レイア王子のお妃様
「これ、運んでいいですか?」
「ああ、重いから気を付けてなー。」
温かいできたてのお料理をテーブルに運んでいると。
「なぁ、最近毎日来るな。」
「ちょっと前までは、月イチも来なかったのにな。」
料理番達の視線を辿って、窓の外へ目を向ける。
すると、遠くに見える門をレイア王子がくぐってくるのが見えた。
「間違いなく、ファナ目当てだな。」
「うん。
ファナが来てからだもんね。」
「ていうか、いつもファナにしか用がないじゃん。」
そう。
レイア王子は短時間しか滞在されず、いつもわたくしと少し会話をしたらすぐに王宮へ戻ってしまわれるのだ。
「まぁ、この別邸は王宮から馬で1分で護衛もいらないらしいので、気軽な息抜き場所になっているのですよ、きっと。
あ、皆さまは先に召し上がっててくださいね!」
わたくしは言いながら立ち上がり、大急ぎで玄関へ向かう。
玄関正面の大階段を駆け降りたまさにその時、玄関の呼び鈴が鳴った。
「お帰りなさいませ。」
少し乱れた息のまま玄関を開けて頭を下げると、レイア王子が真っ直ぐにわたくしを見下ろす。
「ただいま。
急がせてしまってすまな」
「お……おかえりなさいませ!!」
レイア王子の声に被せるように、別邸で働く者達が息を切らせながら駆けつけた。
「……ただいま。
今、昼食時だろう。」
レイア王子の言葉に、皆が苦笑いを浮かべる。
「悪かったな。
私はファナとこれを食べるので、気にせず食事を摂ってくれ。」
そう言いながら、手に下げていたバスケットを掲げた。
皆はこくこくと頷くと、口々にお礼を言いながら、休憩室へ戻っていく。
「天気が良いから、庭で食べないか。」
レイア王子の誘いに笑顔を返しながら、あることを思い出した。
「そういえば、美味しいフルーツをたくさん頂いたので、先ほどミックスジュースにしたのです。
苦手でなければ持って参りますが……。」
わたくしが言い終わらないうちに、レイア王子が訊ねてくる。
「それは、男?」
質問の意味がわからず首を傾げると、王子が少し口をへの字に曲げながら言い換えた。
「フルーツをくれたのは、男?」
「?いえ、八百屋のおかみさんですが……。」
わたくしの答えに、レイア王子がにこっと微笑む。
「それならば、頂くよ。」
「っ!」
一瞬で、血圧が上がった。
(ま………まさか、ヤキモチ!?)
心臓が、工事現場のような音を立てる。
「………ファナ?」
真っ赤になったわたくしの顔を、レイア王子が隻眼で覗き込んできた。
「殿下………そんなことを言われたら、勘違いしてしまいます……。」
顔を両手で覆いながら言うと、耳たぶを軽く引っ張られた。
「耳たぶも熱いね。」
「っ!!」
ぱっと顔を覆っていた両手で、今度は耳を押さえる。
「ふふっ。」
堪えきれないといった様子で、レイア王子が静かに笑った。
「もともと、勘違いはファナのお家芸だろ。」
「っ……王子殿下!!」
からかわれたことに怒ってみせながらも、鼓動は甘く高鳴り、全身に幸せが巡る。
ミックスジュースを持って庭へ出ると、レイア王子はレジャーシートを敷いて、座っていた。
爽やかなそよ風に、蜂蜜色の髪が揺れている。
やわらかく弧を描く頬は瑞々しく、活力に満ちていた。
(あの時、溺れているのを発見できて良かった。)
そう思った時、ふと疑問がよぎる。
(なぜ、あの時間に、あんな場所へひとりでいたのかしら。)
次期国王の身で、あまりにも軽率な行動だ。
でも、そんな軽率なことをするようには見えない。
「ファナ?」
少し離れたところで見つめられていることに気づいた王子が、わたくしの名を呼んだ。
それだけで、また、全身に血が巡る。
考えても出ない疑問をそっと頭の片隅に押し込んで、わたくしは笑顔で王子の足元に跪いた。
「なぜそんなところに座る?」
レイア王子は自らの空いている隣を指し示しながら、首を傾げる。
「いいえ!
王子殿下のお持ち物に、ましてやお隣になど、わたくしの身分で座ることなどできません!」
ミックスジュースを渡しながら焦って首をふるわたくしの手を、王子がぐっと掴んだ。
「いいから、こちらへ。」
強引に引っ張られ、レジャーシートの上に倒れ込む。
陽の光を反射して輝いていたパステルブルーのシートに、ふっと影が差す。
人の気配に、うつ伏せに倒れたまま身を起こしふり返ると、王子が前屈みにわたくしを見下ろしていた。
(顔が………近い!)
影になっても輝く蜂蜜色の隻眼をじっと見つめ返していると、端正な唇がゆっくりと開く。
「……………あなたは、目を逸らさないんだな。」
(目を逸らす?)
「私が、恐ろしくはないのか?」
「はい。」
即答すると、王子は一瞬目を丸くしたけれど、すぐに眉を下げながら笑った。
「怖いもの知らずだな。」
そして私から手を離し身を起こすと、バスケットを開く。
「シートにひとりで座っていても寂しいだけだから、共に座っていてくれないか。」
甘えるような表情と口調に、心臓が破裂しそう。
「そんなふうにお願いされたら、仕方ないですね!」
照れ隠しにおどけて言うと、レイア王子が満面の笑顔になる。
(っ!)
初めて見る全開の笑顔に、遂に卒倒しそうになった。
「今日はサンドイッチを食べたくてな。」
レイア王子の言葉につられてバスケットを覗き込むと、カツやステーキがサンドされた贅沢なサンドイッチがぎゅうぎゅうに詰められている。
もうひとつの大きめのバスケットには、ティーポットやティーセット、茶葉やカトラリー、お皿、ウェットティッシュなどが入っていた。
「紅茶用のお湯を持って参ります。」
「後でいい。」
そう言うと、ステーキのサンドイッチを手に取る。
「ほら、先に食べよう。」
迷わずわたくしにステーキをくれるレイア王子。
きっと数年間、木の実しか食べてこなかったわたくしを気遣ってくれているのだろう。
(勘違いしては駄目。これは特別扱いではないわ。)
戒めるように自らに言い聞かせるものの、心のどこかで期待してしまっているのも事実。
このもやもやをどうにかしたい。
でも、まさか『わたくしは特別ですか?』なんて訊けるわけもなく、ただ、その幸せなひとときを過ごすしかできなかった。
レイア王子が帰った後、持ってきていたティーセットやカトラリーなどを綺麗に洗った。
「では、王宮へ返しに行って参ります。」
わたくしはティーセットなどで少し重いバスケットを両手で持ち、別邸の皆に見送られながら王宮へ初めて向かう。
馬で1分のところにある王宮は、わたくしの足では5分ほどかかる。
いくら徒歩でもそこまで掛からないのだけれど、別邸の数十倍はありそうな大きな建物に圧倒され、足取りは重かった。
「門前払いにならないかしら………。」
バスケットにレイア王子の紋章が入っているものの、不安は拭えない。
裏門でさえ、造りも大きさも警備の厳重さも、別邸のそれらとは格段に差がある。
わたくしが近づくと、警備の騎士が警戒の態勢をとった。
鎧がガシャッと立てた音に、体がビクッと跳ねる。
「あ………あの、レイア王子殿下の別邸の者ですが……これをお返しに参りました。」
しどろもどろになりながら、なんとか用件を述べた。
(手汗がすごいっ!)
緊張に強張るわたくしの手元を見た騎士達は互いに頷き合うと、立ち塞いでいた城門を解放する。
「通れ。」
「!あ……ありがとうございます!!」
わたくしは騎士達に深く頭を下げ、急いでくぐった。
「ええ……っとたしか、通用口は大きなプラタナスのところにあると……。」
言いながら裏庭をぐるりと見回す。
すると、そこはよく手入れされた巨木がたくさん立ち並んでおり、圧倒された。
「すごい!
こんなに大きなユリノキ……樹齢何百年なのかしら……。」
裏庭では色んな種類の巨木が生き生きと輝いており、先日まで通っていた屋敷裏の森を思い出す。
思わず目を瞑って、大きく息を吸い込んだ。
「あなた、そこで何をしているの。」
突然、女性の厳しい声が聞こえ、ハッと我に返る。
慌ててふり返ると、そこには身なりのよい女性が5人、立っていた。
女性達の中でも、中央にいる女性は明らかに身分が高そうだ。
「別邸から、レイア王子殿下のバスケットをお返しに参りました!」
慌てて頭を下げながら挨拶したものの、一瞬で空気が張りつめたのがわかる。
「別邸?」
「レイア王子の?」
「どの別邸ですか?」
険しい声色で次々と訊ねられ、冷や汗が吹き出した。
「はい!
王宮に一番近い、第一別邸でございます!」
「第一別邸………。
レイア王子が、どなたか新たに囲われたということですか?」
「!
あ………いえ、そういうことではなく…………。」
答えながら、言葉につまる。
(そういえば、なんと答えれば良いの?)
レイア王子の情けで住まわせて頂いているのは事実だけれど、それは囲われているわけではない。
「じょ…女性をお迎えしたわけではなく、ただ『管理を任せる』と……。」
(ああ、だめ!こんな言い方!逆に誤解を与えてしまう!!)
「『管理を任せる』と王子殿下がおっしゃったのですか?」
一番年配の女性が、鋭い視線でわたくしを射貫く。
「はい。」
「誰に?」
(ああっ!ほら!やはり誤解された!!)
ここで『わたくしに』と答えたら『=愛人』になってしまう。
けれど、答えなければ不信を持たれてしまう。
全身から冷や汗が吹き出し、小刻みにふるえるわたくしを、ただ無言で5人の女性が見つめる。
(やましいことは何もないのだから!)
下手に誤魔化すより、正直にあっさり答えた方が良いと判断したわたくしは、大きく深呼吸して気持ちを整え、女性達に向き直った。
「わたくしに、でございます。
ですが、わたくしはあくまでメイドとしてお屋敷の管理を任せて頂いているに過ぎません。」
毅然と言うわたくしを、10個の瞳が鋭く見つめてくる。
(それにしても………この方達はどなたなのかしら……。)
なぜこうまで圧力をかけられているのかわからないことに、ようやく気づいた。
「お妃様。」
年配の女性が、中央の女性に声をかける。
(お……お妃様!!??)
動揺のあまり、無礼にも中央の女性をまっすぐに見つめてしまった。
すると、そのブルーグレーの瞳がスッと殺気を帯びる。
「おまえ………名は?」
口元を扇で隠したまま、中央の女性が訊ねてきた。
(なんて、心地よい声……。)
険しい雰囲気とは真逆の、やわらかな澄んだ声色だ。
「ファナでございます。」
優しい声に誘われるようにするっと答えた瞬間。
「ファナ!?」
「あの疫病神か!!」
そう罵られるや否や、わたくしの手からバスケットが引ったくられた。
「王子殿下のお持ち物に触れるな!
汚らわしい!!」
(け…汚らわしい!?)
「早く去ね!」
ドンッと突き飛ばされ、わたくしは地面に倒れ込む。
「っ痛………!」
大木の根本に転がり、強かに体をぶつけた。
そんなわたくしを女性達は睨み付けながら、裏庭を出ていく。
(………………。)
ヒリヒリと痛む手のひらを見ると、擦りむいて血が滲んでいる。
けれど、それよりも、胸が痛かった。
「お妃……様………。」
レイア王子には、お妃様がいらしたのだ。
(王子殿下にいないほうがおかしいわよね。)
屋根裏に隔離されていたので、王子殿下のご婚姻は知らなかった。
(やはり、好きになってはいけない方…。)
もちろん王子の立場上、ご側室はいてもいい。
けれど、わたくしには無理だった。
愛した人が、違う女性を愛しているかもしれないと思っただけで気が狂いそうだから。
目頭が、熱くなる。
(このまま別邸にいたら、抜け出せなくなる。)
レイア王子への想いは膨らむばかりだ。
王子のご厚意を無にするだけでなく、お礼も言わない無礼を働くことになるけれど、これ以上深みにはまる前に別邸を出よう。
大木にぶつけあちこち痛む体を引きずりながら、わたくしは別邸へ戻った。