序章 まず俺の娘がやって来たんだ。そこまでは解る。
行為が終わった後、彼女は俺にこう言った。
「……吸血種は確かに出生率低いけど、でも。こんなにされちゃったら……どうだろうね。解んないよ?」
しかしその言葉に悲観はない。笑みと抑えきれない高揚を隠しもせず、その腕と肌が俺の左腕を抱き込んだ。
俺は答える。
「……どうだろうな」
確かにちょっと、やり過ぎた感は拭えない。
だが何せ三年越しの想いの成就だ。どうにも抑えきれなかったし、まあぶっちゃけ抑える気もあまりなかった。
彼女はしかし、
「無責任」
怒ったようにこちらを小突き、笑みを漏らした。
「嫌か?」
と俺は訊く。
「ジョーダン」
彼女がまた笑い、
「貴方との子供なら、喜んで。……でも……」
「……」
彼女が、不意に表情に陰りを落とす。
そうだ。
遅かれ早かれ、俺はいずれ元の世界に帰ってしまう。
その不安と心細さ、彼女への申し訳なさが沈黙として降りる。
だが、
「……だったら」
不安を拭い去るように、彼女俺に身を寄せてきた。
「追いかけるわ」
「……」
簡単に言うな、と驚いた。
だがどうにも高揚する感情が抑えきれず、俺もまた釣られたように笑う。
彼女も笑い出し、何もない数分をただ過ごした。
言われる。
「……嘘じゃないわ? 絶対よ。だからもし出来ちゃってたら、その時は……」
目を閉じ、ぎゅう、と俺の腕の肌に唇を寄せ、
「結婚してくれるわよね?」
言ったさ。
ああ、確かに俺は、この世界に帰ってくる前、『魔王』と呼ばれたパートナーにそう言った。
もうそれから一年が経ち、あっちの世界ではどれだけの時が過ぎただろう。
それらは、俺の中にある何よりも大切な思い出だ。
「パパ!」
言う少女の姿は、月明かりを背景に毅然と立つものだ。フレアのスカートを風に流し、長い銀髪は絹の様に滑らか。
そして手に持った紅の突撃槍は、
――一撃……。
その足元の鉄塊を、深々と刺し貫いていた。
それは、先ほどまで俺を追いかけ回していた鉄身の巨人『だったもの』、その残骸だ。
少女はその、もはや過去系となってしまった数メートルの巨躯から二メートルもの槍を引き抜いて、
「来たわ! 来たのよ! ママとの約束通り!」
覚えてるわよね? と言って彼女は、槍の石突を巨人に突き立てる。
ガン、と鉄を穿つ音が響く。
そして腰に手を当て、胸を張り、その双丘をふるりと揺らし、
「……結婚しましょう! 私と!」
「……はい?」
俺は、十五歳からの三年間を異世界で過ごした。
英雄、だなんて囃し立てられ調子に乗って、しかしあるとき、俺は『世界』とやらが持つ真の姿に気がついた。
幸い、俺には特殊な才能があった。だからこそ『国王』はこちらの身を国に縛り付けておきたかったのだろうが、まあなんと言うか、俺は仲間に恵まれた。
そう。俺には力があったのだ。
仲間の力を単純に倍化し、自軍においてそれを更に累積、高まった力を『再分配』する稀有な才能。
『軍略』。
だがそれは、『仲間』の力を強化こそすれ、俺自身の力を高める類のものではなかったのだ。
故に苦労は多かった。
それに加え、『意思を伝える』なんて言う、元の世界であれば当然に行われているようなことも、一回戦争挟まなければ出来ないような世界だったのだ。
そこにおいて、俺は、人間の醜さってヤツを思い知らされた。
それでまあ、そんなこんなで三年間。
『王国』に反旗を翻し、国を立て、いくらかの仲間はそれに付いてきてくれて。
俺を含め三人きりの『将官』と五十人の部下から始まった国奪りは、『現界』と『魔界』を跨いだ大戦争に発展し、最後には『過去』からの侵略をもって終結した。
いくらかの名が消え、いくらかの名が歴史に刻まれ。
いくらかの国が統合して離れて消えてを繰り返し、いくらかの『決断』が世界を動かした。
その過程で俺もまた国々を奔走する羽目になり、まあ、その中で仲良くなった女の子が居たりもしたのだ。
吸血種の少女。
年齢は最後まで教えてくれなかったが、側近だったワーウルフの老女が幼馴染とか言っていたので、まあ推して知るべし、だ。
名は、
「……シャーロット。シャーロット・クランベリー。ああ、確かに俺は言ったよ、彼女に。『出来ちゃってたら結婚する』って」
「ベッドの中でね」
「ああ、そうだ思い出してきた……繋がったまんま話してたからテンションも結構高くて」
「わ、悪びれないわねウチのパパは……でもそこが素敵」
何か言っているが、これ教育の問題だろうか。まあ俺が言えた義理ではないが。
俺は訊く。
「……君は……」
その疑問に、赤いドレスの少女は、巨人の残骸に背を預けたままで答える。
こほん、と可愛らしく咳払いを一つ打ち、
「私の名前は、リィンローズ。リィンローズ・クランベリー。ママの娘で、パパの娘。そして……ふふ、パパの……婚・約・者」
「いや待て」
俺は、片手を掲げて否を示した。
夜。都会。繁華街。
異世界からの流入技術が一般的になっても、この街の雰囲気と本質は変わらない。
確かにまあ、ドラッグストア前で接客をしていた『ガーリック君』は三メートルを越える鉄の騎士に取って代わられた。
また別の場所では、ネオンに群がる蛾の中にどこぞの使い魔が混じってキャバ嬢に追い払われたりしている。
だが、所詮はその程度のものだ。
東京、新宿区。
『法則』を持たないこの世界への『転移者』は年を通してもそう多くはないが、街に違和感なく溶け込んでしまう程度にはそれらも当然の景観になっている。
だが、
――ちょっとした近道のために入った雑居ビルの裏道で、いきなり『そう言うもの』に襲われちまうとは……。
鉄の兵士。
異世界の技術。
例え異世界でブイブイ言わせてた時代の俺だったとて、逆立ちしても絶対に勝てない相手だ。
故に、
「……まあ、とりあえず礼を言おう。ありがとう、助けてくれて」
言って、俺は少女の背にある巨人の残骸を見る。
鉄の巨体。
内部を空白に開けた人型機械。
それは、
――ウエンストンの機動兵士……。
俺が渡った異世界で、しかしまた別の異世界から輸入されて造られた鉄身の兵士だ。
ウエンストン、とはその元になった異世界ではなく、それを使って戦争してた国の名前だが、
――あまり印象に残ってねえなぁ……。
『軍略』故、部下に任せての高みの見物ではあったが、全体的にワンパンだった記憶しかない。
ゲームで言えば十人単位で吹き飛ばされる類の雑魚キャラだ。
だが、
「……いきなり襲って来たもんで、どうしようも出来てなかったところだ。俺、『軍略』あるけど基本モヤシだし」
「問題ないわ。パパを助けるのは当然の事だし、そうじゃなくてもこれ、こっちの問題だもの」
「……そっちの問題?」
「そう」
言って、リィンローズと名乗った少女は、背を預けていた鉄の塊に槍の穂先をカン、と当てた。
「ちょっとね。パパが救ったあと、こっちじゃもう百年経ってる訳だけど、色々あったのよ。戦後処理は英雄の役目じゃない、なんて言ってママも頑張ったんだけど……大変だったみたいよ?」
少女は思い出すように目を細め、
「でもね、ママは約束を心の糧にして頑張ったの。『いずれあっちの世界へ渡る時が来る。そうしたら、親子三人仲良く平和に暮らせる時が来るわ』、って」
そして、
「……『貴女と彼が結婚して、三人で同じ家に住んで。二人の夜の営みを、私はその隣の部屋で歯噛みしながら聞くの。ああ、素敵……』って」
待って待ってホントに待って。
思い出が崩れる音、と言うのを、俺は生まれて初めて耳にした。