築くは千載、壊すは刹那
それは本当に突然だった。
「俺」が17歳になる年の初夏のことである。
その日、「俺」たちはツジ国の平原をのんびりと歩いていた。
「なかなかどうして、どの国も一向に引き下がらんのう」
赤黒い空の下、エラが半ば呆れたように言う。
他愛ない世間話の中の、軽い愚痴である。
「きっと、なまじ勝算があるばかりにムキになっているのですわ」
「国民からしたらいい迷惑ですけどね。そろそろ大人しくしてくれないと……」
「勝ってる方でも負けてる方でも、みんな荒んでるもんね」
「お姉さんとしては可愛い者同士で仲良くしてほしいんだけど、ままならないものね」
「俺は半分くらい滅びてくれて構わないがな」
なんてことはない、いつもの会話。
半日後にはもう忘れているような、日常の一場面。
「俺」も何か言おうと、口を開いた。
――その時である。
エラの顔色がサッと変わった。
「ヒトギラ、障壁を!」
いつになく緊迫した様子の彼女に応じ、ヒトギラはすぐさま「俺」たち全員を覆う障壁を展開する。
何事かと尋ねる前に、ズズン、と大きく地面が揺れた。
「俺」たちはバランスを崩してよろめく。
「うわ、っと」
危うくこけかけた「俺」を、ヒトギラが受け止めた。
「ごめん、ありがとう」
「気にするな。それより」
「俺」に添えられた彼の手にぐ、と力が入る。
「何か、来るぞ」
魔力が巡り、障壁がさらに厚くなるのを感じた。
不気味な沈黙。
その場の全員、無論「俺」も、そして普段ならヒトギラに突っかかるであろうデレーでさえも、口を閉ざして周囲を警戒している。
心臓の鼓動がやたら響く。
唾を呑み込むことさえためらわれる。
視界の端で、遠くの木が、僅かに揺れる。
次の瞬間、凄まじい衝撃が障壁を打った。
耐えたのは1秒か、それ以下か。
障壁にひびが入る。
激流に押されるような感覚。
鞭でいっぺんに全身を打たれるような感覚。
目に見えないそれは思考をも吹き飛ばし、気が付けば「俺」は仰向けで地面に倒れていた。
「いっ……」
軋む体を無理矢理に起こす。
よほどの衝撃波だったのだろう、周囲の草木は残らずなぎ倒されていた。
「み、みんな、大丈夫……?」
「無事ですわ! でもああフウツさん、なんてお労しい……申し訳ございませんわ私では力及ばずあなたに痛い思いをさせてしまうなんて本当にどうお詫びすれば良いのか!」
ひとまずデレーは元気みたいだ。
半泣きで「俺」に抱きつく彼女をなだめつつ、ぐるりと周囲を確認する。
少し離れた所にいるもののヒトギラも無事、トキと、彼を抱えて守ったらしいフワリも目立った怪我は無い。
エラは依然として深刻そうな表情をしているが、一応は大丈夫そうだ。
あとは……。
「アクィラは?」
いつもならデレーの傍にいるはずの彼女の姿が見えない。
どこに行ったのだろう。
「こちらですわ」
やっと落ち着いたらしいデレーが、「俺」に斧を見せる。
なるほど、その中に逃げ込んでいたのか。
「アクィラ、もう出て来て大丈夫だよ」
「俺」は斧に向かって話しかける。
数秒の間を置き、キラキラとした光の粒が斧から溢れ、やがてひとところに集まって人の形を成した。
「よかった、君も平気そうだね」
これで全員の無事を確認できた、と「俺」はほっと胸を撫でおろす。
「悔しいですけれど、ひとつ借りができてしまいましたわね」
「どういうこと?」
「アクィラさんが斧に入って、そこから私に守りの加護をかけてくださったんですの。おかげで私は無傷で済みましたのよ」
よく見ると確かに、彼女には擦り傷ひとつ無い。
さすが精霊、と「俺」は感心した。
「欲を言うなら、私なんかよりフウツさんを守っていただきたかったとは思いますけれど……借りは借りですので。必ずどこかで返させていただきますわ、アクィラさ――」
デレーの言葉が止まる。
その目は大きく見開かれ、驚愕に満ちていた。
彼女の見ている方へと、「俺」も視線を動かす。
そこには先ほど斧から出て来たアクィラが立っていた。
が。
「あ、アクィラさん……?」
右腕の、肘から先が無い。
まるで壊された人形のように、さっぱり無くなっていた。
それだけではない。
彼女の土でできた体は、あちこちから侵食されるように次々と崩れ落ちていっている。
腕が、足が、顔が。
ぽろぽろと、少しずつ欠けては消えていく。
「何、何が、どうなっていますの!? ちょっとアクィラさん、しっかりしてくださいまし!」
アクィラは答えない。
ただ諦めたように、静かに笑うだけ。
デレーの声で異常に気付いた他のみんなが、慌てて駆け寄ってくる。
「何とか仰いなさい! いつもの減らず口はどこに行きましたの!?」
声を荒げ、叱咤するデレー。
と、そこでやっとアクィラは口を開いた。
「……ごめんなさい」
掠れた、か細い声だった。
「俺」はその声色を聞いて、ああもう彼女は助からないんだ、と悟ってしまう。
「お姉さん、もう……駄目みたい」
「馬鹿なことを言わないでくださいまし! あなたは精霊でしょう、無駄に長生きする種族でしょう! 何を弱気になっているんですの!」
そうしている間にも、アクィラの体はどんどん壊れていく。
とうとう足が完全に消え、宙に浮く力も無くなったらしい彼女は地面に倒れ込んだ。
「ねえ、お願いですから……悪い冗談はやめてくださいまし」
デレーは膝をつき、まだ残っているアクィラの体をそっと包むように抱える。
何か、何か手立ては無いか。
必死で考えるも「俺」にはどうすることもできず、ただ立ち尽くすだけだ。
情けない。
「……私を守るために、力を使ったから……ですの?」
一転して弱々しい声で紡ぐデレーに、アクィラは微笑みを向けた。
「ふふ……自惚れないでちょうだい。貴女を守ろうと、守るまいと……それこそ、斧の中にいたままでも……どのみちこうなっていたわ」
言い終えると同時に、両腕も完全に消滅する。
首と胴体だけになった彼女を、デレーは強く抱きしめた。
「っこんな無様は許しませんわ! それでも、それでも私の……!」
嗚咽に紛れ、それ以上の言葉は出て来なかった。
ただただ、デレーの押し殺したような泣き声だけが辺りに響く。
そして。
「私……幸せだったわ」
「俺」たちが見守る中、その言葉を最期に。
アクィラは塵のひとかけらも残さず消滅した。
あっという間の、出来事だった。
重苦しい空気が首を絞める。
何もできなかった。
アクィラにも、デレーにも。
無力感と、恐怖にも似た後悔が目の前を暗くした。
「消滅……維持不能状態…………魔力の変質……?」
ずっと俯いていたエラがバッと顔を上げる。
「まさか……! あやつら、何も学んでおらんのか!?」
それはおそらく、驚愕と深い失望の言葉。
アクィラがああなってしまった理由に、思い当たる節があったようだ。
「エラ、どういうこと?」
フワリがいつもと変わらない、しかし悲しみに満ちた表情で問う。
彼のみならず、みんながその答えを知りたがっていた。
大切な仲間がほんの数十秒のうちに消し去られてしまった、その原因を。
注目が集まる中、エラはゆっくりと語り始めた。
「おぬしら、旧王都での事故の話は覚えておるな?」




