蹂躙
『ルールはいつも通り、いたってシンプル。場外に出るか、降参あるいは死んだら負け! それでは両者、位置について!』
位置……あ、この線のことかな。
俺たちはそれぞれ、大股1歩分くらいの間隔で引かれた線のところに立つ。
いよいよだ。
剣を抜き、構える。
対するゴダーさんは武器を持っておらず、代わりに手にごつごつとしたグローブを付けていた。
関節部分に尖った鉄の装飾もある。
おそらく、バサークのような体術を用いた戦法を使ってくるのだろう。
万が一にも油断はできない。
そしてついに、開始の号令がかかる。
『はじめ!』
シハクさんがそう言い終えるが早いか、ゴダーさんが正面から突進してきた。
巨体に似合わない素早さに驚きつつも、俺はひらりと躱す。
すぐに身を翻し、次いで繰り出された拳もいなしてから、後退して距離をとった。
おお……と周囲から感嘆の声が聞こえてくる。
みんな俺が初撃で沈むと思っていたのだろう。
「さすが雑魚種族、逃げ回るのだけは上手いな!」
「それはどうも」
体勢を整えながら俺は考える。
はてさてどうやって勝とうか。
ゴダーさんはきっと降参なんてしないだろうし、殺さないように手を抜いて……なんてできるほど、俺に余裕があるわけでもない。
殺すのは論外、となれば必然的に残る選択肢は「場外に出す」だ。
あの巨体を押し出すのは困難だろうが、やるしかない。
魔法を使ってなんとかしよう。
俺は息を吸って、吐いて、意識を集中させる。
中心からだんだん端の方まで巡らせていく感じ……。
と、再びゴダーさんが突っ込んで来る。
今だ、と俺は迎え撃つように、剣の柄を突き出した。
「うおっ!?」
手ごたえは良し。
ゴダーさんは弾き返され、反動でよたよたと後ずさる。
いいぞ、掴めてきた。
このまま一気に場外まで押し切ろう――と追撃するも、現実はそう甘くはなく。
「舐めんじゃねえ!」
「わっ」
ゴダーさんが繰り出した拳に、今度は逆に俺が押し負けてしまった。
ふらついたところに打ち込まれる連撃を、すんでのところで避ける。
そうか、相手は魔法に長けた魔族。
彼もまた、俺と同じように魔力で己を強化しているのだろう。
それを上回るほどの魔法を使わないことには、勝ち目は薄い。
俺は慎重に慎重に、魔力の出力を上げていく。
大きな瓶から小さなカップに水を注ぐように、少しずつ。
魔王の力を全部使いなんてしたら、ゴダーさんはおろか、観客や闘技場自体もどうなるかわからない。
そもそも俺はまだ、力を完璧に制御できるわけじゃないし。
だから今の俺に扱える、ギリギリまで。
「オラァッ!!」
ゴダーさんが接近し、懐に潜り込んで来る。
顔目がけて飛んでくる拳を回れ右で避けてから、俺は渾身の一発を彼の横腹に叩き込んだ。
「ぐげっ」
潰れたような声と共に巨体が吹っ飛び、周りからわっと歓声があがる。
場外までは届かなかったが、あと一歩というところだ。
舞台端に横たわるゴダーさんは目を白黒させ、わなわなと震えている。
どうやら上手く起き上がれないようだった。
……なんかヤバいとこを傷付けちゃったりはしてないよね?
まあちょっと卑怯くさいけど、今のうちに外に出してしまおう。
俺は念のため剣を持ったまま、ゴダーさんに歩み寄る。
殺せ、やっちまえ、とかいう観客たちの声は無視だ。
ああでも、きっとブーイングの嵐になるだろうな。
シハクさんは怒るだろうか。
いや、最初に言ってたルールに則っているんだから、悪いことではないはず。
そうして俺はゴダーさんの傍らにしゃがみ込み、彼を動かすべく両手を巨体の下に差し込もうとした。
した、のだが。
にわかに足の力が抜ける。
がくん、と膝から崩れ落ち、地面に手をついた。
なんだ、何が起きた?
剣を突き立てて立ち上がろうとするも、腕にも力が入らない。
倒れ込まないように体を支えるので精一杯だ。
そうこうしているうちに、ゴダーさんがゆっくりと起きだす。
マズい、形勢逆転だ。
「人間ごときが……よくもやってくれたな……」
彼は人間風情に負かされかけたことに、怒り心頭のようである。
鼻息を荒くしながら立ち上がり、俺の襟首を掴み上げた。
なんとか逃れようとするも、ろくに動かない手足では抵抗のしようがない。
俺は糸の切れた操り人形のように持ち上げられる。
観客たちは、いよいよだとでも言わんばかりに沸いた。
「へへっ……こんな薄っぺらな体のどこにあんな魔力隠し持ってやがったんだ?」
ゴダーさんは右手を襟首から放し、代わりに左手で直接首を掴む。
それなりに緩く加減されてはいるが、喉が絞まって苦しい。
「さあ、野郎共お待ちかねの蹂躙タイムだ!」
心の底から楽しそうな声と同時に、鋭い打撃が腹にめり込む。
「っあ……!」
「よおし、まだ生きてるな? どんどんいくぞ!」
続けて2発、3発と拳が飛んで来た。
素の威力もさることながら、グローブの棘が刺さって皮膚が破れ血が滲む。
何発目かで、かろうじて握っていた剣が手を離れて地に落ちた。
手足が自分のものじゃないみたいで、もう全然動かせない。
なのに痛覚は健在だ。
「ううむ、軽すぎて上手くサンドバックにならねえなあ」
しばらくすると、ゴダーさんはそう言って首を捻った。
「そうだ、こうすりゃいい」
かと思うと、ふいにパッと手を放す。
俺は受け身も何も無くべちゃりと落下した。
ゴダーさんは転がる俺を足で小突き、仰向けにする。
そしてその丸太のごとき足を掲げ、思い切り俺に振り下ろした。
「あ、がっ……!」
空気が絞り出されるような声が出る。
めり、と体の中で嫌な音がした。
「ははははは!」
何度も、何度も。
ゴダーさんが足を振り下ろすたびに、どっと笑いが起きる。
駄目だ、このままじゃ負ける!
俺は死に物狂いで魔力を巡らせ、ゴダーさんがさんに向かって地面から氷の柱を生やした。
生やした、というよりやってみたら出てきたのがそれだった、の方が正しいが。
依然として体は動かないが、どうやら魔法なら発動させられるみたいだ。
しかし次の魔法を繰り出すより早く、ゴダーさんの蹴りが飛んでくる。
「っ!」
蹴りはきれいにみぞおちに入り、俺は棒切れのように舞台上を転がった。
「……っ…………!」
息ができない。
空気を取り込もうと口をはくはくとさせるが一向に吸えない、吐けない。
頭の中が真っ白になる。
「打ち上げられた魚みてえになってら」
ゴダーさんが言うと、また笑いが巻き起こった。
「無様ったらありゃしねえな!」
彼はのしのしと近付いて来る。
もう一度だ、もう一度魔法を。
そう思うけれど、痛みやら何やらで魔力を操作することもおぼつかない。
みんなが待ってるんだ。
ジギを仲間にして、魔王と戦わなきゃいけないんだ。
必死になっている俺がよほど面白いのか、観客たちは最高潮に盛り上がっている。
ゴダーさんが俺の前でぴたりと止まった。
「なかなかしぶとくてよかったぜ、人間」
足をひときわ高く掲げる。
これでとどめを刺すつもりだと、言われなくてもわかった。
早く、早く魔法を撃て。
力加減なんて言っている場合じゃない。
なんでもいいから、とにかく!
――そこで、俺の意識はぷつりと途切れた。




