第三章 話をするのに必要なもの。それは落ち着き。
かくして、俺達を襲ってきたウエンストン製機動兵士三体は、その全てが槍の錆と散った。
三体目に至っては胴の中央を下から上へと舐め取られて、その質量を半分に割られたような状態だ。
「……なんとも……」
見れば、リィンの正面、三体目との間にあるアスファルトにもまた、軌跡を辿るように抉れが描かれている。
槍の攻撃は下から始まり、軌道上の全てを削り、機動兵士を巻き込んで天へ上った。
そしてそれを成し遂げたのは、ただただ息を巻く他ないこの少女の膂力だ。
世界全てを統合した力。
『軍略』の成せる技。だが、
――一体、どう言う事態だ?
俺の『軍略』は確かに国を纏め上げる力。
しかし、一年前ーー俺が世界の統合を遂げ終えた時点でさえ、このような無茶苦茶な力は無かったはずだ。
あるいはこの少女、リィンローズの地力の強さ故か。
否、そうだとしても、もう一つ不可解はある。
――何故『軍略』が未だ作用している?
あの力は俺の力だが、その発動原理は『あの世界』の法則に頼る。こちらの世界でそれが発現する道理はないのだ。
「ふう」
言って、槍を振り上げたまま残心していた少女が息を吐く。
汚れ一つない紅の槍を、しかし血払いのように右へ振って、
「!」
鋭く音立て、その石突を直下のアスファルトに突き立てた。
全ての動作に胸の揺れが付随するのが非常に目の毒だ。先ほど感じた甘く豊かな匂いが脳髄に蘇ってクラリとするが、
「俺の嫁はシャロ俺の嫁はシャロ俺の嫁はシャロ俺の嫁はシャロ俺の嫁はシャロ……」
「ママと仲良しなのはいいんだけど、何で右手が目の前の空間を揉んでるの?」
何か漏れてた。いや、だってシャロとは時間制限のある中で考え付く限りの色々な事をしたが、おっぱいに関しては絶望的な壁――略して絶壁――が立ち塞がって夢を叶える事が出来なかった。ファック。いやファックは叶えた。
「ま、いいわ。……それにしても、うーん……」
リィンは夜空を見上げ、
「何か、もうちょっと来そうな感じね。パパの反応が消えれば諦めるかしら」
そう言って、槍を持たない手を眼前の空間に差し出した。
と、
「……『居城」?」
リィンの左手が、何もない空中に『それ』を探し当てるようにして握り込まれる。
そうして俺の目にも見える形で具現化したのは、一つのドアノブだ。
それを皮切りに、彼女の目の前の空間が切り取られるように色を変じていく。滲むように、あるいは濁りの強い沼の底から引き上げるように現れたのは、一つの扉だった。
居城。
吸血種の固有技能。
俺の知るものより規模が何だか庶民的だが、
「来れば安全。来なくても私が守るけど……どうする?」
結局そうして、俺は機動兵士の残骸を放置して誘われるがまま『こちら』へと入ってきてしまった、と言う訳だ。
妙に明るい夜空の下、俺は言う。
「……あれは何だったんだ? 新手が来るかも知れないような事も言っていたが……」
と言うか、
「よく考えれば何もかもおかしい。機動兵士はあくまで『向こう』の法則で動いていたもの。何の法則も持たない『こちら』に来れば、動くまではまだしも戦闘なんて……」
問う先、一軒家の扉前に居るのは、紅のドレスに身を包んだ銀の髪。
リィンローズ・クランベリー。曰く、俺とシャロの娘だと言う少女だ。
「んー、まあ私が『戦えてる』のも似たようなものなんだけどね?」
リィンは、彼女の『居城』たる惑星空間、その中に聳える家の玄関扉に、鍵を差しこみながら言う。
「ま、おいおい説明するわ。ここに居れば安全だけど、落ち着けるに越したことないし」
音を立てた扉を手で示し、歯を剥いた笑顔をこちらに向け、
「とりあえず、入りましょう。お茶くらいなら出るわ」
扉の先には、暖炉の付いたワンルームに、ピンクのシーツを設えたキングサイズのベッドだけがあった。
「ジョーダン! ジョーダンだから! ね! ちょっと急ぎすぎただけなの! だから帰らないでパパ!」
「もう」
家の中、そう言ってリィンが指を鳴らすと、部屋の中央に鎮座していたベッドが見えない穴に落とされたかのように消滅した。
次いで現れたのは、床を敷き詰めるようなライムグリーンの巨大カーペットだ。そしてその上へと配置を行うように、テーブルやラック、調度品の類がせり上がるようにして現れていく。
そうして完成したのは、薄いグリーンを基調としたこざっぱりとした部屋だった。
入り口から程近い位置には木製のテーブルと椅子。壁際にシンクとキッチンがあり、その逆側の壁際にダブルサイズの天蓋付きベッドが置かれている。
それは部屋の中でもやや浮いた、有り体に言って高級感ある雰囲気を放っており、
「……あれ、使用目的は?」
「警戒しないでよパパー。ママが買ってくれたやつをそのまま置いてるだけよ。大きさはまあ、一応魔王の娘ですので」
贅沢品であり他意はない、と、そう言う事らしい。
「……ちなみにさっきの、入れ替え前のヤツはどういう?」
「ママが買ってくれて色々塗ってくれたヤツ」
「塗る」
「近づくだけで色々駄目になるような感じの。懐かしくない? それで私が出来たのよね?」
良い思い出ではあるんだがあまり思い出したくないのは何故なのだろう。
「ま、とりあえずこっち」
そう言って手で示された先、入り口から右手にあった木製のテーブルに俺は着く。
椅子もテーブルも木製。どこか手作り感があるのは表面を覆うのがどこか安っぽい明るさのコーラルグリーンだからだろうか。
程なくして、リィンがキッチンからポットとティーセットを持ってきてそれを俺の前に注いでくれた。中身は、
「緑茶?」
「好きなの、緑。見れば解ると思うけど」
それと茶の好みは関係ないと思うが。
「さて」
そう言って、少女が目の前でいきなり胸をはだけた。
俺はその時何が起こったのか解らず、止まった脳に入力される映像を、ただ呆然と眺める事しか出来なかった。
剥いた果実が零れるようにして目の前に現れた『何か』。
抑えつけられていた枷から解き放たれ、ただこの場の重力に身を任せてゆさりと落ちる『何か』。
ドレスの布地が形作っていた丸いラインが、その消失と共に前後のみならず左右へと弾んだ。
『何か』はそのまま数秒を波打って見せ、
「ーー」
呆然の中、俺の脳髄が目の前の情報を無意識化で整理する。
重さがあり、柔らかそうで、正面へ向けてつんと張り、左右から寄せて作られる谷には汗の滲みが艶を載せている。
揺さぶりと共に乗ってきたその匂いは、先ほど嗅いだものよりも殊更に濃く、そして甘い。
リィンが着ていたプリンセスラインの紅色のドレス。その上半身部分が不意に下へ落とされ、その肌を全て晒したのだ。
「……何を」
「え? 何パパ、着替えよ、当然。外行きは紅だけどね、ここじゃ外面気にする必要ないもの」
「何故ここで?」
「だってパパ、おっぱい好きでしょ?」
だから、
「いきなり射精したりしたら面白いなぁ、って」
「するか!」
なんだつまらない、と言ってリィンが指を鳴らした直後に彼女が纏ったのは、やはり薄いグリーン色をした毛足の長いフリースだった。
不意に締め付けを得た胸がふるるとたわむが、それ以外は常識的な装いだ。
パジャマか部屋着か、と言ったシンプルなデザイン。
上が長袖で下が短パンなのがよく解らないが、ジッパーが上まで閉まりきっていないのはどうにかならないのだろうか。ならないんだな多分。
と言うか、
「一瞬で出来るんじゃないか……」
「『居城』だもの。この程度は自在だわ。心の具現だからたまに不意に溢れたりするけど……」
言ったなり、横目に見えるキッチンの下にあった収納がガタリと揺れて中から物が溢れてきた。
「あ」
それは、多くが紙の形をした何かだった。他、大小さまざまな額縁のような木枠、それに本。全て合わされば津波のようにキッチンの床が埋まる。
見る限り、
「写真? ……ああー、あの時の……」
それは、俺が自分の世界に帰る前、シャロにせがまれて撮ったものの一部らしかった。
二人きりで過ごした時期はそう多くなかったが、それなりの数を撮られたり、撮らされたりしたのを覚えている。
多くは俺の日常を切り取ったもので、その中にシャロと一緒に写ったものが混じる形。
額に入れられたものは多くがツーショットのものだろう。
「ほら漏れた。もう、私浮かれてるみたいね。平静を装ってはいるけど……」
「装えてるか?」
解らんが、一つ気になったのは、
「それ、シャロから貰ったのか? ええと……
「大丈夫よ。『そう言うの』はアルバムに入れて厳重に……」
言う先、床に散らばった本の内、ピンク色の表紙を持ったものが津波の勢いに負けて開いた。
丸見えになり、
「ああ、御免パパ、毎日使ってるからこっちにも混じっちゃったのね。失敗失敗」
「使う」
「まず写真を貼った抱き枕を胸に挟んで想像力を掻きたてるのね?」
「説明はいい」
そう? と言ったリィンが指を鳴らし、床に散らばった写真を片付ける。
そうして彼女がこちらの真横に座り、己の分の茶を注いだ。
一口、唇を湿らせるように飲み、椅子は揺らしてこちらに身を寄せ、
「でまあ、落ち着いたところで」
「……ああ。そうだな」
色々と、説明をして貰わなければならない。それは、
「ベッド行きましょ、っか……パパ……」
「そうじゃねえよ……!」
「いやだって、巨乳の女の子の気持ち考えたことある? パパ?」
こちらの腕を取り、ねえねえ、と揺さぶりをかけながらそんな事を言ってくるが、男があったらおかしくないだろうか。
「重いのよ。だからこう、寝転んでね? 重量をベッドに預けて、そこでようやく落ち着き、となるのよ。常識ね?」
「……その状態でどう俺と話す?」
「正面に寝てくれれば、互いの構図としては首脳対談と差はないわ。それに」
言って、少女が己の谷間に上から指を差しこみ、その肉を左右に掻き分ける。
「その体勢なら、不意に使いたくなった時も安心よ。合理的帰結……!」
「ウエンストンの機動兵士。動く事自体疑問だが……何より、今更俺を襲ったところで得など無いだろう……一体何故……」
「あ、無視! 無視だわ! こことここにきゅんて来る……!」
うずくまって肩を震わせ始めたが、メゲねえなお前。
「ああ、ふう……ホント最高……生パパよね生パパ……そう言う時代なんだわ……」
「いやもうホント、少し真面目に頼みたいんだが……」
一向に話が進まない。こちとら命を狙われたりもしているのだから、ちょっと切羽詰っていると言っていい状況なのだ。
「そうね、うん。それなりに満足したし、ああ、ふう……。うん。ちょっと真面目に、ね」
言って、少女が茶を一口含む。それを機と見て、
「……色々あるが、まず解らないのは、何故俺があんなものに狙われなくちゃならないのか、と言う事だ」
ウエンストン製の機動兵士。
元々の俺の『軍』に比べれば単体の力は弱いものだが、それでも人間を一人ミンチにするのに苦労はしないものだ。
それが三体。もはや『普通の人間』として生活を送っていた俺を襲ってきた。
しかも、
「学校からの帰り。人気の無いところへ入ったなり、だ」
それは、
「隠密行動って成りじゃあ無いから……一般人を巻き込むまい、と言う思惑があったんだろう。ならば標的は、俺だ。他の誰でもなく、俺のみを狙ってきた。そしてそれは……何故だ?」
「うーん」
と、リィンは一度頭を抱え、
「でもさ、パパ。パパは一回世界統一した超絶極悪クソ性悪独裁者でしょ? 充分な要人だと思うけど。そんな理由、それこそ山の数じゃない?」
「統一じゃないし独裁もしてない。……ただ、皆に声を掛けて、スタートラインを揃えさせただけだ。それに」
俺はかぶりを振り、
「当時なら、まあ俺は確かに結構な要人だったろう。しかし、もう既にその役目は終わっている」
何故なら、
「俺を英雄たらしめていた『軍略』は、もはや搾りカスでしかない。向こうに残してきた『神』に、その力を全て受け渡して来てしまったんだから」