狼さんと戯れよう
ぱちり、と目が開く。
息を吸おうとしてむせ、いくらかの水が吐き出された。
鼻がつんとする。
ここはどこだろう。
なんとか目の前の景色に焦点を合わせる。
すると、誰かが俺を上から覗き込んでいることに気付いた。
2、3度まばたきをして、視界を整える。
街の外れの方まで流れて来たのか、周囲は閑散とした様子だ。
「あ、よかった!」
俺が目を覚ましたのを見てか、嬉しそうな声が降ってくる。
声の主、すなわち俺の目の前にいるのは1人の少女だった。
しかしただの少女ではない。
顔の右側に目が3つ、腕は2対。
どう見ても魔族である。
「狼さん、起きられる? 怪我はしてないよね? あのね、水に流されていた狼さんをわたしが引っ張り上げてあげたんだよ、えへへ」
この子はさっきの魔族の仲間なのか?
もしそうなら何をしているんだろう?
俺を助けたのはなんで?
困惑する俺をよそに、少女はニコニコと話しかけてくる。
このまま寝っ転がっていてもどうにもならないし、俺はひとまず立ち上がった。
「うん、元気だね。ねえ狼さん、撫でてもいい? わたしこっちの狼さんに会うの初めてなんだ!」
ちょっと迷ってから、俺は頭を下げて少女に背中を向ける。
少なくとも俺に対しては敵意が無いみたいだし、助けてもらった恩もあるのだからこれくらいはいいだろう。
「ああ待って、その前に乾かしてあげるね」
そう言って少女が手をかざすと、ふわりと暖かい風が吹いてきた。
首だけ動かして見てみる。
なにやら彼女の手に小さな魔法陣が浮かび上がっているようだ。
「ん? これが気になるの?」
俺の視線に気付いた少女が、手は休めずに言う。
「これはねえ、わたしの固有魔法だよ。2つの魔法を混ぜて使えるんだ。炎と水と風と土……ええと、まとめてなんて言うんだっけ……まあこの4つの中からしか混ぜる魔法を選べないんだけどね」
となると、いま使っているのは炎魔法と風魔法を混ぜたものだろうか。
単純と言えば単純かもしれないが、面白いし便利な魔法だ。
エラが知ったら喜びそうだな。
「ようし、ふわふわになった! ふふふ、良い子良い子」
そうして少女に頭やら背中やらを撫で繰り回されながら、俺はこの後の動きを考える。
まず、この子に人間への敵意は無い。
例え魔王からの指示でここに来ていたとしても、任務そっちのけでその辺にいた狼と戯れていることになる。
きっと何か事情があるか、よっぽどやる気が無いかだ。
どちらにせよ彼女は放置しておいて構わないだろう。
目下の問題はあの暴れていた男の方である。
俺がどのくらい下流に流されてきたのか、具体的にはわからないが、この水路を辿ればあそこに戻ることは容易だ。
この子に満足してもらえたら、すぐにみんなのところへ走ろう。
「はー、ずっと撫でてたい……。でも駄目だよね、ほどほどにしないと。ありがとう狼さん」
少女の手が離れた。
よし、これで心置きなく彼女と別れられ――
「じゃあお家に行こっか!」
……おっと?
「ちょっと遠いからね、特別に抱っこしてあげる」
満面の笑みで少女は俺を掴み、抱き上げる。
待って、俺ちょっと大事な用があるんだけど!
俺は全力で抵抗するが、彼女はびくともしない。
「あはは、そんなに嬉しかった?」
そうだった、魔族だからめちゃくちゃ力が強いんだった!
こうなったらもう事情を説明して離してもらうか?
いや、さっきまで「ふわふわだー!」とか言って可愛がっていた狼が突然喋り出して、しかも中身がそれなりの歳した人間だったなんてトラウマになりかねないぞ。
それに下手したら「人間最低! 滅ぶべし!」みたいなことにもなるかもしれない。
なんとか声に出さずに行きたくないアピールをしなければ。
俺はぶんぶんと首を横に振る。
「すごいキョロキョロしてる……何か面白いものあった?」
通じなかった。
今度は恥を忍んで「く~ん」と悲しげな鳴き声の真似をしてみる。
「お腹空いたの? いいよ、お家に着いたらご飯食べよっか」
通じなかったし羞恥心で死にたくなった。
解決策を見出せないまま、俺は少女に連れられて行く。
水路から離れ、入り組んだ細い道を通り、辿り着いたのはやや大きめの民家。
外壁はひび割れて植物が這い、窓もところどころ割れている。
見た目だけだと廃墟のようだが、ここが少女の「お家」らしかった。
けど、どうして魔族が家なんか持っているのか、そこが疑問だ。
ククのように魔界から逃げて来て、こっそり住み着いているのだろうか。
「ただいまー」
少女が肩で玄関の扉を押し開け、中に入る。
玄関口、ひいては廊下も、外観に反してある程度は掃除も行き届き清潔感が保たれていた。
「どう? けっこう広いでしょ」
居間らしき部屋に入り、少女は俺を床に下ろす。
確かに、1人で暮らすにはいささか大きい気がした。
「ご飯ご飯……狼さんだから、お肉がいいよね」
少女は戸棚を開け、中から紙袋を取り出す。
「ごめんね、こっちのお金は持ってないから新鮮な食べ物は買えないの」
眉を下げて申し訳なさそうに笑いながら、少女は袋から2つほど干し肉を出し、俺の前に差し出した。
どうやら魔界から持ってきたものらしい。
こちらで買えないなら、彼女の食料は魔界から持ってきた分だけということになる。
どれくらい滞在するつもりかは知らないが、きっと貴重な食料だ。
受け取れないよ、と言う代わりに差し出されたそれを押し返す。
「あれ、干し肉は好きじゃなかった?」
違うけど、まあそういうことでいいよ。
だからそれは自分で食べて。
「うーん、食欲が無いのかなあ……」
俺は部屋の扉に近付き、手――見た目は前足である――でパシパシと叩く。
早くみんなのところに戻って、あの魔族をどうにかして、それからこの子のことを相談しよう。
詳しい事情は不明だけれど、一連の行動を話せば敵意が無いことはわかってもらえるはず。
ククと同様、エラ邸で匿ってもらえるかもしれない。
だから外に出たいんだ伝わってくれ、という一心で扉を叩き続ける。
すると、少女が「あ、なるほど」と言った。
「狼さん、お外に行きたいんだね?」
俺は歓喜した。
そう!
そうだよ、外に出たいんだ!
激しく頷き、その通りだとアピールする。
「そっか……。狼さんだもんね、お外にいたいよね……。うん、わかった。お外に出してあげる」
やたら暗い顔をする少女。
「じゃあわたしと一緒にお外で遊ぼっか!」とか言うと思ってたんだけど、どうしたのだろう。
心配になって、彼女の方へ戻る。
「……お話、聞いてくれる?」
俺はもう一度、こくりと頷く。
このまま去ってはモヤモヤするし、これは事情を聞くチャンスでもある。
みんなごめんね、帰るのはもうちょっと遅くなりそうです。
少女は俺の前にしゃがみ込み、ぽつぽつと語り出す。
「あのね、わたし魔王様の命令で人間界に来たんだ」




