優しい兄と無邪気な妹
推奨:第6章の「エピローグ」まで読了
キャルラという少女は、何も知らなかった。
兄・メイルが地下闘技場で稼ぎを得ていたことも。
自分をダシにされて、彼が魔王の幹部に言うことを聞かされていたことも。
魔王がそれなりの数の魔族たちに良く思われていないことも。
兄と共に越した先が、レジスタンスの支部であることも。
そして、魔王がレジスタンスたちによって打ち倒されたことも。
何ひとつとして、知らなかった。
決戦の日も、彼女は支部で他の子どもと一緒に留守番をしていただけだ。
メイルが戦場で戦っていたことはおろか、そもそも戦いがあったことすら理解していない。
魔族と人間、いや魔界と人間界の歴史を大きく動かすこととなった日々は、キャルラからすれば「お兄ちゃんと一緒に旅をした楽しい休暇」だった。
「休暇」が終わり、自宅に戻った後、メイルは彼女にこう説明する。
魔王が病気で死んだので、魔王は別の、新しい人に変わった。
それに伴って、部下も新しい人たちに変わった。
……魔王やその幹部が悪事をはたらいていたとはつゆ知らず。
彼女は兄から聞かされる話を素直に真実だと受け取った。
従ってキャルラは、以降数年間、周囲とのズレを持ったまま生活するハメになったのである。
――ここで、もし第三者がこのことを耳にしたならば、おそらくはこう思うだろう。
「そんな長続きしない嘘をついてどうする」
「魔王が倒れたタイミングが真実を告げる絶好の機会だったんじゃないのか」
尤もである。
魔王に逆らえない状況は脱したのだから、これ以上の秘匿や虚偽はほぼ無意味だ。
しかしながら、メイルはそれでも嘘を重ねた。
理由は簡単だ。
彼は嘘が下手くそなのである。
地下闘技場に行っていることを誤魔化していた時、彼は毎回毎回「仕事だ」と言い張り、大怪我をした時も「仕事だ」で押し切った。
相手が純粋で無知な幼子でありメイルを完全に信じ切っているキャルラでなければ、決してこれらの嘘は機能しなかったであろう。
さらに彼は、嘘を吐くのが下手であれば、嘘を撤回するのも下手だった。
一連の動乱について何も真実を伝えなかったあたりに、その欠点が顕著に出ている。
それで引き寄せてしまったのが、タイミングを推し量りかねて本当のことを言えず、逆に嘘を増やすというこの悲惨な現状だ。
極めて個人的な、しかし重要な課題を、果たして2人――というかメイル――は乗り越えられるのだろうか。
まあ、おそらくそう悲観することはない。
なにせ2人はとても仲の良い兄妹だ。
嘘も妹を庇護するための優しい嘘であるし、どうあってもメイルがキャルラに嫌われるなんてことは無かろう。
だが肝心のメイルは、それをわかっていない。
その性格からか、「嘘を吐いた」という表面的な罪状にばかり目が行っているためだ。
こういうわけで、キャルラは今日も無邪気に暮らし、メイルは今日も思い悩むのである。




