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不埒

 夜になってもなお、町は平和であった。


 のんびりと店じまいをする人や家の前で談笑する人たちの表情には、少しも「夜」への恐れが無い。

 昼間より静かになっただけで、その穏やかな空気はちっとも変っていないのだ。


 しかも驚くべきことに、友人と遊んだ帰りだろうか、子どもが1人で歩いてすらいた。

 あんな無防備にいたら攫われちゃうぞ、と思わずハラハラしたが、それほどに治安が良いということだろう。


 誰も彼も、まるで悪を知らないような顔をして。

 居心地が悪いわけではないものの、「俺」にはどこかしっくり来なかった。


 見慣れない光景の中を歩き続け、「俺」たちはほどなくして教会に辿り着く。


「神徒様、まだいるかな」


「周りの様子からして、もう帰っているかもしれませんわね。ですが盗みに入るわけではないのですし、何よりここは教会ですわ。お邪魔しても問題は無いでしょう」


 そう言いながら、デレーは扉を開ける。


 まあそれもそうだ。

 やましいことが無いのなら、堂々としていれば良い。


 中は変わらず静寂が満ちており、窓から差し込む月明りがその雰囲気をいっそう強くしていた。

 一方で蝋燭やランプなんかは点いておらず、神徒も不在のようだ。


「確かヒトギラさんを看てもらったのは、この辺りでしたわね」


 「俺」はデレーと共に、記憶を頼りにして場所を探る。


 入り口から見て右側の、3……4列目だったっけ。


 月明りがあるとはいえ、影になっている部分はさすがに真っ黒で何も見えない。

 そういう所は、手を這わせて確認していった。


「あっ! ありましたわ!」


 ほどなくして、デレーが歓喜の声を上げる。

 手には小さな巾着袋。

 目的の物を見つけられたようだった。


「中身も無事ですわ。ああ良かった……」


 誰のかもわからない人の髪を欲しがる人間がいなかったことに、「俺」も安堵する。

 いや、いてたまるかという話ではあるが。


「じゃあ宿に戻ろっか」


「ええ。お付き合いいただき感謝いたしますわ」


 と、踵を返したその時。


 ガタン、と何か……椅子か机かが動く音がした。

 反射的に「俺」とデレーは身を強張らせる。


「奥の方からしましたわね」


「うん。……一応、確認する?」


「フウツさんがそう仰るのなら、お供いたしますわ」


 この町の様子からして、わざわざ教会に盗みに入る輩がいるとは思えないが、万が一ということもある。

 神徒にはヒトギラの怪我を治してもらった恩もあるし、もし泥棒がいたら追い払ってあげたい。


 「俺」とデレーは足音を忍ばせ、ゆっくりと奥へ進みだした。


 正面向かって左奥には、物置かどこかの部屋に繋がっているであろう扉がある。

 見たところ視界に異変は無いから、音の出所は十中八九あそこだ。


 扉の前までやって来て、「俺」はそっと取っ手を握った。

 デレーと目を合わせ、頷き合う。


 腰の剣を構える動作を想像しつつ、一気に扉を開け放った。


「動くな! こんなところで何して……る……」


 泥棒を威嚇するべく張り上げた大声が、尻すぼみになって途切れる。

 「俺」は一瞬、開けなければよかったと後悔しかけた。


 部屋の中に誰もいなかったからではない。

 ただ「俺」が多少の恥をかくだけなら、別に構わない。


 ……むしろ、そうであればどんなに良かったか。


「神徒様」


 デレーが静かに口を開いた。


「随分と、楽しそうですわね?」


 小窓から降り注ぐ月光が、神徒の姿を照らし出している。

 彼は背を丸めて長机の上に覆いかぶさっていた。


 否。

 机を台にして、幼い少年を組み敷いていた。


「お、おやあなた方は昼間の。これは、その、違うんです。決してあなた方が想像しているようなことでは――」


 ぼこ、と鈍い音が響く。


 神徒が何か言い訳をする前に、デレーが彼を殴り飛ばしていた。


 彼女は彼を片足で踏みつけながら言う。


「よくもフウツさんの善意を踏みにじってくださいましたわね? フウツさんが、本来ならばあなたごときには一生かかっても手に入れらないはずだった至上の幸福を与えてくださったというのに、それを台無しにした挙句フウツさんの心を傷付けた……。あなたは価値無しの塵から害虫になったのでしてよ。わかりましたわね、さあ疾くお死になさいませ」


 どうやら少年を助けようという意志はこれっぽっちも無く、ただ「俺」がどうのといういつもの行動理由だったらしい。


 予想だにしないことを責められ、神徒も目を白黒させている。

 「俺」は2人を尻目に、机の上で呆然としている少年に話しかけた。


「あー、えっと、大丈夫?」


「はあ……ええ、まあ大丈夫ですけど。……あとちょっとだったのに……」


 意外にも落ち着いた様子で語る少年。

 口調も雰囲気も、見た目よりずっと大人びている。


「あとちょっとって、何が?」


「……見たらわかりますよ」


 彼はデレーの足の下でもがいている神徒めがけて、何かを放り投げた。


 それはほんの小さな瓶のようで、蓋が開いていたのか(あるいは開けていたのか)、神徒の顔に直撃すると中から液体が飛び出る。

 液体は粘性が高く、顔の表面にへばりついて緑っぽい染みをつくった。


「あ、そこの鞄とってくれます?」


 行動の意図が読めず疑問符を浮かべる「俺」に、少年は机のわきに置いてある鞄を指して要求する。


「? わかった。はい」


 「俺」が鞄を拾って彼に手渡すと、彼はその中からノートとペン、インク壺を出して、何かを記しだした。


 と同時に、神徒の様子に異変が起こる。


「グッ……グ、グ」


 彼は急に全身を強張らせ、空気の塊が詰まったみたいな声を出し始めた。


「あら? いかがなさいましたの?」


 足もどけないまま、心配のしの字も無いような調子で声をかけるデレー。

 しかし彼女の言葉にも反応せず、神徒は歯を食いしばり、目を見開く。


 彼の異常はまだ続いた。

 青いような赤いような、とにかく異様な顔色をして、ときおりピクピクと細かく痙攣する。

 次第に痙攣の回数が多くなり、反対に声、というか音は小さくなっていく。


 さすがに気味が悪くなったのか、デレーが足を離した瞬間、彼はひときわ大きく痙攣して動かなくなった。


「……死にましたわ」


 デレーが神徒の手首を触って言う。


「死……?」


 展開が急すぎて頭が追い付かない。


 神徒の不埒な行為を目撃してしまって、デレーが怒って殴りかかって、被害者の少年に声をかけたら謎の液体を……。


「ん?」


 「俺」は少年の方を見る。


 彼は熱心にノートに文字を連ね続けていた。

 今しがた、目の前で人が死んだというのに。


「あのー、もしかしてさ」


 有り得ない、有り得ないでくれと思いつつも、「俺」は憶測を口にする。


「君が投げたの、毒だったりする?」


「はい! そうですよ!」


 パッと顔を上げ、少年は明るく言い放った。

 勘弁してくれ。


「お兄さんも毒物に興味がおありで?」


「無いよ! ていうか何してんの!?」


「もちろん、実験です。まあこれは失敗ですが、挑戦なくして成功は掴めませんからね!」


 言葉は通じるのに、まるで意味がわからない。


 最初にデレーに言い寄られた時にも似た、いやそれ以上の目まいが「俺」を襲う。


 根本の認識が乖離しすぎて、人間の皮を被った別の生物を相手にしているような気さえしてくる。

 明らかに、少年は「俺」とは違う世界を見ていた。


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