さよなら地下闘技場
ふ、と目を覚ます。
いやに静かだ。
視線の先には、夜空が見える。
……夜空?
違和感にハッとし、寝起きの虚ろさが一気に晴れた。
そうだ、ここは地下闘技場。
なんで夜空なんか見えるんだ?
目を擦ってよくよく見てみると、桶の底を抜いたみたいに、天井がすっぽり無くなっているではないか。
俺は慌てて起き上がる。
敵襲? みんなは?
観客たちは1人もいなくなっており、舞台の外ではゴダーさんが倒れている。
駆け寄って様子を窺ってみたところ、さして大きな外傷は無く、呼吸も正常のようだった。
そういえば俺はというと、あれだけこっぴどくやられた傷はどこへやら、痛みのいの字も無い。
今さらだが体も普通に動く。
本当に、何が起きたのだろうか。
呆然と立ち尽くしていると、入り口の方からデレーたちが走って来た。
「フウツさん!!!」
「デレー、みんな! ……って何事!?」
俺は驚きの声を上げる。
こともあろうか、デレーたちがみんな血塗れだったのだ。
「フウツ、大丈夫か?」
「こっちの台詞だよ! どうしちゃったのさそんなボロボロになって……!」
俺の身を案ずる言葉をかけてくれるヒトギラも、ズボンが所々赤黒く染まり、上半身はインナー姿になっている。
手袋も無いところを見ると、おそらく他人の血が付きすぎたために脱ぎ捨ててきたのだろう。
「元気そうで何よりだ!」
そう言って笑うゼンに至っては、額を切ったのか顔が半分以上、血で真っ赤なばかりか、片袖が豪快に千切れていた。
「控室で待ってたんじゃなかったの?」
「最初はそうだったんだが、少ししたところでデレーが嫌な予感がするって言うから全員でシハクの部屋まで行ったんだ。そしたらシハクが魔法道具で会場の様子を見てて……」
当然、控室に戻るよう言われたが、直後に観客席から俺に向かって何かが撃たれたのにデレーが気付き、何をしたのだと口論になったらしい。
答えをはぐらかすシハクさんに痺れを切らし、会場に乗り込もうとするも、命令を受けていたであろう他の戦士たちに阻まれて。
室内乱闘になるもこれを制し、突破してきた結果がこの有り様だとか。
「俺が戦ってる間にそんなことが……。シハクさんは?」
「最後まで粘っていらしたけれど、伸して差し上げましたわ。その場で息の根を止めてもよかったのですが、やはりフウツさんの元へ行くのが最優先ですので」
「死人は出してないぞ!」
それならまあ、と俺は胸を撫でおろす。
とりあえずシハクさんには後で謝っておこう。
「それにしても、やるなあフウツ! さては追い詰められて真価を発揮するタイプか?」
オレが見込んだ通りだ! とゼンが俺の肩を叩いてきた。
褒めてもらっているようだが、思い当たる節が無い。
「何のこと? 俺、結局追い詰められっぱなしだったけど」
「またまた~! 謙遜しなくていいんだぞ?」
「ああ、あれは良い一撃だった」
ゼンの言葉に、ヒトギラも賛同する。
さらにデレーは満面の笑みでこう言った。
「見事に天井をぶち抜きましたものね!」
「え」
心臓が飛び跳ねる。
俺が、天井を、ぶち抜いた?
「ま、待って、待って」
空を見上げ、デレーの顔を見、また空を見上げる。
「あれ? あれ、俺がやったの?」
「あら、覚えていらっしゃいませんの? ええ、フウツさんがドカンと一発、炎やら氷やらの混じった魔法でやりましたわ」
あっけらかんと答えるデレー。
ひく、と顔がひきつるのがわかった。
そういえば気絶する寸前に、とにかく何を魔法を……なんて思ってた気がする。
となると、半分無意識に撃てたのか。
しかしこれはどう考えてもやりすぎである。
「観客の人たちを巻き込んだりは……?」
「していませんわ。あそこの薄汚い生ゴミがすっ飛んだだけで、周囲の畜生共は塵芥の風に吹かれるがごとく逃げて行きましてよ」
「そ、そっか」
死人が出なかっただけマシだが、とんでもないことをしてしまった。
これにはシハクさんもカンカンだろう。
せっかくここまで来たのに交渉どころじゃなくなってしまうのは、どうにも申し訳ない。
「さて、シハクのとこに戻るか!」
「そうだね……」
重い足取りで入り口の方に向かうと、こちらへ進んで来る人影が見えた。
「やあ、お疲れ様」
蛇の下半身に、気持ちの良い笑み。
それは他でもない、シハクさん本人だった。
「なんだ、まだ動けたのか」
「はは、よしてくれよ。さすがにもう、戦うほどの力は余ってないんだからさ」
シハクさんは得物を構えるヒトギラとデレーに、両手をひらひらと振って「降参降参」と笑う。
「君らが勘付くところまでは想定内だったんだけどなあ。いやはや、三下戦士共とはいえ、たかだか魔族1人と人間2人に負けるとは」
「何の用ですの」
「何って、青髪クンが勝ったみたいだから、交渉成立の旨を伝えに来たのさ」
舞台の端に腰掛けながら彼は言う。
「約束通り、ジギは好きにするといい。ついでにニギもおまけしてあげよう」
「え、でも……。その、天井が」
「いいよ別に。あのくらい3日もあれば直せる。知人にそういうのが得意な奴がいるんだ。客足は多少減るかもしれないけど、どうせひと月とせずに元通りになる」
シハクさんは驚くほどにあっさりと、俺のやったことを不問にした。
予想していた反応とあまりに違い、俺たちは返す言葉に迷う。
「2人は既に上で待機してるよ。どこへなりとも連れて行くがいいさ。ああ、なんなら返却しなくてもいい。あんな得体の知れない奴とその相方なんか、いつ手を噛まれるかわかったもんじゃない。どっちにしろ、そろそろ処分するかなあって考えてたん――」
「よく喋る口ですこと」
デレーが彼の言葉を遮った。
シハクさんの表情がわずかに固まる。
「……は。どこかの誰かさんたちにボコられすぎて、頭が馬鹿になってるのかも」
「あなた、私たちを試しましたわね?」
笑顔が消える。
その鋭い目でじとりとデレーを見つめ、静かに口を開いた。
「君みたいな奴は好きじゃないな」
地を這うような、冷たい声色。
ぞくりと背中に悪寒が走った。
「あれはただの金儲けだよ。妙な勘ぐりはやめてほしいな」
「ニギさんたちはきっちり帰しますわ。彼女らもそれを望むでしょう」
「急に何の話? いいからほら、行った行った。もたもたしてると魔王軍の連中が来るよ」
しっしっと、シハクさんは手で追い払う仕草をする。
悪寒はもうしないが、彼は冷ややかな表情のままだ。
「……そうだな! さあ行こう、帰ったら夕飯だ!」
歩き出したゼンに続き、俺たちはシハクさんを置いてその場を去る。
――その間際。
「あの子たちは、俺みたいな外道には似合わないよ」
そんな声が聞こえた気がした。
なんだか、知らない人の声のようで、けれど確かに彼の声で。
しかし俺たちは何を言うでもなく、また振り向くこともなく、地下闘技場を出て行くのであった。




