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逃げ出したのに再び出戻る

短い間だったけれど大変お世話になり感謝している旨をしたためた手紙を、テーブルに置く。


わたくしは、レイア王子に頂いた全てを置いて部屋を出た。


王子に連れ出された時に着ていたぼろぼろの服を着て、新月の深夜、そっと別邸の隠し通路から外へ出る。


この通路は、レイア王子がわたくしにだけ教えてくれた王族の秘密の通路。


ここの出口には、門番がいない。


わたくしは別邸をふり返ると、一度だけ深く頭を下げた。


「とりあえず、どこか宿を探さなくてはね。」


明日、住み込みで働ける家政婦の仕事を職業案内所で探そう。


月明かりのない暗闇を、城下町の明かりを目指して走った。




「今、家政婦はどこも募集してないんだよなぁ。」


翌日訪ねた職業案内所で、係の男性が頭をがりがり掻きながら口を歪ませる。


「では、掃除婦はありませんか?」


「掃除婦も募集してないなぁ。」


(どうしよう………。)


(殿下に頂いたお給金も日々の宿や食事代であっという間になくなりそうだし……。)


男性の言葉に肩を落とした時、職業案内所の扉が乱暴に開かれた。


「あっ!いたいた!!」


「…………あなたは………。」


たしか、昨夜泊まった宿のご主人。


恰幅の良い体を揺らしながら、満面の笑顔で近寄ってくる。


「あんた、うちの下働きにならないか?」


突然ふってわいた仕事話に、頭がついていかない。


「どういうことだ?マーク。」


職業案内所の男性が、宿のご主人(マークさん)を訝しげな目で見る。


「この人、ゆうべうちに泊まったんだけど、さっき掃除に行ってびっくりしたのさ!

なんとこの人、自分が使った部屋の隅から隅まできっれーに掃除してくれた上、壁紙や網戸の破れまで目立たないように補修してくれてってさ!」


マークさんは黒い瞳をキラキラ輝かせると、わたくしの手を両手で握った。


「昨年妻を亡くしてさ、雇ったもん達も指示されたこと以上はしないから、あんたみたいな人がきてくれたらほんとありがたいんだ。

もちろん住み込みで賄いも出すし、給金もちゃんと出す!

だから、うちで働いてくれないかな!」


人の良さそうなマークさんに熱心に誘われ、わたくしは嬉しくなる。


「はい!

ぜひ、こちらこそお願い致します!」


本当は城下町から離れたかった。


お城を見れば、レイア王子を思い出して胸が苦しくなりそうだから。


でも、田舎に行って仕事があるとは限らない。


城下町でこれだけなければ、田舎ではもっとないかもしれない。


それで野垂れ死ぬのは、あまりにも惨めだ。


わたくしはマークさんと一緒に、宿へ戻った。




宿で働き始めて、半月経った。


もしかしたらレイア王子が探しに来てくれるかも、なんて淡い期待を抱いていたけれど、それは勘違いだと思い知らされた半月だった。


(そうよね。)


(だって奥様がいらっしゃるのだし、そもそもそのような仲ではなかったのだし。)


(きちんとお礼も言わず置き手紙だけで勝手に去ったわたくしなんて、追ってくださるはずもないじゃない。)


特別扱いされていると勘違いしていた自身が、本当に恥ずかしい。


わたくしは優しいマークさんや従業員の皆さんに報いるべく、毎日一生懸命働いた。


「ファナちゃん!」


マークさんが階段下から顔を覗かせる。


「ちょっといいかな?」


手招かれ、わたくしは下へ降りて行った。


「あんた、泳ぎは得意かい?」


唐突な質問を投げ掛けられ戸惑うものの、ゆっくりと頷く。


「溺れたことはございません。」


そう答えたわたくしに、マークさんは満面の笑顔で紙を差し出した、


「それなら悪いけど、ここに手伝いに行ってほしいんだ。」


手渡された住所に、思わず()()る。


(王宮!!??)


「ああああのっそのっ…わたくしには無理です!」


「いや、あんた以上に適任はいないよ。」


「そそそそんなことはっ!」


「いや、ほんとに。

だって出された条件が『上品な立ち居振舞いができ、家事(特に掃除)が得意で泳ぎに長けている者』なんだからさ!

商会に出された募集なんだが、俺はピンと来たんだよ!!」


「ええ!?」


あまりにも限定的な狭い条件に驚くわたくしの手を、マークさんが握った。


「ここであんたが行ってくれたら、うちの宿屋も箔がつくんだけどなぁ!」


「…………………わかりました……………。」


一番困っていた時に助けてくれたマークさんからこうお願いされれば、もう断ることはできない。


わたくしは宿屋の皆に見送られながら、思い足取りで王宮へと向かった。


(もしかして、わたくしを探している?)


あぶり出されているような気がして、どうにも落ち着かない。


王宮が近づくにつれ、体が小刻みにふるえ始め、鼓動が激しくなった。


(逃げ出したいけど、逃げたらマークさんにご迷惑が………。)


遠くに見え始めた城門を、立ち止まって見る。


その時、教会の鐘が鳴り始めた。


(いけない!)


(約束の時間が!!)


わたくしは意を決して走り出す。


「なんだ、おまえは。」


城門前に駆け込むと、門番が警戒した素振りでわたくしを見下ろした。


「あのっ、商会へ出された募集を見て参りました!」


募集用紙とマークさんから預かった紹介状を差し出すと、二人の門番がそれを確かめる。


「待ってろ。」


門番のひとりがそう言うと、城門横の小さな扉から中へ入った。


その姿を何とはなしに目で追いながら、美しい庭園をぼんやりと見つめる。


やわらかなそよ風に時折頬を撫でられながら、相変わらず美しく整えられた庭園や遠くに見える王宮を見つめていると、門番が女性をひとり連れて戻って来た。


「こちらへ。」


ご高齢ながら凛とした佇まいの女性は、見るからに厳しそうだ。


わたくしは門番に頭を下げると、女性の後へついて行った。


ずいぶん長い距離を歩いて、ようやく王宮へ辿り着く。


そして何の説明もないまま、ずんずん王宮の奥へ入って行った。


(これは、本当に………探されてるのかも。)


これ以上、恋心を深めないように自ら離れたものの、やはり王子に会えると思うとどうしようもない喜びが沸き上がる。


落ち着かないわたくしは、下品にならない程度に辺りを視線だけで見回した。


すると、王宮に入ってすぐの時のように多くの人はもうおらず、行き交う人達は皆、より上品で凛としており、知らず知らず緊張する。


「ここです。」


先導していた女性の声にハッと顔をあげると、いつの間にか外へ出ていた。


(あれ?いつの間に?)


戸惑っているわたくしを他所に、女性は少し先を指で指し示す。


「あそこを、整美してほしいのです。」


(ん!?)


その指の先には、小さな池が………。


「わ……わたくしひとりで、ですか?」


ふるえる声で訊ねると、女性もすこし目を逸らしながら複雑そうな表情で頷いた。


「あの募集に応募してきたのは、あなただけですので。」


(ええええ!?)


「い……池の整美であれば、『上品な立ち居振舞い』という条件はご不要では?

それがなければ、もっと人手が集まると思いますが……。」


思わず意見してしまうと、女性の瞳が鋭く光る。


「考えが浅いですね。

上品な立ち居振舞いができるということは、それなりの家格の者だということ。

王太子様のお妃様が住まわれる御庭に立ち入らせるのに、たとえ掃除婦といっても下賤な者であってはならぬでしょう。」


(王太子妃様の御庭!?)


わたくしは、ぐるりとあたりを見回した。


「こ…ここは、レイア王子殿下の………?」


わたくしの言葉に小さく頷いた女性は、掃除道具と小さな袋を差し出す。


「一日で終わらせろとは言いません。

部屋を用意するので、終わるまでそちらに滞在してもらって構いません。

わたくしは、女官長のサーラです。

まずは、池回りの石や危険なものがあれば取り除いてください。

今日はその作業が終わったら、わたくしを呼んでください。

部屋まで案内致します。

明日からは実際に水の中に入り、ゴミなどの掃除をお願いします。」


「あ……あの……何日も掛かるとは知りませんでしたので、着替えも何も持ってきておりません。

また、勤め先の主にも許しを得ないといけないのですが……。」


王宮に……しかもレイア王子のお妃様の近くに滞在したくないわたくしは、ひとまずここから逃げ出すべく口実を作ろうと言い募った。


すると、サーラ様は淡々とした口調でそれをあっさり一蹴する。


「着替えは、王宮のメイド服を用意します。

下着類も準備しています。

勤め先の主には王宮から使いを出すので、安心なさい。」


(全っ然、安心できない!!)


レイア王子とお妃様が仲良くしている姿をお見かけするかもしれない場所で、わたくしは泥にまみれながら過ごすなんて………惨めすぎる。


じわりと涙が滲んだわたくしに、サーラ様は少し戸惑った様子で肩に触れてきた。


「募集は引き続きしていきます。

応募があるようこちらも手を尽くすので、気負わなくて結構ですよ。

勤め先にも、あなたがいないぶんの人手や手当てを出すので安心なさい。」


口調は厳しいけれど実は優しそうなサーラ様の言葉に頷きながら、わたくしは腹をくくる。


(仕方がない。)


(さっさと終わらせて、一刻も早く帰ろう。)


わたくしはサーラ様から掃除道具を受け取りながら、気になることをひとつ尋ねた。


「御池のまわりもよく手入れされていて御水も澄んでいるように見えますが、なぜ急にお掃除を?」


すると、サーラ様の表情が初めて和らぐ。


「王太子殿下が、お妃様と泳がれたいそうなのですよ。」


(レイア王子が泳ぐ?)


「え?

レイア王子殿下は、カナヅチでは?」


そこまで言って、わたくしはハッと口に手を当てた。


「それは、どこから聞いたのですか?」


険しい声色に、空気が張り詰める。


「王太子殿下は、文武に秀でた御方!

そのような弱点など、ひとつもありません!

滅多なことを口にするでない!!」


目がチカチカするほどの雷を落とされ、わたくしはその場に土下座した。


「も………申し訳ありません!!」


(そうか……そうよね。)


(王太子なんて、常に命を狙われるお立場。)


(苦手なことは、弱点になり得るということ。)


(もし、泳ぎが苦手だと露見してしまえば……。)


恐ろしいことを想像してしまい、ぞくりと背筋がふるえる。


だから、王宮から遠く離れたわたくしの邸の裏にある森の湖で、供も連れず泳ぎの練習をされていたのかもしれない。


(あの森は、肉食獣がいないから……。)


なぜあの森のことをご存知だったのかはわからないけれど、夜中に人目を忍んでひとり努力されていたのだと思うと、胸が切なく痛む。


(わたくしが、教えて差し上げたかった。)


(わたくしが勝手に恋心など持たなければあのまま別邸に居させてもらえて、密かに泳ぎの特訓をして差し上げられたのに……。)


助けてもらったのに全くご恩を返せていない自身に、腹が立った。

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