殴って助ける
「あんたさ、なんでそんなに楽しそうなの?」
頭上から聞こえた声に、わたくしは暖炉を掃除しながらふり向く。
「頭おかしいでしょ。」
見事な金色の巻き毛を揺らしながら、義姉が宝石のような美しい碧眼を歪めていた。
(ああ、わたくしって今、義理の姉に苛められているのね!?)
嬉しさのあまり、背筋がぞくぞくと震える。
「うーわ、こいつマジでヤバイわ。
相手にしないほうがいいわよ、お姉さま。」
義姉の後ろから、これまた艶やかな栗色のストレートヘアを愛らしく結い上げた義妹が美しい碧眼を細めながら覗き込んできた。
「もうこんなヤツ、埋めちゃおうよ。」
そう言うなり、掃除用に置いていたスコップで暖炉の灰をすくいあげると、わたくしの頭にそれを降らせる。
「げほっげほっっ」
まきあがる細かい粉に、思わずむせた。
すると口の中に灰が貼り付き、あまりの焦げ臭さと苦さに余計むせる。
「あらー、灰をかぶってもあんまり見た目変わらないわねー。」
嘲る笑い声と共に、立ち去る足音。
わたくしは、咳き込みながら鏡に映る自身を見た。
「…………たしかに。」
元々の銀髪も、シャンプーやトリートメントなんかできないおかげで艶もなくバサバサだ。
灰をかぶっても、たいして普段と変わらない。
わたくしは灰まみれの自身を見て、再びわきあがる喜びに気持ちが高揚していった。
だって…………だって
①母が幼い頃に亡くなる
②父の再婚相手が娘を二人つれてくる
③父が病死後、継母達に家を乗っ取られ召し使いにされる
④屋根裏に追いやられ、日々いじめられる
⑤暖炉掃除をしていて灰をかけられる
ね!?
このシチュエーション、まさに有名な童話のアレでしょ!?
わたくしはきっと、この童話の主人公なのだわ!
「!あ、そういえば!!」
わたくしはハッとあることに気付き、急いで立ち上がる。
そして継母達が寛いでいる隣の部屋の扉を開け放つと、そこへ駆け込んだ。
「うわっ!
ちょっと!!
灰かぶったまま来ないでよ!!」
「廊下も床も、灰まみれじゃん!!」
「この、灰かぶり女!!!」
義姉妹と継母が口々に罵ってくれたけれど、肝心のキメ台詞が出てこない。
「もう一声!!」
「………………………はぁ?」
首を傾げる三人が座るソファーに、わたくしは白い跡をつけながら身を乗り出した。
「灰まみれのわたくしを見て……はい!!」
目を輝かせながら迫るわたくしに、三人は美しい顔を嫌悪とある種の恐怖で原型を留めないほど一斉に歪める。
「……………。」
そして無言で同時に立ち上がると、素早く部屋を出ていった。
「ええ!?Σ ゜Д゜)」
(どうして、『シンデレラ』と呼んでくださらないの!?)
わたくしは首を傾げながら着替えに戻った屋根で、おとぎ話の絵本集を取り出す。
幼い頃に母に読んでもらったそれは、唯一の形見だ。
だから、何度も読み返したそれはボロボロだけれど、大切な宝物だった。
「まぁ、いいわ。」
わたくしは床に腰を下ろすと、その中でも一番お気に入りの絵本をゆっくりと開く。
「あ、そうそう。
灰をかけられた次は、王子様の花嫁選びの舞踏会が催されるのだったわ。」
そう。
お城から貴族や裕福な商家の娘に近々、舞踏会の招待状が届くはず。
我が家も父が亡くなった後、没落しつつあるものの、まだそれなりの資産がある豪商だ。
「……………お父様……。」
座った状態でも、手を伸ばせば届く天井を仰いだその時。
お腹が切ない音を立てた。
「………………お腹、空いた………。」
もちろん、食事なんかもらえない。
感傷に浸る暇もなく、わたくしは這って屋根裏から降りた。
そして屋敷からそっと抜け出す。
わたくしは屋敷の裏にある森へと駆け出した。
(ついでに水浴びもして、明日の飲み水も汲んで帰りましょう。)
わたくしは、すっかり暗くなった森の中を湖目指して歩く。
ここは、幼い頃に遊び場にしていた小さな森。
小さいので肉食の獣はおらず、鳥やうさぎなどの愛らしい小動物に出会える癒しの場だ。
毒を持った蛇や蜘蛛などに気を付けながら真っ暗な森の中を歩いていると、遠くで小さな水音が聞こえた。
「?」
それは、近づくごとに大きくなり、やがて切羽詰まった、まるで溺れているような激しいものだということに気づく。
慌てて湖へ駆け寄ると、木々の隙間から差し込む月光に照らされた湖の水面で、何かがバシャバシャと暴れていた。
やはり、溺れている!
わたくしは衣服を脱ぎ捨てると、湖へ飛び込む。
ここの湖はすり鉢状なので、手前は小柄なわたくしでも足がつくほどの深さ。
けれど、油断していると急な傾斜に足を滑らせ、数メートルの深さのある深みに一気に流されるのだ。
溺れている人は、まさにその一番深いところにいる。
泳ぎが得意なわたくしでも恐ろしくて行ったことがない場所だけれど、無我夢中でそこまで泳いだ。
「っ落ち着いて!
助けに来ましたよ!!」
声を掛けるけれど、パニック状態のその人は激しくもがき暴れるばかり。
「たっ…………助け………!」
聞こえた低い声に、血の気がひく。
(男の人!?)
わたくしは、裸だ。
いくら溺れているとはいえ、見知らぬ男性に触れられたくはなかった。
思わず逃げ出そうとした時。
溺れている男性に、肩を掴まれた。
「きゃあああっ!!」
悲鳴をあげながら、咄嗟に腕をふりあげる。
すると、見事に男性の顎を下から殴り付けた形になった。
「っがっ!!」
初めて聞く呻き声と同時に、脱力する男性。
うつぶせに水面に倒れ込んだので、咄嗟にその体を抱き寄せた。
(窒息してしまう!)
渾身の力を籠めて、大きな体を仰向けに返す。
それから、気絶した彼の襟首を引っ張って、湖畔へと戻った。
そして、なんとか湖畔へ彼を寝かせる。
(水は飲んでいないかしら。)
顔を覗き込んだ瞬間。
パチッと大きな右瞳が開いた。
左の瞼は開かない。
完全に閉じたままだ。
間近で見つめ合う。
(隻眼だけれど、なんて端正なお顔………。)
うっとりとしていると、彼は咳き込みながらゆっくりと起き上がった。
「顎が、痛いな。」
(っは!!)
先ほど、わざとでないとはいえ、気絶するほど殴ってしまったのは確かだ。
(治療費とか、慰謝料とか請求されたらどうしよう!)
わたくしは慌てて立ち上がると、湖畔に脱ぎ捨てていた衣服を掻き集め逃げ出す。
「っあ、おい!」
背中に男性の耳障りの良い声が聞こえたけれど、わたくしはふり返らずに一目散に屋敷へと逃げ帰った。
そして物音に気を付けながら屋根裏に戻ると、ようやく大きく息を吐き出す。
「ああ………驚いた………。」
ホッと胸を撫で下ろした瞬間、お腹から切なさを通り越した切羽詰まった音が高々と響いた。
「森の木の実、食べ損なってしまったわ……。」
飲み水も汲めなかった。
朝日が昇る前に、もう一度森へ行ってみよう。
その頃には、彼もいないはず。
わたくしは、抱きしめていた衣服を着ようと床に置く。
(濡れた体に抱えてきたから、濡れてる……。)
濡れて冷たいだろう衣服にため息を吐いた時、下着がないことに気づいた。
「落としたのかしら!?」
森へ行ったら、探さないと!
元々あまり存在感のない胸だけれど、さすがにつけていないと恥ずかしい。
羞恥に俯いた時、床に見慣れないものが落ちていることに気づいた。
茶色い革製の変わった5角形から、革紐が伸びている。
(…………これ、もしかして………。)
明らかに眼帯のそれは、隻眼の彼の物だった。
(探しているわよね?)
でも、戻る勇気はない。
殴ってしまったことで責任を追及されるのが怖かったからだ。
(そっとあの場所へ置いてきたら、また探しにくるわよね。)
わたくしはいつも以上に早起きすべく、とりあえずそのまま布団へ入った。
まさか翌日、あんな事態になろうとは夢にも思わず………。