第六章 パパも守られてばかりではいられない。
リィンが放った言葉の意味を俺が本当に理解したのは、数瞬の後のことだった。
目の前に座る少女、その右手に、
「ーー!」
木材の破片を棚引きとして飛んできた、紅の大槍が収まる。
彼女の横顔が眉を引き結び、左上の方へと視線を送った。
それは、
「……な……」
八割方を吹き飛ばし、破片を撒き散らして空を晒す、梁を残した天井の残骸だった。
風が鳴る。
熱が過ぎた。
重量物が通過した際の押しつぶすような圧が、
「ーー!」
耳の奥、その一番深いところを打撃し、耳鳴りに似た不快感を脳髄に落とし込んだ。
と、
「ちょっと我慢ね」
有無を言わさずそう言ったリィンの服が一瞬でドレスに変わり、こちらを抱えて外へと飛び出す。
先程槍が貫いた壁の穴、その先へとだ。
一瞬で景色が変わり、
「……な、なん……な……!」
「いざとなったら私を置いて逃げちゃってね、パパ」
言われて、俺は気がつく。
そこは、先ほど俺がこの空間に入ってきた際に通り抜けた、現実空間と繋がる『扉』の前だった。
少女の細腕から解放され、その場に立たされる。
その際に俺の腰に回っていた彼女の手が何故かこちらの尻と内腿を経由していったが、これ立件可能案件だろうか。
リィンはその手をクンクン嗅ぎ、
「……よし」
「よし、じゃあねえんだよ」
言いながら彼女の頭を軽く小突いてやると、何故か嬉しそうなはにかみを見せる。
「これが親子のスキンシップってヤツね……ああ、つ、次は、ハァ、ハァ……どこ行く……? 胸? い、いやまさか……駄目! そこは早いでもパパならいいわ!」
一瞬でストーリーが完結したがそう言う場合なのだろうか。
「あっち見ろ、あっち」
「え?」
俺が指で示す先、屋根と壁を崩した彼女の『居城』前には、先ほど俺を襲ってきた機動兵士、その同型機が臨戦体制で佇んでいた。
三体が三角形に並び、こちら側に一歩を突出した機体はどうやらデザインを異にする隊長機だ。
剣に装飾を施した、一際華美な流線型。
相対距離三十メートルの向こうから、その隊長機が声を放ってきた。
『いいでしょうか』
それは男の声だった。
低く落ち着いているが、そう歳を取っているわけではなさそうだ。しかし油断なく重心を低く構えたその姿勢には、何か歴戦の勇士じみた格と言うものを感じた。
リィンが応じる。
「……ハ。駄目よ。これから始まるものが何か解る? 由緒あるクランベリー家、その次々代当主の作成よ。指をくわえて見ているといいわ」
三体の機動兵士の内、左後ろの一機が黒の剣を取りこぼしかけて慌てて掴み直すのが見えた。
右の一機が落ち着け、とでも言うようにその肩を叩き、手を挙げこちらを向き、
『――録画は可能でしょうか』
「コピーを渡してもらえるのなら」
隊長機が右のヤツの股間を剣の腹でかち挙げると、機体が膝を折ってその場に伏した。痛覚は無いはずなのだが。
隊長機がこちらに向き直る。
『失敬。少々人材不足でして、若さなのだと笑い飛ばして頂ければ。まあ僕も似たようなものですが』
「録画がしたいのね?」
『若さの方です』
言う隊長機の背後では左の一機が右を助け起こしながら『傷は浅いぞ!』とかやっているが、どう聞いてもあの声いいオッサンだぞ。
リィンが言う。
「……貴方、知ってるわ。ウエンストンの軍部最高司令官、『閃光』のミハエル・ノーマン。パパの代わりに祀り上げられようとしている『共有』の加護持ち、ってのは貴方の事よね」
即ち、
「ラスボスじゃない、貴方。何いきなり出てきてるのよ」
「……『共有』の加護持ち? アイツが……」
言う先に居るのは、装飾剣を構えた機動兵士の一機だ。
隊長機、追加の装甲が施されているとは言え、三メートル強の汎用型。
当然その機体の何処かには『契約機構』が施されているはずだが、それ以外に特別なところは特に見当たらない。
「……三倍とか角付きとか、そう言うのは無いのか?」
『あったら解りやすくて良さそうですが、今日のこれは戦争用でなく隠密用ですので。お忍びですね』
「戦争用、ってのはちなみに色は……」
『白銀です』
それもまた良し。最低限の礼節はあるようだ。
しかし、
「……あんたが、俺の『軍略』の後釜に据えられようとしているって言う加護持ちなのか?」
問う先、汎用機動兵士の視覚素子の向こう側に居る男は、構えを崩さないまま、こう答えた。
『如何にも』
がしゃん、と隊長機の全身が鳴り、目の前のリィンがピクリと反応する。
『私が授かったのは「共有」の加護。全世界を纏め上げ、「不理解」を正すにおいては「軍略」と同等の力を持つものです。故に』
隊長機が構えを深くし、もはや体を地面に伏せさせるように構えを作った。
言う。
『ただいたずらに戦力を拡大し、傷付く者を増やすだけの『軍略』には……ここで退場して頂きます。何か弁解はありますか?』
それは当然、ある。
なのでその時間を稼ぐためにも、目の前で喉から獣のような唸りをあげている娘の顎下を撫でて宥める。
調子に乗ったリィンが胸を持ち上げて『こっちも……!』とかやってくるのを無視し、
「……俺に『軍略』の力は、もう残っていない。あっちの『神』に全部渡してきちまったからな」
故に、
「俺を殺しても、あんた達の望みは叶えられない。それでも戦うか?」
言って手で示した先には、巨大な槍を持った少女が居る。
彼女がまるでペンを扱うような気軽さで突撃槍を振って見せ、付随して起こった轟風が下草を巻き上げた。
その様子に、三機の内後ろの二機がにわかに体を引かせるが、
『たった一人の娘を矢面に立たせるとか、貴方それでも親ですか』
すごい正論が来た。伊達に神とか討ち取ってない。
隊長機、ミハエルは言う。
『戦いますよ。「神」をも討ち取り、蜂起した我々にもはや戻る場所はありませんから』
それに、と男は言って、
『貴方殺して、それでもし駄目だったら……その時はその時です。別の方策を考えますよ』
「……冷静にすごい事言うなお前」
『……娘と子作りしようとしてる貴方に言われたくはありませんよ』
「いや待て」
それは誤解だ、と言おうとしたが、
「!」
その前に、飛び出したものがあった。
リィンローズだった。
その動きに反応出来た者は、俺を含めて皆無だった。
強いて言うなら機動兵士の隊長機、ミハエルだけがその瞬発に気付き、首を左に巡らせた。
だがその時には既に遅かった。
槍を構えて飛び出したリィンが穿ち、背後の空へと連れ去ったものは、
――右の機動兵士!
先ほどミハエルから股間に制裁を食らっていたものだ。
槍を受けたその起動兵士は、リィンの攻撃によって腹に大穴を穿たれた。
穴を開け、左手から銀色の剣を取りこぼし、更にその右手からは、
「……銃で俺を狙っていたのか……!」
ハンドガンのような射撃装置が、握力を失った手から零れ落ちる。
膝を落とし、助け起こされたその姿勢に隠すような形で狙っていたのだろう。
彼らが開幕で『居城』に攻撃を加えたにも関わらず会話に興じていたのは何故かと思っていたが、この形を作るためだった、と言う事だ。
それに気付いて飛び出したリィンの反応は流石だが、
「……お前、何かタイミングに悪意なかったか!」
「無いわ! 善意よ!」
視点の問題。そう思うが助けられたのは事実なのだからタチが悪い。
しかし、
「ちょっと手段が下品じゃねーか、ミハエル・ノーマン!」
油断させてドカンとは、いかにも悪役が板に付いている。
『僕もまあそう思わなくはありませんが、ええ。射撃までの流れは一任していたので。それでも抗議があるなら書面でお願いします』
向こうの世界行ったら『意思』通じなくなるだろうが。
『しかし』
言って、
『迂闊ではありませんかね』
ミハエルの機体が地を蹴った。
三メートルの身長を持つ重量が、極小惑星の地面に跡を穿ち、駆け縋ってきた。
右の手に剣。
左は無手だが、契約機構が不明な現状では何があるか解らない。
リィンは俺への不意打ちを防ぎ、上空へと右の一機を連れ去った。
つまり、
ーーリィンと距離が開いた今、こちらを守るものは何も無い。
故にミハエルの判断は至極正しいものだ。
トンを超える重量が下草を噛みながら迫り、その剣を腰に溜めて放たれる寸前の弩級を作り上げる。
彼我の距離が十五メートルを割り、巨大な鉄塊としての機動兵士が単純な圧として俺の視界を席巻した。
だが、
「迂闊はそっちだろ……!」
言って、
「リィン!」
俺は、ミハエルの背後、遠くの空へ去ったリィンローズへと呼びかけた。
「あいさ――!」
私はパパの声に応じ、『居城空間』の空から極小惑星を見下ろした。
己の心象。
心の風景。
その根本にあるものは無論『私』の根源だが、そこにはしかし、違うものも混じっている。
即ち、パパとママだ。
それぞれが持つ記憶。嗜好。好きなものや大事なもの。
そう言ったものがない混ぜになり、一つの空間として出力されたものこそがこの『居城』。
即ち、『私』だ。
だが今ここには、不躾な招かれざる客が、鉄の土足で踏み込んできている。
それは、
「パパとママを馬鹿にされたも同じことよね……!」
よく考えてみるとそうでもない気もするが、感情は何より優先される。この胸がパパへの感情に従いみるみる大きくなってくれたようにだ。それは違うか。
ともかく、
「第一球――――!」
槍の先端に保持した『もの』を振りかぶり、
「投げたぁ――――!」
投じた。
俺はそれを見た。
こちらへと迫るミハエル。一歩が身長と同じく三メートルとして、このままでは到達までは数秒と掛からないものだ。
だが、その背後。
迫る隊長機を間に挟んだ直線上の空で、風が鳴った。
大気を貫く音。
質量が風を纏う音。
二つ併せたなら、それは鉄の意味を持つ黒色の剛速球だ。
つまり、
ーーリィンに空へ攫われた右の一機!
腹を貫かれ、勢いに負けて手足の装甲の半分以上を失いながらも未だ重量を濃く持つそれが、
「!」
ミハエルの背を狙い、飛んできた。
『甘いですよ!』
言いながらミハエルが選んだ選択肢は、雄弁だった。
走る己の重量。
莫大なそれを瞬間的に前へと傾けて、空中を滑る前転を作り上げたのだ。
元より機動兵士は、その軽量化のために『中身』を持たない仕様だ。
外からの衝撃に弱い機体が急制動に悲鳴を上げ、肩のアーマーが耐えかねたようにして一つ弾け飛ぶ。
だが、
「ーー!」
それだけだった。
それだけのダメージをもってミハエルは、こちらへの駆け込みを、上下逆転した背後への振り返りに変換したのだ。
そして、起動兵士のスピーカーが声を放った。
天地を逆さにしたまま口にされたのは、一つの指令。
音声認識に従い出力される機能、そのスタートコマンドだ。
即ち、
『契約機構……!』
それは、先ほどこの空間の『外』で俺を襲ってきた隊長機が用いたものと比べれば、かなりスペックの劣るものだった。
ミハエルが駆るものは元より量産機。
積む契約は絞っていく方が運用としては正しいが、
「迎撃には足りないだろ!」
それは、向こうの世界において『契約』を結べる『魔性生物』としては、特段珍しいものではなかった。
名は『雲泥の一献』。倒した際に得られる契約は、
『触れたものに、己を起点とした重力の加算を強制します!』
言ったなり、リィンが放った敵騎の一撃がミハエルへと到達する。
対し彼は、
「ーー!」
装甲の両手を眼前に翳し、花弁を形作るようにして五指を広げた。
そのまま、器に受けるようにして投げられてきた一機を受け止める。
だが、
「ーー」
『世界』全ての力を集約する今のリィンの膂力は、正に無双の一言だ。
片鱗なりともそれが込められた投擲に、量産機の薄い装甲が抗えるはずもなく、
「……――!」
音を立てて、その両腕が圧撃される。
ひしゃげ、砕け、課せられたストレスが限界を迎えた傍から弾けて外れていく。
だが、
「!」
腕を砕くリィンの投擲が、不意に勢いを失った。
否、そうではない。与えられていた勢いが、その方向を転じていくのだ。
「ーー!」
方向は空。
まるで課せられていた運動エネルギーがミハエルの望むものに変換させられていくようにして、上空を目指す鋭い弧が完成する。
それは、
「天地を逆転したミハエルから見た『下』方向か……!」
言った通りの現象が投げられてきた一機に完遂され、鋭い勢いを持った機体が、それを保ったまま重量が空へと舞わせた。
惑星空間が誇る、遥かな空。
その機体は星を頂く天上へとどこまでも『落ちて』いき、やがてそれはミハエルの契約が与える過剰重力に耐えかね、高空にて全身を砕いた。
契約が切れ、また正しい重力に乗る頃には、ただの破片として落ちてくる。
ミハエルは、リィンからの攻撃を防ぎきった。
――スペックの劣る『契約』であれを防いだのは賞賛モノ。
だが、
『……ーーっ!』
無理のある前転を入れたミハエルの隊長機は、当然の流れとして、その背を地面に打ち付けて滑らせる。
契約は使った。勢いも両腕も失われた。
この状態でも俺を重量で押し潰すくらいのことは出来ようが、その頃にはリィンがこちらへと戻って来てくれる。
そう思い、にわかに安堵を得る。
だが、
『――言いましたよね。迂闊ですよ、と』
「――」
地面に倒れたミハエル、その陰から。
左の一機が、こちらへと剣を手に駆けてきていた。
――いつから!
思うが、そんなものは当然の事。
最初からだ。
リィンが右を攫った。
その隙を突き、ミハエルがこちらを狙った。
そうして一つの攻防が生まれて結果だけ言うとスクラップが一つ生まれたわけだが、その時には既に、隊長を補佐するものとして『左』の彼が追随してきていたのだ。
しかし、と思うのは、
――見えなかったぞ!
ミハエルが駆け出した時も、前転を入れた時も。その陰に左の一機は見えていなかった。
と、
「……あの剣……」
左の一機が、両手に持って右上段に振りかぶっていく一振り。
黒の剣、だと思っていたその色は、表面を覆う艶に不自然な光沢を載せている。
それは、
「塗装……」
そして相棒たる己の剣に、そのような装飾を施す意味は一つしかない。
元は別の色をしていて、それを隠していたのだ。
その意味はつまり、
『元は隊長機なのですよ、彼の機体は』
倒れ伏したミハエルが、外へと放つ拡声機構で言う。
『その契約相手は「陰陽の亀」。契約効果はまあご存知でしょうが、隠密系のつまらないヤツです』
知っている。
戦闘系においてはまず採用されないが、『己が認識を行わない限り、相手からも認識されない』と言うものだ。
要は、戦場で目を閉じてじっとしていれば気付かれない、と言う緊急回避用。
契約相手の『陰陽の亀』には天敵が多く、故にそのような能力を得たのだと言う。
だが、
ーー今、この場においては最高に有用だ……!
リィンは右の一機とミハエルを相手取って無力化してくれたが、その過程で左の存在を意識から失した。
それは俺もまた然り。
彼女の助けはもう間に合わない。槍を投げてもいいだろうが、もはや敵はこちらに近づきすぎている。
俺を優先するであろうリィンは、それをきっと行わない。
ならば、
「リィン!」
上空の彼女へと、声を放つ。
「お前パンツ履いてなくないか!」
上空、風にスカートを翻らせるリィンが答えた。
「パパ以外には見えないようにしてるから大丈夫!」
迫る一機が肩をガクリと揺らし踏み込みを強くしたが、
『――』
顎をかち上げ、振り返らんと己を誘う甘美な蠱惑を断ち切った。
偉い。だが、
「一瞬、隙。出来たよな?」
だったら、
「俺も、黙ってやられはしねえっての」
懐から、それを取り出す。
ナイフだった。