終焉
避ける、という選択肢が思い浮かぶ前に、それらは豪雨のごとく俺に降りそそいだ。
皮膚を、肉を、臓物を裂いて、数多の槍は俺の肢体を貫いていく。
喉から漏れる擦れ声は、体の蹂躙される音にかき消された。
これはもはや、痛みというより混濁だ。
全身を文字通りめちゃくちゃにされ、平衡感覚さえも失われる。
時間すら見失いそうになったところで、ようやく嵐が止んだ。
我に返り、俺は意識を手放すまいと必死に宙を睨む。
――腕、首、胸部、肩、太腿……。
かろうじて残っている感覚を頼りに、自分の状態を把握する。
向けられた槍全てが命中したわけではないが、それでもかなりの数が俺に刺さったようだ。
俺の体はやや前に傾いたたまま槍によって床に縫い留められ、雑な標本みたいになっている。
「はは、出来損ないの標本みたいだね」
やや息を切らしながら、魔王が言った。
同じようなことを思っていたのが少々癪に障る。
「……ぁ…………」
俺は文句のひとつでも言ってやろうとしたが、声は出ず、代わりにドス黒い血が吐きだされた。
まあよくよく考えれば、首のど真ん中を槍が貫通しているのだから、ろくに発声できないのは当然だ。
息をするたびに、どこかから空気の漏れる音がする。
ズタズタになった腕を懸命に動かし、俺は魔王に剣を向けた。
強化魔法をかけた上での投擲、はもうできない。
槍に貫かれた腕では「投げる」という動作をするなど到底不可能だ。
俺は最低限の回復魔法で命を繋ぎ止めつつ、底をつきかけている魔力でなんとか風を起こす。
そして風の力を利用し、剣を魔王めがけて一直線に飛ばした。
剣は魔王に当たることなく、彼の左側、少し手前の床に刺さる。
俺が力尽きかけているのだと察したのだろう、魔王は小さく息をついた。
「さて……あとは時間の問題だね。動けず、武器は無く、魔力も回復に充てるので精一杯」
言いながら、黒剣を片手に歩み寄る。
平静を装ってはいるが、安堵の色が隠しきれていない。
それもそのはず、俺と同じく彼もまた、魔力が空になりかけていた。
さらにその魔力は、微量ながら減り続けている。
肉体を維持するために魔力が不可欠なのだ。
記憶の中で見たから知っている。
あの様子だと、おそらくあと四半日も持たない。
無論、体の維持と魔力回復に専念できなければの話だが。
「き、み……い、いの……?」
「何が? ていうか喋って大丈夫なの」
「から、だ……」
「ああ、惜しくはあるけど諦めるよ。君が渡してくれるっていうなら別だけどね」
魔王は立ち止まる。
「俺は君を侮りすぎた。自分の模倣品がこんなおぞましい化け物になるだなんて、全然思ってなかった」
俺は黙って、彼を見据える。
「だから君を殺す。ただ単純に、この世から消す。体と魔力を回収するのも、惨たらしく痛めつけるのも……本当はやりたかったけど、やめにする。二兎を追う者はなんとやら、だよ」
言葉に違わず、魔王は真っ直ぐに黒剣を振り上げた。
「これで終わりだ。じゃあね」
魔力も何も帯びていない、純然たる黒い刃が迫る。
このままでは直撃は免れないし、直撃すればまず助からないことは明白だ。
黒剣の作る風が髪を僅かに揺らした。
俺は剣を見、意識を集中させる。
そして――彼の後ろに、ワープした。
ボロ雑巾のような体を無理矢理動かし、指標にしていた剣を取る。
俺が移動したことに気付いた魔王が振り向く。
彼の瞳に迷いが走る。
俺は剣を逆手に持ち替える。
魔王の手のひらに魔法陣が浮かんだ。
そこから槍が1本だけ生み出され、放たれる。
俺には当たらなかった。
入れ替わるように、俺は剣を振り下ろす。
剣は魔王の左胸を貫いた。
やはり、手ごたえは軽かった。
「あ、あ……!」
信じられない、という顔で魔王はよろめく。
俺は剣を刺したまま、全体重をかけて彼を押し倒した。
魔王は鈍い音と共に仰向けに倒れ、俺はその上に馬乗りになる形となる。
息も絶え絶えに彼を見ると、魔力は少しも残っていなかった。
「……終わり、だね」
残ったなけなしの魔力で傷口を塞ぐだけして、俺は言う。
「君の、負けだ」
「…………」
わなわなと震えながら、魔王は俺を見上げた。
「な、んだよ……」
目は見開かれているが、そこから涙が零れたりはしない。
「なんだよ、なんで君は……いつもそうやって……!」
けれどたぶん、彼は泣いていた。
悔しさと怒りで、泣きじゃくっていた。
「……君の」
「ああもう、言わないでよ! どこまで俺を惨めにさせたら気が済むんだ」
俺は口をつぐみ、後に続く言葉も呑み込む。
魔王の言う通り、これを口にしたところで彼の心を傷付ける以外、何にもならない。
「いいよ早く殺して。わかるでしょ、もう君を道連れにするだけの力も残ってない。それとも俺の体が崩れていくところを見たいかな?」
自棄になったように自虐的な笑みを浮かべる魔王。
視線をずらし、俺は彼の頬や指先に目をやる。
干上がった地面のようにひび割れ、端の方からぽろぽろと消えて行きつつあった。
俺は首を横に振る。
ただ彼を殺したいだけで、必要以上に苦しめたいわけじゃない。
……が、いざ無抵抗の相手を手にかけるとなると、少し迷う。
戦っている時はどう殺すのが一番か、なんて考える余裕は無いけれど、今はある。
普通に考えれば首を斬るのが良いのだろうが、押し当てて斬るのか、はたまた勢いをつけて振り下ろすのか……。
黙したまま悩む俺に、彼は深く深く溜め息をついた。
「何? 殺し方がわかんないの?」
ほんと鬱陶しいなあ、と眉間にしわを寄せ、彼は俺の手首に弱々しく触れる。
それから自分の首元に、俺の手のひらを当てさせた。
「ほら、こうやるんだよ」
魔王の手が力なく離れる。
示された通り、俺は両手でしっかりと彼の細い首を包み込んだ。
「はは……良い気味だ」
彼は笑う。
喉の震えが直に伝わって来た。
俺は手に力を込め、その震えを押さえつける。
徐々に、徐々に力を強める。
その度に苦しそうな声が漏れ聞こえてきた。
憎しみでも怒りでもない、純粋な殺意を以て、俺は魔王の首を絞める。
段々、頭の中で響いていた罵声が小さくなっていく。
魔王は目を閉じた。
「この感触、忘れないでね」
いやにはっきりとした声。
直後、腐った木の潰れるような音がして、彼の首は完全に折れた。
……死んだ。
俺はふらりと立ち上がり、剣を引き抜く。
すると僅かだったひびが一気に大きくなって、あっと言う間に彼の体が砕け散った。
その破片もさらに砕け、風に吹かれた塵のように跡形もなく消える。
一部始終を見届けた俺は、息を吸って、吐いた。
彼がいた場所に目を落とし、少し彼に思いを馳せてみる。
平和な生活、仲間、幸せ、正常な心、人間としての体と命。
――すべてをなくした、その先で。
少年はエゴと対峙した。
そして、負けた。
最後に残った希望さえ、奪われたのだ。
他でもない俺によって。
「『フウツ』……」
俺は彼の名を呼ぶ。
受け取る相手はおらず、それは薄暗い闇の中に吸い込まれて行った。
「……帰ろう」
呟き、俺は踵を返す。
後悔も罪悪感も無かった。
ただ俺は、自分のために彼を殺したのだと……そのことだけを、噛みしめていた。




