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王子の仇

「城下とはいえ、若い娘さんに何かあってはいけないので、今夜まで泊まっていってください。」


レイア王子に言われた通りゆっくり作業したので、もう空はオレンジに輝いていた。


「四日間、お疲れ様でした。

とても助かりました。」


サーラ様はそう言うと、封筒をわたくしに差し出す。


お手当てだ。


思ったよりも分厚い手触りに、わたくしは嬉しくなる。


そんなわたくしに眼尻を下げながら、サーラ様が静かに口を開いた。


「勝手ながら、あなたのことを少し調べさせて頂きました。」


「………えっ!」


驚くわたくしに小さな笑いをこぼしたサーラ様は、わずかに目を逸らす。


「あなたがあまりにも優秀なので王宮で働いてほしいと思い調べたのですが……まさかあの『ファナ』だとは……。」


(サーラ様は、王宮の裏庭でわたくしがお妃様達とお会いしたことを知られたのね。)


「…………………。」


(うつむ)くわたくしに、サーラ様は複雑そうな表情で向き直った。


「なぜ、王宮に近づいたのですか。」


ごもっともな言葉に、わたくしは身を縮めながら答える。


「……………近づきたくはありませんでしたが、勤め先の主に頼まれれば否と言えませんでした。」


「そうかもしれませんが、お妃様に見つかれば命だって危ういかもしれないのですよ?」


サーラ様の言葉に、わたくしは驚愕した。


「…………そ………そこまで?」


愛人でも恋人でも何でもなく、ただ別邸に住まわせて貰っただけで、そこまで憎まれてしまうの?


思いがけない命の危機に、体がふるえだす。


「そうですよ。

なんといっても、あなたは王太子殿下の左目の仇なのですから。」


「……………左目の………仇?」


なんだか話が思ってもみなかった方向に進み、わたくしは戸惑いのままサーラ様を見つめた。


「ええ。

あなたのせいで、王太子殿下は左目の色を失ったのですから。」


「!!??」


(どういうこと!?)


全く見に覚えのない罪に呆然とする。


「とにかく、今まで通り部屋から一歩も出ずに夜は過ごしてください。

明日は、朝早くに迎えに参ります。」


そう言うと、サーラ様は部屋を出て行った。


(わたくしが………レイア王子の仇………。)


(左目の色を失わせた…………。)


テーブルの上には温かな食事が用意されているけれど、わたくしの喉は詰まり、食べることができない。


その時、コンコンと軽いノック音が響いた。


(そういえば、レイア王子が『聞きたいことがある』と言われていたわね…。)


(聞きたいこと、って何かしら。)


あの池の時は単純に『逃げ出した理由』だと思っていたけれど、もしかしたら『左目』のことかもしれない。


そう思うと、自然に体がふるえ出し、足がすくむ。


「…………はい。」


わたくしは、なんとか扉まで歩いて行くと、そっと開いた。


すると、そこには見覚えのあるメイドが……。


別邸で初めて会った時と変わらず顔色が悪く、小刻みにふるえている。


「…………お迎えに………参りました……。」


わたくしは小さく頷くと、彼女の後についていった。


廊下ではメイドや侍従達とすれ違ったものの、わたくしもメイド服を着ているので誰にも見咎められなかった。


そして、どんどん人気のない王宮の奥深くまで入っていき、地下へ地下へと下っていく。


灯りもとぼしくなり、壁の装飾もなくなり、薄暗く重苦しい空気が流れる場所へ入っていき、わたくしはだんだん不安になっていった。


「あ……の、ここは……?」


そう言ったわたくしの声が、妙に響く。


もう、目の前のメイドの姿もうっすらとしか見えないほど暗く、『これはおかしい』と確信した時。


「よく、のこのこと王宮へ参れたものね。」


心地よい声が反響すると同時に、ガシャンと何かが閉まる音がした。


「え!?」


その瞬間、眩い光に目が眩む。


「本当は今すぐ殺してやりたいけれど、レイアが苦しんだぶん、おまえにも苦しみを与えてからでないとね。」


少しずつ光に鳴れてきた目を細めながら声の方を見ると、目の前には鉄格子があった。


どうやらここは地下牢のようだ。


その鉄格子の向こうには、先日、王宮の裏庭で出会ったお妃様達がいた。


「あの………わたくしには、レイア王子殿下の左目に関して、記憶がないのですが……!」


鉄格子を両手で掴みながら叫んだ声が、反響する。


「よくもまぁ………これこそ、厚顔無恥ということですわね!」


裏庭でわたくしを『汚らわしい』と突き飛ばした年配の女性が眉を吊り上げた。


「本当に!

己のせいで王太子殿下が怪我を負い、その結果瞳の色を失ったというのに!!」


「幼かったから覚えていない、などとは言わせませんよ!」


そう言うなり、細い棒のようなもので体を突かれる。


「痛っ!」


狭い牢内を逃げてもその長い棒は届き、何度も何度も突かれた。


顔を狙われるので、両腕で頭を抱え込み床に伏せる。


すると、今度は身体中を容赦なく突かれ続け、あまりの痛さに動けなくなった。


「これで済むと思わないことね!

ここで野垂れ死ぬといいわ!」


お妃様の捨て台詞と共に、ぞろぞろと人が去っていく気配がする。


「ご……ごめんなさい…!」


ふるえる声でそう言って、駆けて行ったのはあの顔色の悪いメイドだろうか。


(そうだったのね……。)


彼女は、お妃様のメイドだったのだ。


恐らくお妃様の(めい)で、王子の身の回りを探り、報告していたのだろう。


(だから、あんなに顔色が悪かったのね。)


あれは病気などではなく、怯えていたということなのだ。


暗闇に慣れてきたわたくしは、痛む体を起こし、辺りを見回した。


体と両手を伸ばして横たわったら壁と鉄格子に届くほどの広さの牢内。


窓もなく、背伸びすれば手が届くほど低い天井。


(ああ……夕御飯、食べていれば良かった。)


きっと、食事なんてもうもらえないだろう。


水も食べる物も窓も灯りもないこんな狭いところで、どれくらい生きれるのだろうか。


気が狂うか、餓死するか。


どちらが早いのだろうか。


(こんな仕打ちを受けるほど、わたくしは何をしたのかしら。)


『幼かったから覚えていない、などとは言わせませんよ!』


お妃様のお側に仕える女性の声が、脳裏に響いた。


(幼い頃………。)


(幼い頃に、わたくしはレイア王子に出会っていたのかしら。)


『己のせいで王太子殿下が怪我を負い、その結果瞳の色を失ったというのに!!』


(わたくしのせいでレイア王子が怪我を負った………。)


どれだけ考えても、思い出せない。


貴族でも何でもないわたくしが、王宮にあがるとも思えない。


(たしかに、お父様の会社は王室御用達の絹問屋だけれど……。)


たとえ父の仕事の関係で王宮へあがったことがあるとしても、王太子殿下にお目にかかれるはずもない。


(お父様が生きていてくださったら、聞けたのに……。)


わたくしは、床にうずくまるように座ると、立てた両膝を抱え込み顔をうずめた。


(そういえば、レイア王子に助けられて別邸へ行った時、王子はわたくしを『ファナで間違いないな』と確認されたわね。)


もし、わたくしが王子に怪我をさせて左目の色を失わせたというのなら、わたくしを『ファナ』だと確認した王子があんなによくしてくれる理由がわからない。


(王子は恨んでいないのに、お妃様が恨んでいる?)


考えれば考えるほど、混乱していく。


(……………王子に……教えて欲しかった……。)




それから、どれくらいの時間が経過したのだろう。


誰の訪れもない暗闇の中は、想像以上に精神を蝕んでいった。


(まだ責め立てられるほうが楽かも……。)


喉はカラカラに渇き、空腹は限界を超えている。


動く気力も、考える意欲も失われ、ただぼんやりと牢にもたれかかるだけ。


(苛められていたあの頃が幸せだった、なんて思う日がくるなんて……。)


うっすらと、継母と義姉妹の顔が脳裏に浮かぶ。


不思議と懐かしさに口許が緩み、そのまま目を閉じた。


身体中から力が抜け、もう床の冷たさも硬さも感じない。


むしろ温かいような、やわらかいような、そんな良い心地がする。


なぜか、ふんわりとムスクの香りさえ感じるほどだ。


(ああ………これが死ぬってことなのね。)


(良かった。)


(苦しみのあまり醜い思いで、辛い思いで死んでいかないで……。)


(最期が、レイア王子の香りを感じながらで、良かった………。)


ふわりと、宙に浮く感覚がする。


「急ぎ、医師を呼べ!!」


心地よい声が、わたくしの意識を呼び醒ました。


「っ!」


ハッと目を開けると、形の良い顎が見える。


「体温が低い!

浴槽に熱い湯を張れ!!」


(喉仏が……あんなに上下するものなのね……。)


ぼんやりとそんなことを考えながら、言い知れぬ安心感に包まれて、今度こそ意識を手放した。




「殿下、そろそろのぼせられますよ。」


しわがれた声が、反響する。


「まだ大丈夫だ。

氷枕をくれ。」


心地よい声も、反響した。


「……………ん…………。」


わたくしは、小さく息を吐き出して、目を開ける。


(あれ………死んでない?)


(いえ……死後の世界なのかも………?)


ぼんやりとそう思っていると、霞んでいた視界が少しずつ鮮明になった。


「……ファナ!

意識が戻ったか!?」


心地よい声が反響すると同時に、バシャッと水音が聞こえる。


そしてわたくしの顔に、ポタポタと水滴が落ちた。


「…………?」


カモミールの香りが、強くなる。


いまだ頭の芯が痺れたまま、声の方を見上げた。


「…………王子…………殿下?」


自分のものとは思えない、ひどく掠れた声が出る。


「っ………良かった!!」


そう声が響くなり、ぎゅっと抱きしめられた。


(熱い…………。)


レイア王子の体温が、熱い。


そして、王子が動く度に響く水音。


反響する声……。


(もしかして!?)


そう思った瞬間、頭の中にかかっていた(もや)が一気に晴れた。


「お…………お風呂!?」


掠れた声で叫ぶと、広い浴室に激しく反響する。


「声のトーンを落とせ!!」


そう叫んだしわがれた声もまた、激しく反響した。


「ふふっ。」


レイア王子が、静かに笑う。


「爺、ファナに水を。」


王子が濡れた手を伸ばすと、爺や様が水の入ったグラスを差し出した。


「ゆっくり飲めよ。」


そう言いながら、王子はわたくしの口にグラスを添える。


わたくしはそのグラスを王子の手ごと握りしめると、一気に飲み干した。


「っ………はぁ………生き返る………っ!」


久しぶりに飲んだ水は、信じられないほど甘くまろやかで美味しい。


「ゆっくり飲めと言ったのに。」


くすくすと笑いながら王子はもう一杯水をくれると、爺や様に指示を出した。


「食事の用意を。」


「っ……殿下……!」


爺や様は何か言いたそうにしたけれど、王子が手で払うようにすると、頭を下げて出ていく。


水を飲んで生き返ったわたくしは、ようやく今の状況に気づいた。


互いに着衣してはいるものの、王子に抱かれる形で浴槽につかっている……。


「極度の脱水状態で低体温になっていたので、点滴で水分を入れた後、湯につかったのだ。」


(Σ(Д゜;/)/ええっ!?)


「で……電気毛布というテもあったのでは……。」


わたくしがそう言うと、レイア王子の右目が大きく見開かれた。


「…………ああ、それは思い付かなかった……。」


(いえ、きっと進言はあったと思いますよ!)


きっと、王子はパニック状態だったのだろう。


でも………。


「二度も助けてくださって……ありがとうございます。」


じわりと、熱い涙がこみ上げる。


すると、わたくしのまぶたを濡れた熱い親指がなぞった。


「私も二度助けられたからな。」


(二度?)


「あの……レイア王子殿下、そのことについてですが」


「お食事の用意がととのいましたぞ。」


爺や様の声に、遮られる。


けれど、王子はわかってくれたようで、湯船から上がりながらふわりと微笑んでくれた。


「話は、食事の後にゆっくりしよう。」


水を滴らせながら歩く王子に、侍従が駆け寄りタオルを掛ける。


そして、浴槽に佇むわたくしにもメイドが近寄ってきた。


「無事で、良かったです。」


「っ!………サーラ様………。」


サーラ様がタオルをわたくしに掛けてくれる。


「さぁ、食事が冷めないうちに。」


優しくそう言われ、わたくしは再び目頭が熱くなった。

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