稀によくある
全身から血の気が引く。
慌てて近くにあった置物の陰にしゃがんで隠れると、直後に扉が開く音がした。
ヴィヌさんが顔を出したのだろう。
「……気のせいですか」
数秒か数十秒かの後、扉の閉まる音がする。
間一髪、なんとか助かった。
俺は声を出さないようにそっと溜め息をつく。
あとは何食わぬ顔でみんなのところに戻って、俺が黙ってさえいれば彼女の尊厳は守られる。
と、立ち上がろうとした瞬間。
「おいフウツ、なにやってんだ?」
上から声が降って来た。
一番来てはいけない人、リュキである。
「え、えーっと」
「んだよビビってんのか? 俺の手を掴んだ時の威勢はどうしたよ」
どうやら彼女は、俺が怖気づいてヴィヌさんの部屋に貼れないでいると思っているらしい。
良くない疑いをかけられるよりはマシかもしれないが、これはまた厄介なことになった。
「リュキはあっちで待ってるんじゃなかったの?」
「テメエがおせーから見に来たんだよ。おら、俺がいるなら怖くねえだろ。一緒にあいつのツラを拝んでやろうぜ」
「待って! ちょっと待って、こっち来て」
とにかくまずはヴィヌさんに気付かれないよう、距離をとらなければ。
俺はリュキの手を引いて階段のところまで戻る。
「やっぱりやめない? 俺たちが行っても逆効果だし、ひとりにしておいてあげようよ」
「はあ?」
思いきり訝しげな視線を向けられるが、ここは多少強引にでも引き返させるべきだ。
リュキがヴィヌさんに、俺がずっと部屋の前にいたことを勘付かせるような発言をしないとは限らない。
「じゃあテメエは戻ってろ。俺もちょこっと覗き見したら退散するからよ」
「いや、でも……!」
駄目だ。
これ以上、何と言ったらいいのかわからない。
ひとつも言葉が出てこない。
それでも俺は、なけなしの知識とか記憶とかを総動員してあがく。
何かないか、リュキをヴィヌさんに会わせられない理由が何か……!
「リュキさん」
コツ、と軽やかな足音。
ふわりと空気が動く。
振り向くと、少し離れたところにデレーが立っていた。
リュキと同様に、様子を見に来たのだろうか。
彼女は悠々と歩いてくる。
そこで、俺はふと気付いた。
彼女が背を向けているのは、階段から見て右方面。
右方面というと、先ほどまで俺たちがいた、幹部たちの部屋の並び。
さらに言えばそこは突き当たりになっていて、入るためには俺たちが今いる階段を通る以外に無い。
つまり俺がヴィヌさんの部屋を覗いた時、彼女もまたそこにいたということになる。
ということは、まさかデレーも「あれ」を聞いていた……!?
「デ、デレー……!」
お願い、言わないであげてと俺は視線で訴える。
俺の思いが伝わったのか伝わっていないのか、デレーはにこりと笑い、再び口を開いた。
「皆さんのところへ戻りましょう、リュキさん」
「テメエもかよ。つーかテメエ今どっから歩いてきた?」
「今は誰も彼女の部屋に立ち入ってはいけませんわ」
「おい無視してんじゃねえよ」
リュキの問いなど意に介さず、話し続けるデレー。
まさに強行突破である。
俺もあのくらい強く出られたらなあ……。
「よろしくって、リュキさん。これにはきちんと理由があるのでしてよ。フウツさんや私が口に出せないような理由が」
一言一言をかみ砕くように、デレーは丁寧に言う。
「それはごく個人的なことですわ。決して組織に不利益を生じることではありませんので、そこはご安心くださいまし」
「ふーん? 要するに、あいつが人に見せたくないような恥ずかしいことしてた……ってわけだな?」
「ええ。ですから、どうか」
「はん、そうならそうと言いやがれ。おら戻るぞ」
驚くくらいあっさりと、リュキは踵を返して階段を下りて行く。
もっと食い下がると思ったのに、意外だ。
「じゃ、俺はボスをお連れするからよ。テメエらは先に部屋行ってろ。共闘相手だってことを誓う言葉くらいは考えとけよ」
「わかった。あ、けど結局ヴィヌさんは賛成してないよね? 共闘するって決定しちゃって大丈夫なの?」
「いーのいーの。あいつやたらプライド高いからさ、素直に『賛成する』って言えないだけなんだよ。特にああいう退散の仕方の時はな」
そう言って、リュキは微笑む。
ヴィヌさんが彼女を好く理由が、少しわかった気がした。
さて、部屋に帰ってみると、ちょうどゼンがクーキヨさんじゃない方の幹部の青年と喋っているところだった。
「おお、戻ったか!」
ゼンがこちらを向く。
「うん。なんか楽しそうだね」
「楽しいとも! 彼……オーレイアとオレはなかなか馬が合うらしい。不思議と会話が弾むんだ」
な、とゼンがオーレイアさんに同意を求めると、彼は愉快そうに大口を開けて笑った。
「ぎゃはは! お前みてえな奴なら、誰とでも弾むだろうさ!」
「む、そうか? キミの方にこそ、相手を楽しませる才があると思うぞ」
「そういうとこだよ、そういうとこ!」
どちらにせよ、仲良くやれているようでひと安心である。
俺はヒトギラの横の椅子に腰掛けた。
デレーは俺の隣に座る。
「……大丈夫だったか」
ふいにヒトギラが言う。
「ん、何が?」
「あの幹部の部屋に行っていたんだろう。デレーが後を追いかけて行ったし、途中からガキの幹部も出て行った。面倒事に巻き込まれたんじゃないのか」
「あー、確かにちょっと困ったけど……面倒事って言うほどでもなかったよ。デレーがなんとかしてくれたしね」
「うふふ、フウツさんのお望みとあらば、ですわ」
すると突然、クーキヨさんがにょきっと後ろから顔を出して聞いてきた。
「ねえ、もしかしてヴィヌの奇行の話してる?」
「えっ」
ヴィヌさんの奇行、とは十中八九さっきのアレだろう。
あれ? この人、知ってるの? と困惑する俺に構わず、クーキヨさんは平然と続けた。
「ヴィヌのあれさ、いつものことだから気にしなくていいよ。本人は隠してるつもりだけど、ボスもオーレイアも知ってるし、ていうか気付いてないのリュキだけだし。それだけ。じゃ」
つらつらと喋り、彼は元の位置に戻っていく。
まさかまさかの新事実である。
いやよくよく考えたら、会って1日の俺が目撃したんだ、長年の付き合いであろう彼らが知らないわけがない。
……実際は、当人たちを除いて、であったのだけれど。
「? おい、何の話だ」
「片想いの話……かな……」




