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第七章 キスでケガ治るとかフィクションのはずでは?


 俺が右の逆手に構えたそれは、何の変哲もないナイフだった。

 一応手入れには気を遣っているが、ただそれだけ。

 いわれも逸話もない、ホームセンターに行けば誰でも手に入れることの出来る、ただよく研がれているというだけの一品だ。

 だが、

「久しぶりだからな。うまくいくかどうか」

 足を広げ、構えを深くし、

「試してみようか」



 残り三歩。

 両手で持った剣を右肩に担ぐようにして、左の一機が来た。

 俺を殺すつもりならただぶつかればいい。身長にして倍近く、重量にして良く解らん程の差があるこちらをそうするのに、きっと工夫は必要ない。

 だがこの相手は剣を選んだ。

 その理由は、

 ――なんでだろう……。

 解らん。テンションだろうか。ハエとか手で潰すのがちょっと嫌とかそんな感じ? 誰がハエだ。俺も結構自己完結型だな。

 残り二歩。

 やはり、流石に緊張する。何せ、

 ーー俺に、『軍略』の再分配は作用してしない。

 故に『軍』のメンバーのように敵を屠る膂力もなければ、契約機構による一発芸もない。

 生まれも育ちも完全に『こちら』であるため種族的な特徴を持つものでもないし、せめて何か格闘技でもやってれば良かったのだが中学時代は弓道部だった。しかも幽霊部員。

 だが、俺の『軍略』には、ある付随要素があった。

 ーー知識。

 あるいは知恵。あるいは知略。

 己の『軍』を動かすのに必要なあらゆる知的要素を、言葉でなく蓄積された『経験』として得られる、そう言うものだ。

 無論、それを生かすには相応しい力が要る。それこそがかつて率いた『軍』であり、仲間達だった訳だが、

 ーー今、俺にそれらはない。

 と、

「ーー」

 残り一歩が踏み込まれる前に、上段に振りかぶられた剣が唸りを上げた。

 風。

 来る。



 俺に課された勝利条件は、たった一つ。

 初撃を避ける。そして起動兵士、その足の向こうへ抜ける。

 ただそれだけ。

 己に倍する、しかも戦闘訓練を積んだ者相手に行うそれがどれだけ至難か、知っているだろうか。

 俺は知らん。だって『向こう』でもこんな無茶する機会そうそう無かったからな。

 だが、

 ーーやれる。

 もしもやれないと言うのであれば、後はただ、断たれて死ぬだけ。

 だが見ると、

 ――あ、剣の腹向けてる……。

 間違いだ。ただ潰れて死ぬ。かっこよく両断される想像が轢かれた蛙のような想像に変わって覚悟がちょっと揺らぐが、今からではもう逃げ出すことは出来ない。頑張れ俺。

「……――!」

 全力で、前へと跳んだ。



 剣が地面を打ち、下草と土を鉄の重量が耕すようにめくった。

 押しつぶし、打圧し、その部分が抉れ、耐えかねた下方向への圧縮が瀑布のように解き放たれる。

 周囲へと散らす波のように勢いが弾け、相応量の草と土が宙を舞い、

「ーー!」

 俺の体は、その剣を潜り抜けるように前方向へ抜けていた。

 だが、

「――!」

 直撃を避けても、重量物が落とされた事による衝撃から逃れられるものではない。

 背を打つように圧撃が来て、体が一瞬、宙を舞う。

 肺から空気が抜けるのと同時に足元が不確かになり、痛みより先に浮遊感が吐き気を連れてくる。

 俺は、剣を打ち付けてきた機動兵士の足元に転がり、身をしたたかに打ち付けた。



『良く避けたものです、と賞賛しますが……』

 倒れた起動兵士からミハエルの声が響く。

『終わりです。もはや、彼が足首を捻るだけでも貴方の体は磨り潰されます』

 わざわざ言わなくてよくない?

 だがミハエルは、何か良いこと言うぜ、みたいな空気で、

『――良い旅路を。我らが英雄』



 だが。

 倒れ伏し、激しく息を継ぐ俺の横。

 剣を打ち付けた姿勢で止まる機動兵士の脚は、一向に動き出さなかった。



『……ちょっと、グレイル。グレイル・ケニー。私カッコ付けたんですから、申し訳ないんですけどちょっと早めにお願いしますよ』

『いや、司令官。何か……これ、動かないっスよ』

『は?』



『それは……どう言う?』

 訳が解らない、と言う様子のミハエルが、左の一機の言葉に、倒れ伏したまま疑問を作る。

『いや、もう言葉通りの意味で……手も足も、指の一本も。ピクリとも動きませんや』

『なん……』

 言葉に驚愕を滲ませ、

『……貴方、何をしたんですか……!』



「そう難しい事はしてねえよ」

 ハッタリだ。結構難しい事を、俺はした。

 剣を避け切れなければ無論死んでいたし、勢いに吹き飛ばされた時も打ち所が悪ければ無事では済まなかった。

 俺は機動兵士の足元で仰向けに転がったまま、手足の無事を確かめつつ言葉を作る。

「これ」

 と掲げたのは、先ほど取り出し、右手に構えていたナイフだ。

 横を見る。

「んで、――それだ」

 そこにあるのは、装甲板を多重に貼り付けた、機動兵士の巨大な脛。

 小さく付けられた、指先程の長さを持った傷だった。



『まさか……刻印を……!』

 言うミハエルの言葉が、再度の驚愕に歪む。

 その言葉は的を射ていた。そう、つまり、

「……ウエンストンが輸入した機動兵士は、術式刻印と呼ばれる理論で動いてる。エネルギーが『ガス』か『錬気』か、それとも異世界由来の『魔力』かは知らねえが……」

 術式刻印、とは、物に刻み付けたマークや模様、図形とその集合で構成される、一種の論理回路の事だ。

 そこにエネルギーを通す事で、一定の法則に従い効果や現象を発揮させる能を持つ。

 複雑化したそれを、稼動域を持たせた鎧や鉄板の内側に仕込んだ『もの』こそが、ウエンストンが誇る『機動兵士』。

 自重、と言う問題を、刻印任せに『中身』持たぬものとしてクリアした、人型巨大兵器だ。

「故に俺は、そこに外から干渉を掛けた。刻印は恐ろしく複雑で難解な代物ではあるが、所詮は物理的に刻まれた機械回路。何か傷を付け、アドリブでイジって機能不全を引き起こすには傷一つあれば充分だ」

 ミハエルの、架空の息を飲む音が気配として聞こえた。

 唾を飲むような音も追加で聞こえ、

『……傷を付けてそれで倒れる程、機動兵士の刻印はヤワじゃありません。それに外側から干渉し、かつ「動作の停止」という望む結果に繋げると言う事がどれだけのものであるのか……貴方は解っているんですか?』

 解らん。何せ知識は『軍略』が教えてくれたものだ。

 だが、

「……俺にとっちゃ、ナイフ一つで出来るくらいの……簡単な事さ」

 カマしといた。



 動かなくなった機動兵士から、身を動かそうと試みていた気配が消えた。

 恐らくは、復旧の見込みなしとして操縦リンクを切ったのだろう。

 そして、

『……ここで決着を、とするのは流石に無理がありましたね』

 やはり動きを持たず、しかし首を巡らせるくらいの事は出来るのだろう、ミハエルの機体が視線をこちらに向け、言った。

『理解しました。貴方はやはり英雄の器。ぶっちゃけ嫁と配下に守られて「加護」に胡坐かいた戦争オタクくらいに思っていたのですが……』

「ヤんのかてめえ」

『失敬』

 言って、

『ふふ』

 息を零し、

『楽しいですね』



「……何を笑ってやがる」

 ぶっちゃけ不気味だ。故に非難をするが、

『楽しいからですよ。……はは、そうか。これが高揚と言うヤツですか。愉快と言うヤツですか。悦楽と言うヤツですか』

 言うとおり、その言葉には多分な喜の感情が載っている。

 まるで新しい玩具を買ってもらった子供のような、強く純粋な感情。

 だがそれが、今回の俺達との戦闘で得たものだと言う事は雄弁で、故に、

「……怖ぁ」

『はは、良く言われますよ。お前は笑いのツボがなんかおかしいと』

 いやそれともちょっと違う気もするが。

 ミハエルは言う。

『私が持つのは、「共有」の加護。生まれた時代を間違えなければ世界を制したと持て囃された、英雄の資質です』

「……」

『しかし私が生まれた時、既に世界には平和が満たされていました。八十年前まで存在した「不理解」はただの「歴史」でしかなく、かつて人を統べていた強力な「加護」達は世界を平定する「軍略」の下位互換でしかない』

 だが、

『私は試したかった。己に何が出来るのか。己が何処までいけるのか。強力な加護だとされ、しかし『軍略』の元にもはや無用の長物と揶揄されたこの「共有」が、本来は一体どれほどのものであるのか』

 ――ああ。

 俺は、再度、ああ、と思った。

 ーーそうか。

 この男は……。

 ーー……。

 俺は言う。

「……だとしたら」

 口を開き、思いを乗せて、俺は言う。



 最高の加護。世界を平定する力。無双の軍勢。

『軍略』。

 俺もまた、ヤツと同じだ。

『こちら』の世界に生まれ、発揮すらされず終わるはずだったそれを、しかし『あちら』の世界に呼ばれたからこそ、存分に振るう事を許された。

 無論、それでなくしたものがない訳じゃない。

 何せ、

 ーー戦争だ。

 向こうの世界で三年間。こちらに帰ってきてから一年間。その間、

 その意味を何も考えなかった程、俺も馬鹿じゃない。

 だが俺は、断言出来る。

 間違えなかったのだと、そう断言出来る。

 ーー『軍略』はきっと、無双の力。

 生まれる時代を間違えて、それに気付かぬまま生涯を終えるなら別にいい。

 だがもしも。

 生まれる時代を『本当に』間違えてしまっていたら。俺が幸運にも得た、いくつかの『出会い』が無かったのだとしたら。

 ここに居る俺は、もしかしたら。

 ーー英雄などではなかったのかも知れない。

 俺は言う。

 目の前、起動兵士の擬似視覚素子の向こう側に居る男に向けて、俺は言う。

「……だとしたら、お前は間違えてなんかねえよ」

 何故なら、

「『今』なんだ。『今』に生まれて、良かったんだよ。お前は」

 そう。

 お前と言う存在が、『共有』と言う新たな加護を持って生まれた時代。

 それはきっと、『今』だからこそ意味がある。

 何故なら、

「『俺』が居て、『軍略』がある。……お前は最高の時代に生まれちまったんだよ、ミハエル・ノーマン」



『……やはり貴方は英雄です』

 男は言う。

「自分じゃそうとは思ってないんだが」

 俺がそう返す。

 だがミハエルは、

『周りがそれを許さないでしょう。私をこれだけ楽しくさせたんですから、その辺は自覚してくれないと困ります』

「柄じゃねえんだよなあ……」

 と、

「あ」

 不意に、ミハエルが何がに気付いたかのような声を打った。

「どうした」

『いえね、ちょっと、汎用機体に無理に契約積んできたものですから、流石にもう限界ですね」

 故に、

『もう落ちます』

「ネトゲか何かか」

 ネトゲってなんです? と訊かれたが説明が面倒なので流しておいた。

 そして、

『またの機会を。楽しみにしていますよ、我が世界の英雄』

「……もう来るな、って言ったらどうするよ?」

『来ますよ。私は間違えなかったのだと、そう証明しなければならなくなりましたから」

 だから、

『貴方もまた、その証明を手伝って下さい。新たな英雄には、相応しい敵役が必要なのですから』



「……終わった?」

 と言う言葉が空から聞こえたのは、倒れた隊長機からミハエルの気配が消えた後だった。

 仰向けの視界の向こう。砕かれた『居城』を挟んだ、星の空を背景とした上方だ。

 そこに、二メートルもの己の武器を槍投げ姿勢で構えたままのリィンローズの姿があった。

「……何をしてる?」

「いや、パパを襲った隠密契約の機体、あるじゃない? そこに止まってる。パパならどうにか出来るわよね、と思いつつちょっと不安で、でも駆けつけるの間に合わないからいざとなったら『ズドン』みたいな」

「……いや、それやると俺も巻き込むだろ」

 故に援護は来ないものと判断したのだが。

「もしかしたら巻き込まないかも知れないじゃない。それに、もし巻き込んだとしても」

 彼女はこちらへとふわふわとした軌道で降りてきながら、

「脳さえ残ってれば、私としては愛するに問題は無いわ」

 強いて言うならお前が問題だ。

 と、

「――」

 こちらの直近まで降りてきていたリィンが、不意に体から力を抜いた。

 落下に乗った風がスカートを膨れさせ、銀の髪が飛沫のように舞う。

 足を広げた姿勢がこちらの体に影を作り、

「ぐえ」

 飛びつく、と言う程度の勢いが、俺の腹に跨ぎの姿勢で乗ってきた。

 思うのは、

「……何でお前パンツ履いてないの?」

「パパが言ったんじゃない。脱げ、って」

 言ってない。ハッタリとして『履いてなくない?』とは言ったが脱げとは一言も言ってない。

「まだホカホカよ? ……どうする?」

「俺に意思を委ねるのをやめろ……!」

 と言うか、

「ちょ、思いっきり体打ってそこかしこ痛いんだから、どいてくれ……」

 剣打ちの衝撃を背中に受け、そのまま地面に転がるように吹き飛ばされたので全身に軋みがあった。

 手足に感覚こそ残っているが、どこにどのような怪我を負っているか定かではない。

 故に、

「治療器具とか、あるか? 無ければ最悪傷を洗うだけでも……」

「大丈夫」

 言ったリィンの顔が、俺の顔に影を作った。

 彼女の両手がこちらの顔横にえらい勢いで突き立ち、

「吸血種の種族特性。体液を分け与える事で、全種族中でも随一と言われるその自己修復力を間接的に共有する事が出来るわ」

 もっともらしい事をもっともらしく言っているが、

「聞いたことねえよそんな特性……!」

 抗議する。

 だが迫る唇は速度を保ったままで、

「……悪いけどこれ、マジよ。ママにして貰った時は意識無かったから知らなかったのだと思うけど」

「……な」

 言われてみれば心当たりが無いでもない。その時は目が覚めて傷一つなくなっていた体を見て『異世界ってすげぇ~』くらいに思っていたのだが、

 ――いや、実の娘ですよ……!

 ここまでかなり誘惑に負けそうになっても来たが、やはりそこは重要だ。

 先ほどミハエルに指摘された時も正直ちょっと心に来ていた。

 故に、

「いや、ちょ、ほら、それ程の傷でもないし、な! ほら、別にそこまでしなくとも……」

「童貞臭い……」

 やかましい。

 だがリィンは、

「……仕方ないわね」

 意外な程おとなしく引き下がった。

 だが、

「だったら、――こっちね」

 言うなり、

「――」

 ドレスに開いた胸の谷間、そこに上から手を突っ込んだ。

「……な……」

 胸肉が歪み、左右に開いた双の丘がドレスの生地を押し広げる。

 と、

「――よいしょ」

 リィンの手指が動き、その胸の間から何か紐のようなものを摘み出した。

 ずるりと引き出されるそれが胸をドレスから零しそうになるが、慌てた様子もなく逆の手が抑えに回る。

 ゆっくりと、見せ付けるようにして肉の形を絶えず変えながら。

 谷間から取り出された『それ』があらわになっていく。

 それは、やはり紐だった。

 色は黒と赤。ただの紐にしては布地の厚い部分もあるが、大部分においてそれは紐だった。

 そして、

「――、と」

 遂にはその後端が胸の間から顔を出し、上へと引き寄せられていた双丘が力を失い、重力に引かれて落ちた。

 重さを感じる躍動が生じ、上下方向へと数秒に渡って波が舞う。

 肌に伝う波紋はいつまでも寄せて返しを繰りかえし、だがやがて終息を迎えて落ち着きを取り戻した。

 簡単に言うとおっぱいが揺れて収まった、と言うだけの話だが、そうして取り出されたものは、

「……さっき脱いだパンツよ」

「何故そんなところにしまっている……!」

「保温」

 いかん、日本語が通じない。異世界人なのだから当然か。しかし半分は俺だ。ならば何故。

 思っていると、彼女がその紐状の何かを、あろう事かこちらの顔に近づけてきた。

「な、何を……!」

「言ったでしょ。吸血種の修復力共有に必要なものは――体液の交換」

 ふふ、と言う声と共にその顔がくしゃりと歪み、

「……ふふ、へへ、ハァ、ハァ、へへ……これ、色々とね、染み付いてるから……。もしかしたらキスより効果的よ。口に突っ込んでじゅるりと吸えば、たちどころに傷も痛みも治ってしまうわ」

 それをされたら俺の心に一生物の傷が残るだろうが。癖になったらどうする。

 迫り、

「いや、おい、待て……!」

 抗うが、

「二択よ。キスか、パンツか。いえ、今私ノーパンな訳だから、思えば三択目も四択目も五択目も余裕で存在するけど……」

 さあ。

「どうするの……! ディープキスか、パンツ食べるか、三択目か四択目か五択目か……!」

 更に迫り、影が近づき、

「ーーさあ……!」



 風だけが、俺達の姿を見ていた。



 そうして俺は、その日。大切なものを失った。


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