毒蛇、絆されけり
推奨:第4章の「組織名詐欺」まで読了
「地下闘技場のシハク」と言えば、裏社会においてその名を知らない者はいない。
冷酷無比にして残虐、金儲けと人を弄ぶことを生きがいとする人非人。
巧みな話術で数多の魔族を煽り、唆し、手玉にとり、一代であの『友好会』からも一目置かれる地位を手に入れた毒蛇。
噂によると、人の心が読めるとか、その目で睨むと相手を操れるとか、闘技場で流れた血で晩酌をしているとか……。
ともあれ彗星のごとく裏社会に現れたこの恐るべき男は、順風満帆に非人道を闊歩していた。
しかし、全てが上手く行く人生などそうそう無い。
いかなる者であれ、大抵どこかで挫折や困難を経験するものだ。
シハクもその例に漏れず、ある時とんでもない困難にぶち当たった。
子育てである。
子、と言っても彼自身がどこぞの女と作ったのではない。
たまたま路地裏で見つけ、なぜか拾ってきてしまった身寄りのない子だ。
常人ならば、哀れな子どもを拾ってやるくらいはまあ有り得ないことではない。
傍から見ても「すごくお人好しなんだね」で片付く話だ。
だがこの時、子を拾ったのは他でもないシハクである。
残虐非道云々と名高いシハクである。
しかも子どもは2人。
部下たちはいきなり善行まがいのことをした彼に驚いたが、一番驚いていたのはシハク本人だ。
彼は己の悪逆さを自覚していたから一層、それはもう、ひどく困惑した。
いったい自分は何をしているんだ、と子どもの体を洗ってやりながら、清潔な服を着せてやりながら、温かい食事を与えてやりながら、延々混乱していた。
どうせ気まぐれだ、飽きたら捨てるんだ、そうに違いない。
無理矢理に自分を納得させて、シハクは考えるのを放棄した。
放棄して、それからしばらくの間、ただただ心の赴くままに行動した。
こんなことで頭を悩ませるなんて馬鹿馬鹿しい。
いつも通り、やりたいようにやっていればいいんだ、と。
……そうして、気が付いた時には。
2人の子ども、ニギとジギはシハクに懐いていた。
というか、シハクは完全に彼女らを守り育てる心づもりになっていた。
慌てて彼は今までの行動を振り返る。
四苦八苦しながら幼い2人の面倒を見た。
2人のために部屋を用意し、必要なものは惜しまず揃えた。
少年少女に手を出すならず者を片っ端から全員始末した。
嘘をついて闘技場の残虐性を隠し、また殺しをさせないよう仕向けた。
おかしい、どう考えてもおかしい。
シハクは頭を抱えた。
自分が熱心に子育てをしている事実を受け入れられなかった。
だが受け入れられなくとも、実際しているのだから逃れようが無かった。
シハクは2人を見る。
どうしようもなく、愛おしかった。
ところで彼の友人――と言うにはいささか距離のある間柄の者に、リーシアという男がいる。
ある晩、2人を寝かしつけた後、シハクは彼の元へ向かった。
リーシアは聡明な人であったので、シハクは彼ならばこの珍妙な状況を分析し、原因を解明してくれるだろうと思い立ったのである。
夜分に突然訪ねてきた知人を快く受け入れ話を聞いたリーシアは、少し笑って、こう言った。
「あなたが情に絆される日が来るとは」




