息つく間もなく
ドクドクと心臓がうるさく脈打つ。
一歩、また一歩と踏み出すたびに、喉を絞められるような圧迫感が増した。
この先にあるものを見てはいけないと、直感が騒いでいる。
「みんな、念のため戦闘準備を」
ゼンが緊迫した様子で言った。
彼もまた、ただならぬ気配を感じているようだ。
そうして、俺たちは件の建物の前で立ち止まる。
建物は縦長の3階建てであるようだった。
しかし肝心の3階部分は屋根と共にほとんど崩れ落ちており、めちゃくちゃになった部屋がむき出しになっている。
壊れてからそう時間は経っていないようで、ところどころで土煙が立っていた。
2階と1階も、原型こそ留めてはいるものの凄惨さは勝るとも劣らない。
壁には無数の小さな穴、加えて正面から見ただけでも2か所、大きく崩れた痕がある。
さらに建物全体が傾き、隣の建物に寄りかかるかたちになっていた。
『友好会』の拠点もかなり損壊していたが、これはそれ以上の惨状だ。
「む! 人がいる!」
そう叫び、ゼンは瓦礫を飛び越えて空いた穴から中に入って行く。
俺たちも彼に続き、念のため周囲に注意を払いながら建物内へと踏み込んだ。
真っ先に視界に飛び込んで来たのは、血濡れの床に倒れる1人の女性。
肩から腹部にかけて大きく切り裂かれた痕があり、床の血が全て彼女のものなのだということが否応なしにわかった。
「キミ、大丈夫か!?」
ゼンが急いで駆け寄り、上着を脱いで傷口を押さえる。
しかし彼女は弱弱しく浅い呼吸を続けるだけで、意識を取り戻す気配が無い。
「くっ……。3人とも、他の生存者を探してくれ。オレはこの人を医者に連れて行く!」
「わかった!」
できるだけ慎重に女性を抱え、ゼンは建物を飛び出す。
この広さだと、たぶん隣にもうひとつ部屋があるだろう。
俺は残る2人と共にひしゃげた扉を引き剝がして、廊下に進んだ。
廊下にもまた、激しい争いの痕が残っており、天井の板が割れて落下しているところもあった。
奥を見ると案の定、隣室の扉と2階に続くであろう階段が。
とにかく、まずは近いところからだ。
俺は隣室の、これまたひしゃげた扉を壊して中に入った。
「……誰も、いない?」
「そうですわね」
先ほどの部屋とは打って変わって、がらんとしている。
争いの痕も比較的少なく、ただ一か所、隅にあるクローゼットだけが横に真っ二つに斬られていた。
他にも机や椅子などが置いてあるが、それらはひっくり返されているのみ。
故に、クローゼットがやけに異質に映る。
「なんでこれだけ壊されてるんだろう?」
「おそらく先ほどの……いえ、それより上に向かいましょう。血痕もございませんし、生存者がいたとしても既に自力で逃げていますわ」
「そっか、それもそうだね」
俺たちは部屋を後にして階段を昇りだしたが、途中に大きな瓦礫があって進めない。
一応、隙間はあるが通れるほどではなく、さらに「詰まっている」と言って差し支えないほど、瓦礫はみっちりと行く手を阻んでいた。
「邪魔だな。壊すか」
「うん、お願い」
ヒトギラは杖を構え、大きな水の球を生じさせる。
そうしてそれを勢いよく瓦礫にぶつけ、砕いた。
「よし」
「ありがとう、これで通れ――」
ふ、と。
生ぬるい空気が頬を撫でた。
ただ生ぬるいだけじゃない、どこか嫌な感じの空気だ。
デレーとヒトギラも気付いたようで、怪訝な顔をする。
瓦礫を壊した途端に、ということは2階の空気なのだろうが、1階と2階でこんなに違うのはいささか不自然だ。
上で何かが起きたに違いない。
「行こう」
腹をくくって、俺は足を動かす。
階段自体はさほど損傷しておらず、あの瓦礫以外には障害物も無かった。
だが一段、また一段と昇るたびに気温が上がっていく気がする。
やがて2階に到達する頃には、俺たちは皆じんわりと汗ばんでいた。
2階の廊下も壁に穴が空いており、3階へと続く階段はまたもや瓦礫に遮断されている。
敵はいないかと警戒して見回すが、その気配は無い。
「いやに暑いね」
「ええ。それに少し、焦げ臭いですわ」
すん、と空気を吸ってみると、確かに何かが焦げたみたいな臭いがした。
それもあまり嗅ぎなれない、率直に言って不快な臭いだ。
「ここで誰かが戦って、炎でどこかが焼けたのかも」
「そうですわね。……あら」
デレーがパッとと扉の方を見やる。
つられて俺もそちらへ視線を移動させ、そこであることに気が付いた。
「あれ、扉だけきれいなままだ」
周囲の壁や床、天井にひびが入ったり穴が空いたりしたいる中、2つの扉は傷ひとつ無い状態でそこにある。
「誰かがここに障壁を張って立て籠ってたのかも!」
もしくは、未だ隠れ続けているのか。
どちらにせよ、生存者がいる確率は高い。
「なら俺は向こうの部屋を見てくる」
「わかった、よろしく!」
隣の部屋を確認しに行くヒトギラを尻目に、俺はドアノブに手をかけた。
が、見えないだけでどこかに歪みが生じているのか、なかなか開かない。
「ふっ、んんっ……!」
「お貸しくださいまし、私が開けて差し上げますわ」
「ご、ごめん」
俺はお言葉に甘えてデレーに交代する。
悲しいかな、魔法抜きでの純粋な力は彼女の方が強いのだ。
デレーが斧を肩で支えつつ両手でドアノブを持った、その時。
「う、っぐ」
ヒトギラの苦しげな声がしたかと思うと、ごぷ、という音と共に液体が硬い床にぶつかる音が聞こえた。
見ると、彼が扉の前で膝をつき、背中を丸めて嘔吐していた。
ごぽ、ぐぷ、と何度かに分けて吐瀉物が吐き出される。
「ヒトギラ!? どうし――」
「来るな!」
慌てて駆け寄ろうとする俺を、ヒトギラは制止した。
「……来なくて、いい」
彼は杖を支えにしてふらふらと立ち上がり、こちらに戻って来る。
尋常じゃなく顔色が悪い。
「生存者はいない。そっちの扉も、もう開ける必要は無い」
「ヒ、ヒトギラ……」
何を見たの、とは聞けなかった。
代わりに肩を貸そうとしたが、彼はやんわりと俺を避けて、そのまま階段の方へと歩いて行く。
俺はヒトギラにどう声をかければいいのかわからず、けれど何もしないままではいられなくて、結局いつものように彼の隣を歩くことにした。
階段を下り、最初の部屋を通って建物を出る。
ゼンはまだ帰ってきていないようだった。
「……えっと、入れ違いになるといけないし、この辺りで待ってよっか」
「ええ、そうしましょう」
俺たちは建物から少し離れる。
空を見上げると、ちらちらと星が瞬きだしていた。
「世界が違っても夜空は同じって、なんだか不思議だね。どこの神様も、きらきらしたものが好きなのは変わらないのかも」
俺は星空を指差しながら言う。
我ながらこっ恥ずかしいが、とにかく何か喋っていようと思った。
「ほら、あの星とか、特に明るくて綺麗じゃない? ちょっと赤っぽくて……あ」
赤から藍に変わりゆく空に、ふと影が見えた。
鳥にしては大きいそれは、羽ばたきながらこちらに飛んでくる。
「ゼン、じゃない?」
彼の変身した姿かとも思ったが、近付いて来るにつれはっきり見えてくるシルエットがどうも違うことに気付いた。
どうやら翼の生えた魔族のようだ。
周辺住民か、そうでなければ……。
「っ危ない!」
突如、上空から何かが投擲された。
俺は間一髪、それを剣で弾く。
軌道を変えられたそれが地面に突き刺さったところで、投擲されたのが槍だということがわかった。
同時に、あの人物が敵であると理解する。
「こんな時に……!」
つい嘆いてしまうが、戦うほかどうしようもない。
俺は次の攻撃に備えて剣を構えた。




