爺や様の暴走かんちがい
この別邸は、定期的に清掃されるのみで、国王さまからレイア王子に下げ渡されて以来、殆ど使われたことがないと知った。
「では、王子殿下には今まで、愛人の方がいらっしゃらなかったのですね。」
「いや、いたよ。」
頂いた食事の後片付けを手伝いながら、料理番の方々と雑談をする。
配達された食材を仕分けていた料理長が手を止めて、わたくしをふり返った。
「けど、すぐいなくなっちまうのさ。」
「………………どうしてですか?」
(王子殿下の愛人になるなんて、名誉なことなのに。)
(まぁ、わたくしも嫌だと拒みましたけど。)
ふと、爺や様のゆでダコ顔が浮かび、小さく吹き出す。
「その女性は、無理矢理連れて来られていたのですか?」
それを誤魔化すように訊ねると、わたくしが洗った皿を拭いているベテランの料理番が嘲笑を浮かべた。
「とんでもない!
み~んなどや顔でやって来て、ふんぞり返ってたわよ!」
その言葉に、キッチンにいる料理番達が大きく頷く。
「けど、すぐいなくなっちまうんだよな。」
「やっぱ、殿下の目だろ。」
「………レイア王子殿下の目?」
(隻眼が、いけないってこと?)
確かに隻眼と言えば無頼の輩のイメージだけれど、クラークの眼帯をつけたレイア王子は荒々しい素振りもなく、とても上品で清廉だ。
(たしかに、少々表情に乏しいところがおありだから、甘やかされた深窓のご令嬢には恐ろしく感じてしまったのかしら。)
「まぁ、仕方ないよな。」
「うん……血の色の瞳なんて、悪魔としか思えないもんね。」
(血の色の瞳?)
「レイア王子殿下の瞳は、蜂蜜色でしたよ?」
首を傾げながら蛇口を閉めると、ベテランの料理番がペーパータオルをくれる。
「眼帯の下の瞳の話だよ!」
「え?!」
わたくしが驚きの声をあげると同時に、料理長が立ちあがり一喝した。
「軽々しく口にするな!
そいつは、極秘だろう!!」
料理長に叱られた皆は、蜘蛛の子が散るように逃げる。
あたふたと下準備を始める皆を呆然と眺めていると、料理長がわたくしの前に立った。
「あんたも、決して口にするんじゃねぇぞ。」
言葉裏に圧を籠めながらそう言うと、料理長も離れていく。
「…………………。」
わたくしは、頷くのが精一杯だった。
翌日。
広い内庭の掃除をしていると、プールを見つけた。
庭が広いので小さく見えるけれど、実際は我が家のものより大きいプールだろう。
長年使われていないのか、からからに乾いたプールは泥や落ち葉、虫の死骸などに汚されていた。
わたくしは掃除道具庫からデッキブラシとホースを取り出すと、メイド服の裾をゴムで縛り、掃除を始める。
「そこを掃除して、どうするんだ?」
しばらく掃除した頃、心地好い声に手を止めふり返ると、やはりレイア王子がいた。
プールサイドから見下ろす彼を、わたくしは見上げて答える。
「僭越ながら、殿下に泳ぎをレクチャーしようかと思いまして。」
「……………ふふっ。」
一瞬目を丸くしたものの、レイア王子は口角を上げて小さく笑った。
「この国に海はないから、必要ないよ。」
「湖や池があります。
実際に、溺れられたでしょう?」
わたくしが即座に言い返すと、レイア王子がすっと目を逸らす。
「もし、この邸に迎えられた女性がスイミングが得意で『殿下もご一緒に~♡』と誘ってきたら、どうなさるおつもりですか?」
ピカピカになったプールに水を張るべく、蛇口をひねりながら訊ねた。
「………が………は………ない。」
勢いよく流れ始めた水音で、レイア王子の声が掻き消される。
「え?聞こえません!大きな声でお願いします!」
わたくしが言いながらプールサイドに手をかけて上がろうとすると、レイア王子がすっと近づいてきた。
そして、身を屈め、わたくしの耳元に唇を寄せる。
「っ!」
レイア王子の体温と息遣い、そして甘いムスクの香りが頬や鼻腔を撫で、一気に血圧が上がった。
そんなわたくしに気づかず、レイア王子は蜂蜜色の隻眼を斜めに流す。
「私は、泳ぎが好きな女性は好きにならない。」
「っ!!」
なぜか、酷く心に突き刺さる。
わたくしがレイア王子を見ると、今にも鼻と鼻がつきそうな距離で視線が絡んだ。
「………ふふっ。」
レイア王子は蜂蜜色の隻眼を琥珀のように煌めかせながら優雅に笑うと、立ち上がる。
途端に感じられなくなった、体温と香り。
やはり、遠い人だと自覚した。
深紅のマントを翻して去っていく後ろ姿を、わたくしは呆然と見送る。
「ああっ!
ファナ、水!水!!」
木を剪定していた庭師の叫び声でハッと我に返った時には既に腰まで水に浸かっていた。
「ひゃ~♪
プールなんて、初めて!!」
「今日はもう休んでいいなんて、殿下は太っ腹だなぁ!!」
水着に着替えたメイドや掃除夫、庭師などが大はしゃぎでプールで遊んでいる。
わたくしは、それをプールサイドからぼんやりと眺めていた。
「ファナも遊ぼうよ!」
メイドが誘いに来てくれたけれど、わたくしはどうしてもそんな気分になれず曖昧な笑みを返す。
「…………どうしたの?何かあった??」
一番年が近いメイドが、プールから上がってきてわたくしの隣に腰を下ろした。
(たしか、リンさんだったはず……。)
「あ………いえ………。」
一瞬言い淀んだものの、心の中のもやもやがどうしても気持ち悪く、吐き出したくなる。
「よく、わからないんです。
………出会ったばかりなのに、その姿を見るだけで嬉しくなって…………。
でも、冗談か本気かわからない言葉に、なぜか深く傷ついてしまって…………。」
まとまらない言葉のまま話すと、リンさんはにやりと笑って人差し指を立てて見せた。
「それは『恋』だね!」
(…………恋!?)
「いえ、そんな……!
まだ出会ったばかりだから、恋なんて」
「一目惚れ、っていう恋もあるんだから、時間なんて関係ないわよ!」
あたふたするわたくしに、リンさんが前のめりに迫る。
「誰?
え?料理方?庭師??」
リンさんの瞳がキラキラと輝いている。
(とても、王子殿下とは言えない………。)
わたくしは視線をさ迷わせると、つい思い浮かんだ人を口にしてしまった。
「じ……爺や様………?」
「っ!!!!!」
言った本人もびっくりだけれど、聞いたリンさんはもっと驚いたようだ。
驚愕の劇画調の表情で目を白黒させながら、でもなんとか受け入れようとしてくれている。
「か………枯れ専だったんだ?
い………いいよね、人生の先輩って包容力ありそうで☆」
(包・容・力。)
その言葉と真逆の、ゆでダコ顔がぽんっと頭に浮かんだ。
「っぷーーーー!!」
思わず大きく吹き出したわたくしを、リンさんは更に驚いた様子で見る。
「な………なんか変なこと、言った!?」
抱腹絶倒のわたくしに、リンさんはかなり戸惑った様子で声をふるわせた。
「あ……いえ、そんなのではなく…て………ふふふっ。」
必死に笑いをおさめようとするけれど、そうすると余計笑いが込み上げてきて、どうしようもない。
でも、そのおかげで、先ほどまでのもやもやはすっかり消えていた。
「え?」
別邸を任されて2日目。
わたくしは、爺や様と向き合って、言葉を失っていた。
「おまえを、私の邸へ連れていく。」
「えええ!?」
なぜ、突然そんなことになったのか……。
「おまえ、私を…………コホン……………………好き、だそうだな?」
「っっっっっ!!!???」
((;゜;Д;゜;; )ギャァァァ!!)
(き………昨日の!!!)
どうやらリンさんは、王宮に知り合いがいたらしい。
そしてとっても噂が好きでお口も羽のように軽かったようで、あっという間に宮殿に私の片想いの噂が流れたそうだ。
「私も妻を亡くして暫く経つのでな。
おまえがどうしてもと望むなら、迎え入れることはできる。」
(いやいやいやいや。)
孫ほど年の離れた娘に、頬を赤らめる爺や様。
「で……でも、爺や様は」
「サイだ。」
(……………。)
爺や様は軽く咳払いすると、熱のこもった瞳でわたくしを見つめる。
(『サイ』と呼べと……。)
途端に爺や様のプライベートな部分が見え、『男』を見せつけられた気がして、ゾワッと全身に鳥肌が立った。
(な……なんとか逃れなくては!!)
「わ……わたくしなど平民が、爺や様のお側に上がるなど、国王さまがお許しになるはずがございません。」
名前のことはさらりとスルーして、どうしようもない身分のことを盾にしてみる。
「それは、問題ない。
おまえをどこかの子爵か男爵家の養子にすれば良いだけのこと。」
(ひーっ!嫌だぁ!!)
「ででででも!
こんな年の離れたわたくしを娶られては、周囲の方々から『お金目当ての小娘に騙された』と揶揄されませんか!?」
「そのようなこと、好きに言わせておけばよい。
我らの間に愛さえあれば、周囲のことなど気にもならぬ。」
((;゜;Д;゜;; )ギャァァァ!!(2回目))
「ああああたくしのこと、嫌っておいでではなかったですか!?」
焦りすぎて『あたくし』と言ってしまいながら後退るわたくしに、ぐいぐい詰め寄ってくる爺や様。
「たしかに生意気な小娘だと思っておったが、それも私に構ってほしいゆえの悪態だと知っては、愛らしく思えてな。ポッ」
(『ポッ』じゃない!!)
(完っ全に勘違いしてる!!)
全てをいいように捉えてしまっている爺や様。
このままではどんどん事態が悪くなる。
わたくしは意を決して、正直に打ち明けようと口を開いた。
「あの、実は」
「ここにいたのか、爺。」
「っ!!」
タイミング悪く、レイア王子が現れる。
(ど………どうしよう………。)
爺や様に真相を打ち明けるにしても、相手がレイア王子と言うつもりはなかった。
けれど、本人を目の前にして言うのは………なんとなく嫌だ。
「おお、王子殿下!
今、ファナを迎えに来たところだったのです。」
「?迎えに?」
レイア王子が首を傾げる。
「実はこの娘」
(うわぁぁぁ、やめてぇぇぇ!!!)
「わ……わたくし、ここから離れません!!」
そう叫ぶと、猛然とその場から逃げ出した。
そのまま広い内庭を駆け抜け、茂みに潜り込む。
「どうしよう……どうしようっ!」
まさかこんな事態になるとは思いもしなかった。
鼻の下が伸びきった爺や様の顔が脳裏から離れず、ぞわぞわと鳥肌が立ちっぱなしだった。
「ここにいたか。」
ガサッと音がして、心地好い声が頭上から聞こえる。
なぜ、いつもこの方はわたくしの居場所がわかるのだろう。
わたくしが顔を上げると、そこには黄金の輝きを放つレイア王子が立っていた。
逆光の中こちらを見下ろす隻眼の王子は、より蜂蜜色に陰影がつき、神々しい。
「安心しろ。
爺には『ジーヤ』という商人の子息のことじゃないかと言ったら、納得して帰って行った。」
そう言いながら、太い親指でわたくしの瞼をぐいっと拭う。
「ジーヤ……って、苦しくないですか?」
苦笑するわたくしに、レイア王子は隻眼を細めた。
「苦しい、か?」
「ええ。
『ジーヤ』という名前、なんて……よく思いつかれましたね。」
「………………………。
思い出したのかと思ったが…………。」
「え?」
聞き取れない小さな声で呟かれ、わたくしは聞き返す。
「………………何でもない。」
レイア王子は視線を逸らすと、王子冠を外した。
「まぁ……それでも納得したということは、爺もあり得ないとはどこかで思っていたのだろう。」
軽く咳払いをすると、わたくしの隣に腰を下ろす。
「真相は何だ。」
レイア王子は蜂蜜色の前髪を手櫛でバサバサと乱した。
「………………。」
乱れた前髪が妙に色っぽく感じ、わたくしの胸が大きく鼓動する。
途端に、化粧もせず髪も適当にふたつに分けて結んでいる自身が恥ずかしくなり、俯いた。
「………………言いたくないなら、いい。」
わたくしが俯いたことを拒絶と誤認したレイア王子は、小さくため息を吐く。
「だが、好きな男がいたのならば、悪かったな。」
「………え?」
(悪かった?)
驚いて顔を上げると、間近で蜂蜜色の隻眼に視線を絡め取られた。
「あの環境から救い出してやったと思い上がっていたが、どうやら私は余計なことをしたらしいな。」
まさか………わたくしに好きな人がいて、その人のことを言えないから咄嗟に爺や様の名前を出した、と思っている?
間違ってはないけれど、少し真実とは違う。
けれど、それでも良いと思った。
「余計なことなど、とんでもない。
助け出してくださって、本当に感謝しているのですよ。」
にこっと微笑むと、レイア王子の頬が歪む。
「……………あなたは、どのくらい昔のことまで覚えてる?」
唐突な質問に、わたくしは一瞬フリーズした。
「ええ………と、かなり幼い頃のことまで覚えているとは思いますが………。」
戸惑いながら答えると、レイア王子の隻眼がなぜか熱を帯びる。
「では……その幼少に、知らぬ子どもとあの湖で遊んだ記憶は?」
食い入るように覗き込まれ、わたくしの心臓が爆発しそうに鼓動が乱れ顔が熱くなった。
「あの湖、とは?」
「再会した、あの湖だ!」
(再会?)
「…………再会、とは………何のことですか?」
(まさか、幼い頃にレイア王子と会ったことがあるというの? )
だが、そんな記憶がないわたくしは、視線が大きく揺らぐ。
それを見たレイア王子は唇を噛みしめると立ち上がった。
「また来る。」
一言だけ言い残して、茂みから出ていく。
わたくしはそれを黙って見送るしかなかった。