初めての「好き」
あくる日、俺は言いつけられた仕事を果たすべく、ラナソンという村に来ていた。
今日の仕事は木材の運搬。
村付近の森で切り出した丸太を、ラナソンの業者に納品しに行くのだ。
「おい、きびきび歩け!」
「はいっ」
俺は丸太の乗った荷車を引きながら、同じく荷車を引く牛の手綱を握る男性の後に続く。
彼は村長の息子さんで、こうして丸太を納品するのは彼の役割となっている。
ちょっぴり怒りっぽいのが玉に瑕だけれど、力持ちで働き者の良いおじさんだ。
「速く歩けっつってんだろ!」
ごつん、という鈍い衝撃が頬骨に響くと共に、視界が大きくぶれる。
殴られてしまった。
ちゃんと遠すぎず近すぎずの距離を保っていたはずだが、どうやら今日の彼は機嫌が悪いらしい。
機嫌が悪いと何をしてもしなくてもだいたい殴られるので、まあしょうがないことだ。
ストレスを発散させられるのなら、それで良い。
俺は生まれつき傷の治りが早い体質だし、他の人が殴られるよりはずっとマシだろう。
少しよろけながら「すみません」と謝り、俺は再び荷車を引き出す。
おじさんは多少すっきりしたのか、それ以上は何もせずにまた牛を連れて歩き出した。
木漏れ日が優しく降り注いでいる。
気持ちの良い天気だ。
しばらく進むとラナソンに入り、目的の業者の拠点へと無事到着した。
俺と牛を建物の外に待機させ、おじさんは中へと入って行く。
俺の仕事はここまで。
後は彼が出てくるのを待って、村に帰るだけだ。
何とはなしに、俺は牛の背に付いた木の葉を掃う。
すると牛はぶるんと頭を振ってそれを拒絶した。
「ああ、ごめんね」
苦笑して手を離すと、牛はまた大人しくなる。
動物相手だとつい油断して接触してしまうのは、俺の悪い癖だ。
のどかな空気の中、手持ち無沙汰に牛を見つめていると、不意に視線を感じた。
咄嗟に振り返る。
と。
「ごきげんよう」
すぐ近くに、薄桃色の髪の少女が立っていた。
彼女は俺に上品な挨拶を投げかけると、にこりと微笑む。
「ご、ごきげんよう……?」
あんまりにも唐突で、俺はつられて同じ言葉を返してしまった。
「お初にお目にかかります。私、デレー=ヤンと申す者ですわ」
「はあ……」
俺は流れるように始まった自己紹介に面食らうも、一拍置いてハッと気付く。
「って、ヤン!? ヤンってあの、領主様の!?」
「ええ。第四領地の領主ルイス=ヤン、その次女が私ですわ」
動揺する俺とは対照的に、少女は事もなげに頷いた。
俺たちの住む大陸・ユラギノシアは、王都を含め9つの大領地に分かれている。
王都を第九として、第八、第七……といった具合に名付けられており、この辺りは第四領地にあたる。
つまり彼女、デレーはここ一帯を治める大領主の娘ということだ。
そんな偉い人がいったい何の用だろう。
視察? お忍びで散歩?
まさか、知らないうちに俺が何かやらかしたとか!?
いや、とにかく名乗り返さなければ。
貴族の礼儀なんてさっぱりだが、少なくともだんまりは無礼だ。
俺は急いで口を開いた。
「えっと、俺の名前は」
「フウツさんでしょう? 存じておりますわ」
「へ」
初対面にもかかわらず名前を知られていたことに驚き、俺は間抜けな声を出す。
だが彼女はそんなことにはお構いなしに、言葉を続けた。
「マハジ村出身、16歳。両親はおらず、村長の養子ということになっているのでしたわね。本日はラナソンまではるばるお越しになって、お疲れでしょう? それに同伴していたあの男……難癖を付けてフウツさんに暴力を振るうなど、万死に値しますわ。後ほど罰を……そう、二度とあのような蛮行をはたらこうなどとは思えないほどの罰を与えますので、ご安心くださいまし」
「待って待って待って」
「はい?」
「なんでそこまで知ってるの……ですか」
戸籍情報はともかく、俺がおじさんに殴られたのはまだ山を下っている途中のことであり、目撃者はいなかったはずだ。
しかしデレーさんは平然と、当たり前かのようにそれを口にした。
いったい彼女はいつから、そしてどこから見ていたのだろう。
「うふふ。私はただ、あなたとお近づきになりたいだけですわ。まあ詳しい話は後でゆっくりいたしましょう。それに、敬語でなくてもよろしくてよ。私も16歳ですもの。あ、私のことは気軽に『デレー』とお呼びになって?」
「は、はあ……」
何が何だかわからないまま、勢いに押されてひとまず首肯する。
と、そこで俺は、ある重大なことに気が付いた。
……俺、全然嫌われてなくない?
情報量の多さと、彼女があまりに、こう、初めて会うタイプの人間だったせいか無意識に受け入れてしまっていた。
嫌われてない、どころかこれは好意と言って差し支えない気がする。
いや。
いやいやいや、そんなわけないだろう。
何を馬鹿なことを。
俺が人から好かれるなんて、天地がひっくり返ってもありえない。
きっとデレーが誰に対しても優しくて、俺を嫌いながらも施しをしてくれているとかだ。
そうに決まっている。
……でも、ちょっと待てよ。
今までそういう人もいなくはなかったが、明らかに対応が雑だったり頑として目を合わせてこなかったりした。
なのに、デレーはそういった部分が全く無い。
それに個人情報まで握ってる(さらにそれを本人に喜々として話す)なんて明らかに尋常じゃない。
まさか、上げて落とすのが趣味の人?
みじめな人間を喜ばせておいて、後でどん底に突き落とすつもりだったり?
やばい。
考えれば考えるほど彼女が何を意図しているのかわからなくなってくる。
疑心暗鬼に駆られながら、俺は彼女に恐る恐る尋ねた。
もうこれしかない。
「あの……デレーは、俺のこと嫌いだったり、不愉快に思ったりしないの?」
冷や汗をダラダラかきながらデレーの顔を窺う。
彼女はきょとんとして、それからとびきりの笑顔で言った。
「いいえ! 大好きですわ!」
生まれて初めて聞く、自分に向けられた「好き」の言葉。
しかも「大」付き。
瞬間、俺の中で何かが粉々に砕け散った。
先ほど殴られた時よりも、ずっとずっと大きな衝撃が脳天を突き抜ける。
視界が晴れ、それがいつも俺の目を塞いでいたのだと、初めて気付いた。
そうか。
俺は、人から好かれることができたのか──。
「フウツさん?」
「はっ!?」
我に返り、心配そうな顔をするデレーと目が合う。
「どこか具合の悪いところでも……?」
「い、いや、大丈夫」
嘘だ。
全然大丈夫じゃない。
今までになく強い衝撃の余韻が、俺の思考をぐわんぐわんと揺らしている。
「その、デレーはなんで俺のことが……す、好き、なの? 俺たち初めて会うよね?」
ポンコツと化した俺の頭は、しかし必死にそんな言葉を捻り出した。
もしかしたら俺が忘れてるだけ、あるいは気付いていないだけで、何か彼女に好かれるような行いをしていたのかもしれない。
それならばまだわかる。
他人から好かれるという前代未聞の異常事態も、一応は呑み込めるだろう。
「それは……」
俺は固唾を飲んで次の言葉を待つ。
するとデレーは少しためらい、ポッと顔を赤くして言った。
「一目惚れをしましたの」




