いだから、ちょっと走っただけで、長距離走したくらい息切れしてしまうのだ。
「これどうぞ」
わたしは素早くトートバッグから小さな水筒を取りだし、先輩に差しだす。
「水分補給してください。死にますよ?」
千翔先輩はじろっとそれを睨んでから、仕方なくといった感じで受け取り、ごくごく飲んだ。
わたしは目を細めて、そんな千翔先輩を見つめる。
お茶を飲んでいる千翔先輩も、なかなか素敵だ。
「生き返った。サンキュ」
千翔先輩が水筒を差しだし、すぐにひっこめた。
「いや、飲みかけ返すなんて、悪いよな」
わたしはぶんぶんっと首を横に振る。
「全然っ、千翔先輩の飲みかけだったら、大、大、大歓迎です! でももしよければ、それあげます。お弁当と一緒にどうぞ」
千翔先輩はじいっとピンクの水筒を見つめたあと、さっとリュックに押し込んだ。
「洗って明日返す」
「あげます」
「返す!」
先輩の声が大きかったので、同じ制服を着たまわりの生徒たちがこっちを見た。先輩は気まずそうにわたしから顔をそむける。
「千翔先輩。一緒に学校行きましょう」
「……ヤダって言っても、ついてくるんだろ」
「はい! どこまでもついていきます!」
わたしが今日最高の笑顔を見せると、千翔先輩は今日最高の冷たい目つきでわたしを睨んでくれた。