ポジティブ腹ぺこ
深紅のマントの男性がわたくしの腕を引っ張ったまま玄関ホールへ行くと、そこに控えていた騎士が扉を開け放つ。
すると扉の隙間から、眩い光が差し込み、目が眩んだ。
いつの間にか、夜が明けていたらしい。
(この光を、もう二度と浴びることはないのね……。)
朝陽は、憂鬱だった。
また、奴隷のような一日が始まるから。
逆に、夕陽は心踊った。
ようやく、自由になれるから。
そう。
自由だったのだ。
今からの牢獄生活を思えば、森に行けたり、労働とはいえ広い屋敷内を動き回ったりできていたのは、『自由』だった。
これからは、陽の射し込まない牢に繋がれ、ただ食事を与えられる生活………。
(ん?)
(ちょっと待って。)
牢では、奴隷のように働くこともない。
三食もらえるかはわからないけれど、食事は与えられるでしょ。
それ以外は寝ててもいい自由時間!
タダで、ご飯を食べさせてもらえて寝ててもいいなんて!!
今までなんて、働いても食事をもらえなかったのに!!!
(早速、今日からご飯がもらえるのかしら?)
そう考えた瞬間、お腹から切ない音が鳴る。
(そういえば、昨日は結局なにも食べれなかった……。)
「おなか………空いた………。」
「なんだ、空腹で倒れたのか。」
突然、耳元で心地よい声が聞こえ、わたくしはハッと目を開けた。
途端に明るい光に視界を奪われ、わたくしはぎゅっと目を瞑る。
「………………カーテンを閉めろ。」
人が動く気配の後、カーテンが閉められる軽やかな音がした。
(…………この声は。)
聞き覚えのある声と、深紅のマントが脳内でリンクする。
「何か食べるか?」
思いがけない嬉しい提案に、わたくしはパッと目を開けた。
「はい!っ!!」
元気よく答えたところで、思いがけない近距離で声の持ち主と視線が絡む。
「っ!」
目の前の蜂蜜色の隻眼と蜂蜜色の輝く美しい髪、そして端正な顔立ちに目が釘付けになった。
けれど、彼は表情を強張らせると、すっと身を起こす。
「食事を。」
温度のない声色で指示すると、メイドが足早に出て行った。
「起きれるか?」
その言葉に、わたくしは初めて自身が横たわっていることに気づく
。
「はい。…………ここは…………?」
どうやらわたくしは、ベッドに寝かされていたようだ。
身を起こしながらぐるりとあたりを見回すと、見覚えのない部屋にいた。
「ここは、私の別邸だ。」
「……………別…………邸。」
別邸とは、いわゆる正妻以外の女性を住まわせる場所。
(なぜ、そのような場所に!?)
洗練された調度品と美しい絵画で彩られた広い立派な部屋には、わたくしが眠っていたベッドがひとつ。
「食事の用意ができたようだ。
歩けるならば、リビングへ。」
(え!?)
「…………ここは、リビングではないのですか?」
だって、室内には立派なダイニングテーブルと椅子、そこから離れたところにはソファーとローテーブルもある。
「ここは、寝室だ。」
(しんしつ!!??)
「……で…では、あのテーブルなどは何の為に?」
わたくしの指差す方を片目でちらりと見た彼は、無表情のままわたくしへ向き直った。
「あれは、読書や簡単な仕事、寝る前の酒などに使うが………普通こうではないのか?」
(はい。)
わたくしはこくりと頷く。
わたくしも上流と羨まれる生活をかつては送っていたけれど、こんなに広い寝室なんて見たことない。
(しかも、『別邸』でしょ?)
(この方の本邸は、どれほどのものなのでしょう……。)
(というより、これはどういうこと?)
「とりあえず、食事が冷める。
歩けぬなら、こちらへ運ばせよう。」
(温かい食事なんて、父が亡くなって以来だわ!)
条件反射で感動したものの、わたくしは慌てて首をふった。
「あ……あの!
わたくし、牢へ入れられるのでは……。」
ベッドから降りながら彼を見上げると、蜂蜜色の隻眼が大きく見開かれる。
「………牢?
なぜ、あなたを牢へ入れねばならん?」
メイドがわたくしの手を取り、立たせてくれたその時。
わたくしは、自身の異変に気づいた。
「………あ………ら?服が………。」
たしか、家を出たときはぼろぼろの服だったはず。
それが、今身に付けているものは、総レースで彩られた真っ白なシルクのワンピースだった。
「メイドに着替えさせた。
風呂も用意させているから、食事をしたら使うといい。」
そう言い終わらない内に深紅のマントを翻して、彼は足早に部屋を出て行った。
メイドは手早くわたくしの髪を整えると、可愛らしいボレロを羽織らせてくれ、彼が出て行った方へ案内してくれる。
(なに……このお姫様扱い………。)
混乱しながらも彼を待たせてはいけないと思い、導かれるまま隣の部屋へ足を踏み入れた。
「っ!!」
わたくしは、ひゅっと喉から音がするくらい大きく息を吸い込む。
なんとそこは、パーティー会場かと思うほど広く、我が家の天井でも落ちてしまうだろうと思うような大きく綺羅びやかなシャンデリアがいくつも灯されており、調度品の数々も、あらゆる絵画も、すべて言葉で言い尽くせぬほど美しかった。
「こちらへ。」
大きなテーブルの脇に立つ彼が、優雅にわたくしを呼ぶ。
わたくしはふるえる足で、ゆっくりとそちらへ歩み寄った。
メイドが引いてくれる椅子に腰かけると、すぐに美味しそうなスープが置かれる。
その瞬間、子犬の呻き声かと思うほど大きな音がお腹から鳴った。
「っ!!!」
わたくしは、恥ずかしさのあまりお腹を押さえて俯く。
「私も食べよう。」
てっきり笑われると思っていたのに、まるで聞こえていないように彼はメイドへ声を掛ける。
「まずは、無事の脱出に乾杯。」
彼は透明の液体が入ったグラスを掲げると、優雅な所作でそれをひと口飲んだ。
わたくしも、それに合わせてグラスを傾ける。
(………お水…………。)
それは湖で飲んでいたような、甘くておいしい水だった。
冷たすぎない温度が、体に優しく染み渡る。
そんなわたくしを彼はちらりと見ると、スープを優雅に食べ始めた。
わたくしもスプーンを手にとって、スープをひとすくいする。
「…………コーンスープ……。」
あまりの美味しさに、頬がゆるんだ。
「美味しいか?」
「はい!とっても!!
わたくし、コーンスープが一番好きでした!」
「…………『でした』?」
蜂蜜色の隻眼が、鋭く細められる。
「殿下。」
わたくしがびくっと体をふるわせると、そばに控えていた先ほどのご老人が、背筋をピンと伸ばしたまま身を屈め、諌めるようにそっと耳元で囁いた。
「…………………。」
深紅のマントの男性は少しばつが悪そうに視線を逸らしたけれど、すぐに無表情に戻る。
「『でした』というのは、今はもう好きではないということか?」
無機質だけれども、不思議と初対面からこの声は心地良い。
「あ………いえ、今でも好きです。
数年ぶりに頂けたので、つい………。」
「数年ぶり………。」
再び眉間に皺が寄る男性に、ご老人がコホンと軽く咳払いした。
「…………確認だが。」
男性がスプーンを置いたので、わたくしも合わせる。
「あなたは『ファナ』で間違いないな?」
彼がそう言った瞬間、スープの代わりに置かれようとしていたサラダが、 大きく傾いだ。
「!?」
わたくしが咄嗟に手で器を押さえながら給仕のメイドを見ると、蒼白な顔色をしていた。
「具合が悪いので」
そこまで言いかけた時、大きな熱い手に手首を掴まれる。
驚いてそちらをふり返ると、深紅のマントの男性がいつの間にかそばに立ってわたくしの手首を掴んでいた。
「怪我をしているではないか。」
そう言う視線を辿って見ると、たしかに手のひらに三日月の形の傷が3つついている。
屋敷を出るとき、継母達に揶揄されて拳を握りしめた時に出来たのだろう。
「手当てを。」
男性が蒼白な顔色のメイドに声を掛けると、肩を大きくふるわせ、足早に去った。
「大丈夫でしょうか?
ずいぶん、顔色が」
「あなたの怪我の方が、私は心配だ。」
わたくしの言葉を遮りながら、彼は大きな手のひらでわたくしの手を包み込む。
そして、そのまま跪き、顔を覗き込んできた。
「もう一度、確認する。」
蜂蜜色の隻眼が、真っ直ぐにわたくしを射貫く。
「あなたは、『ファナ』だな?」
「…………はい。」
戸惑いながら頷くと、彼の無表情が歪んだ。
蜂蜜色の隻眼は潤んで金色に輝き、頬に朱が差す。
そして、包み込んだわたくしの手をそのまま額に当てると、祈るように頭を垂れた。
(えっ………どういうこと?)
驚きすぎて何も言えずにいた時、遠くで床に何かが落ちる音がする。
その音にふり返ると、少し離れたところで、さきほどのメイドが立ちすくんでいた。
小刻みにふるえる彼女の足元には、救急箱。
それは開いた状態で落ち、中身が散乱していた。
「レイア王子殿下の前で、無礼であろう!」
ご老人の厳しい言葉にふるえ上がったのは、彼女だけではない。
「…………レイア………王子………殿下…………。」
恐る恐る、男性をふり返る。
そして絡んだ視線は真っ直ぐで、たしかに人の上に立つ者のオーラを放っていた。
(王子……殿下………。)
しかも、王位継承第一位!
(別邸がこのレベルなはずだわ……。)