悲鳴は届かず
「さてと」
ゼンは立ち上がり、イリアに歩み寄る。
「どうする? キミが降参するというのなら、命までは取らないが」
「……卑怯者」
「ん? ああ……まあ確かに、仲間を囮にしたのは少々卑怯だったな」
忌々しげに言う彼女に、ゼンは頬をかきながら答えた。
「いつも、そう。あなたたちはそうやって、人を騙して、正義を気取ってる。いつだって、自分のことしか考えてない。身勝手な理由で他人を陥れる」
「む、それは言いがかりだぞ。オレたちは――」
「うるさい!」
思わず肩が跳ねる。
それまでの静かな口調からは考えられないほどの、荒々しい大声。
イリアは激昂していた。
「あなたたちの言葉なんて聞きたくない! あなたたちのせいで、城のみんなを殺さなくちゃいけなくなった。私はそんなの嫌だったのに! あなたたちのせいで!」
思いもよらぬ発言に、俺は耳を疑う。
殺した?
魔王城の人たちを?
困惑する俺たちをよそに、彼女は悲鳴を上げるように話し続ける。
「みんなおかしくなった。魔王様は間違ってるって、魔王様は悪者なんだって、みんなそう言うようになっちゃった。あなたたちの嘘を信じて、魔王様に歯向かおうとした! まともなままだったのは私とアルケだけ。あなたたちが、レジスタンスがバラまいた嘘のせいで、他のみんなを殺すしかなくなった」
気付くと、イリアは涙を流していた。
言っていることはめちゃくちゃなのに、その涙に偽りは無く。
そこには噛み合わない歯車にも似た、妙な不気味さがあった。
「あなたたちに魔界は渡さない。魔王様の願いは邪魔させない」
パキパキと音を立て、イリアの腕から刃が生み出される。
だがそれは戦闘時に使用していた小さなものではなく、変化した腕と同じくらいの大きさのものだった。
「まだそんな力が……!?」
最後に一矢報いようというのか。
大剣を投げてしまった今、ゼンは丸腰だ。
俺は急いで剣を抜き、彼の前に出る。
「死ね、死ね! 死んでしまえ!」
イリアが叫ぶと同時に、その禍々しい刃が――彼女の背中に突き立てられた。
「え……」
俺は呆然とする。
刃は彼女の薄い体を床に縫い留めるように、深く深く刺さっていた。
少し遅れて、血がとくとくと流れ出す。
どう見ても、もう助かる傷ではなかった。
やがて刃は崩れ去り、腕の変形も解けてきれいな右腕が姿を現す。
広がり続ける血溜まりが彼女の耳飾りを色付ける頃、ようやく俺は我に返った。
「し……死んじゃった、のかな」
わかりきっていることを口に出す。
「……残念だが、そうだな」
ゼンはイリアの傍らに膝を付き、彼女の瞼をそっと下ろした。
「この人、レジスタンスが嘘を吹聴した、みたいなことを言ってましたけど。そんなことしてませんよね?」
なんだか腑に落ちなさそうな表情で、トキが問う。
「ああ。一般市民にも噂という形で情報を広めていたが、全て真実……魔王の所業に関するものだ。誓って、嘘は無い」
「ですよね……。うーん、思い込みの激しい人だったってことでしょうか。聞いた限りではもう1人の方も同じ具合らしいですし、厄介ですね」
聞く耳を持ってくれないことには、情報を引き出すことはおろか、話し合いすらできない。
となると、もし勝てたとしてもイリアのように自害されてしまう可能性が高い。
俺たちは何も、相手を殺したいわけではないのだ。
できることなら、話し合う余地も余裕も無い魔王以外は、誰も傷付けたくない。
「でも、まさか城内の人が全員殺されてたなんてね。相手の戦力が減ったのは事実だけどさ、喜ぶに喜べないよ」
「まったくだ。さて……それはそうと、魔王側の戦力は残すところ各地の駐屯兵およそ100人とアルケのみか」
魔界の兵士は、人間界の騎士とは比べ物にならないほど少ない。
というのも、魔王があまりにも強い上に魔族自体も基本的に人間より強いため、兵を常備しておく必要が極めて低いのだとか。
1000年前のあれは広大な人間界を侵略するためだったから例外として、外敵から身を守る手段などは用意しなくてもいい。
駐屯兵たちも、実質的には情報伝達係くらいのものらしい。
「だが、アルケがいないところを見ると前者も生きているか怪しいところだな。まあ生きていると仮定して、次はアルケの居場所を……む?」
ゼンは言葉を止め、窓の方を見る。
つられてそちらに視線を向けると、ひらひらと白い蝶が飛んできていた。
蝶はゼンの目の前まで来ると、ぱちんと弾ける。
自然のものではなく何らかの魔法なのだろう、後にはきらきらとした粉が宙を舞った。
「ふむ」
ゼンはゆっくり落ちていく粉に触れ、口元に手をやる。
「みんな、住民の避難が完了したそうだ。一度ここを出て、カランたちと合流しよう!」
「わ、わかった。あ、えっと……」
はた、とイリアの死体が目に留まる。
魔王を崇拝する敵とはいえ、彼女をこのままにしておくのは忍びない気がした。
いや、でもまだ戦いは始まったばかりだ。
甘いことを言っている場合ではない。
「……やっぱ何でもない。行こっか」
無理矢理に溜飲を下げ、俺は踵を返した。
「うん、行こう。時間も無いしね」
後ろからフワリの声がする。
そうだ、俺も彼を見習って割り切らなきゃ……と、思って何気なく振り向くと。
「で、どこにする?」
平然とした顔でイリアを持ち上げる彼がいた。
それはもう、作ったばかりの作品を移動させます、みたいな自然さで。
「そうだなあ……ひとまず、あっちの部屋に寝かせておこう」
「ゼン!?」
「ん? どうした?」
「や、その……」
俺は口ごもる。
彼が一番、こういうのは気にしない……否、気にしないふうに振舞うものだと思ってたんだけど。
「フウツ、いいか」
ゼンは俺の肩に手を置いた。
「どんなことがあっても、心を殺してはいけない。ひとたび『それ』をしてしまうと、癖になってしまうからな。そしてその癖はとても治りにくく、終いには体まで殺してしまう。くれぐれも、気を付けるんだぞ!」
「う、うん……!」
じわ、と目の奥が熱くなる。
そっか。この感情は、このままでいいんだ。
「話終わった?」
「ここは空気読んでくださいフワリさん」
「? ボク空気くら読め――」
フワリの言葉が止まる。
どうかしたのと聞く前に、俺は異変を目にした。
彼の抱えるイリアの体が、あろうことか溶けだしたのだ。
「えっ、えっ!? 何……あっ見ちゃ駄目!」
俺は慌てて横にいたヒトギラの目を隠した。
肉が腐り落ちるのを早めて見せられているかのように、あれよあれよという間に彼女の体は崩れ、液体になっていく。
最後には骨どころか、フワリの腕をすり抜けて床に零れた液体さえも、跡形も無く消えてしまった。
残ったのはイリアが着ていた服と耳飾りだけ。
不思議と臭いは感じなかったが、かなりショッキングな光景だった。
当のフワリは「わあ、消えちゃった」とあっさり言っているが、あれは彼の精神が強靭すぎるがゆえだろう。
俺だったら絶対に悲鳴を上げている。
「いったい何が……ん? また伝令か」
呆気にとられていると、先ほどと同じ白い蝶がやって来て、同じようにはじけた。
が、粉に触れたゼンの顔色がサッと変わる。
「マズい、緊急事態だ! 今すぐ戻るぞ!」




