月光と兆し
嫌な夢を見たらしい。
じんわりと汗をかいた状態で、俺は目を覚ました。
手の甲で額を拭いつつ、地面という名の寝床から体を起こす。
眠い目をこすり、ぐっと伸びをした。
春先の穏やかな風がふわりと通り過ぎて行く。
青く澄んだ空には、綿のような白い雲。
うん、良い天気だ。
俺はさっそく今日の仕事に取り掛かるべく、牛小屋へと向かう。
――ここは人間界。
文字通り人間の住む世界であり、同時に魔族の住む「魔界」と対をなす世界でもある。
「対をなす」とは言っても、人間界と魔界の仲はあまりよろしくない。
簡単に表すならば、人間にとって魔界ないし魔族は侵略者なのだ。
遡ること約1000年、平和だった人間界に魔王率いる大軍勢が攻めて来た。
詳しいことは知らないが、それはもう凄惨な戦争になったのだとか。
激戦の末になんとか魔王たちを撤退にまで追い込んだものの、人間界側の被害は甚大。
侵攻の爪痕……例えば魔王軍の置き土産たる魔物なんかは、今もなお人間を苦しめている。
魔王や魔族が何を考えていたにしろ、まったく酷いことをするものだ。
「村長さん、終わりました!」
と、不意に聞きなれない声が耳に飛び込んで来た。
俺は牛に餌をやる手を止め、小屋から出て声のした方を見てみる。
少し離れた家屋の横、そこには村長と3人組の男女――青年、男性、女性が1人ずつ――がいた。
「ご苦労さん。助かるよ」
「いえいえ、お役に立てて何よりです!」
3人組の中の1人、年若い青年が、礼を言う村長に朗らかな笑顔を向ける。
「退治した魔物の死体は、森の入り口にまとめて置いておきました。今日中にはギルドの方が処理しに来るはずです」
「うむ、わかった。報酬を持ってくるから、少し待っておれ」
村長はそう言って、建物の中に入って行く。
残された青年たちは、互いに労いの言葉をかけつつ談笑をし始めた。
俺は物陰から、彼らをまじまじと見つめる。
青年は腰に剣を、女性は片手に杖を、男性は背中に大剣を、それぞれ携えていた。
皆、動きやすそうな格好をしており、またその服は土で汚れたり所々破れたりしている。
それらを見て、冒険者だ、と俺は理解した。
冒険者。
戦災からの復興の過程で誕生した何でも屋、とでも言おうか。
ああして魔物を退治したり、人手が不足している仕事を手伝ったり。
平たく言うと、報酬と引き換えに様々な依頼をこなす職業だ。
仲間とパーティーを組み西へ東へ旅をして、時には助け合い時にはぶつかり合い、共に成長していく。
そんな彼らに、俺はこっそり憧れを抱いていた。
抱くだけ、であった。
なぜなら俺は――。
「ちょっとあんた、サボってないで仕事しなさいよ」
つい思案に耽っていると、中年の女性が後ろから不機嫌そうに近付いてきた。
同じ村に住むアニーおばさんだ。
「あ、はい。すみませ……」
「まったく、誰のおかげで生活できてると思ってんだい、え?」
「そ、それはもちろん」
「あーあー、もういいよ、喋んないでおくれ。一丁前に自分は普通ですーみたいな顔してんじゃないよ、まったく気味の悪い」
アニーおばさんは踵を返してのしのしと向こうの方へ行ってしまった。
そう。
俺は嫌われ者なのだ。それもとびっきりの。
原因はわからない。ただひたすら、これでもかというほど周囲の人間から嫌われている。
どのくらいかというと、「人が好いと評判の女性であれ、穏やかな老人であれ、俺に対しては人が変わったように冷淡になる」くらい。
村の人だけでなく、町の役人、店の売り子、果ては初対面の子どもまで。
俺に向けられる視線はどれも冷たく、口調はとげとげしい。
両親だって例外ではなく、彼らは生まれたばかりの俺をこの村の入り口に捨てた。らしい。
誰かが付けたのか、はたまた自分で勝手に名乗りだしたかは定かでないが、俺には「フウツ」という名前がある。
だが誰も呼んでくれない。
「おい」とか「お前」とか、そんなのばっかりだ。
この左右で色の違う瞳が原因ではないかと疑ったこともあったが、別に瞳の色のことで罵倒されたり嘲笑されたりといった経験は無い。
外見において他に特筆すべきところはどこにも無く、強いて言うならちょっと痩せ気味で背丈が低いくらいだ。
魔物や動物みたいに角があったり、鋭い牙が生えているということも当然無く……それを理解したあたりで、俺は嫌われる原因を探すのを諦めた。
とはいえ、実のところ俺はこの生活にすっかり慣れてしまっている。
小さい頃は痛みに弱く、ちょっと殴られただけですぐ泣いていたが、今はもう平気だ。
昨日だって、誰だったかに背中を蹴り飛ばされたもののすぐに立ち上がって作業に戻れた。
成長したものである。
小屋の中へと戻りつつ、俺はちらりと後ろを振り返る。
もう報酬を受け取って帰って行ったのか、冒険者たちはいなくなっていた。
* * *
夜。
俺は目が冴えて、なかなか寝付けずにいた。
ごろりと寝返りをうち、深呼吸をしてみる。
目を瞑ってじっと仰向けのまま静止してみる。
が、眠気は一向にやって来ない。
溜め息をひとつ、それから上体を起こす。
もう今日は寝るのを諦めよう。
仕方ない仕方ない、と自分に言い聞かせた。
俺は、ここ1年くらいずっとこの現象に悩まされている。
眠れなくなるのは決まって満月の日。
眩い月明りを見ていると、胸の内がざわついて仕方なくなる。
嫌な感じと良い感じが半々になったような、まるで今から天変地異と天地創造がいっぺんに起こるような……とにかく、どうも落ち着かないのである。
音を立てないように、俺はそろりと立ち上がった。
空でも見て朝まで時間を潰そう、と少々開けた位置まで移動する。
と、その時。
視界の端、立ち並ぶ木々の間。
ほんのわずかな隙間に、ちら、と薄桃色が見えた気がした。
俺はぱっと視線を向ける。
しかし既にそこには何も無く、ただただ月光に照らされる木々と地面があるのみだった。
気のせいだったのだろうか。
小首を傾げながら、俺は空で煌々と輝く月に目を移した。
満月なだけあって、とても眩く、そして美しい月であった。




