豊の姫の力
『豊の姫様! 助けて! 助けて! 火が火が!』
アイラの耳に悲痛な叫びが届いた。アイラは右手の平を天に伸ばす。左手を握りしめ、胸に当てた。そして叫ぶ。
「天に願う! その力を我の想う元へ与えたまえ! 火を消す力を!」
時は少し前にさかのぼる。隠れ門から草原に出たアイラ達は、久しぶりの自然の緑に癒されていた。そして、中刻の鐘が鳴る。
ーーサワサワ サワサワーー
風が草原を揺らす。
ーーサワッ ……ザワッザワッ ザワザワーー
「え?」
ーーザワザワ ザワザワーー
草原が激しくざわめく。クレアとセリアは辺りを怪訝そうに眺めた。
「クレア! セリア! 時間がない。力を使うわ!」
アイラが手を挙げる。クレアとセリアが慌ててアイラに駆け寄るが。
「アイラ様! おやめに」
「天に願う! ……」
アイラが叫び終わると同時に、頭上に轟く。
ーーゴロゴロ ゴロゴローー
一瞬の閃光。稲光が空を這う。
ーーザザザザザザッーー
雨粒が草原を濡らした。
「アイラ様! 何故、天の力を?」
クレアがアイラに問う。
「まだよ!」
アイラは左手を胸に当てたまま屈み、天に伸ばしていた右手を地に着けた。
「地に願う! 我の力を我の想う元へ届けたまえ! この大地の力を!」
「「アイラ様!」」
クレアとセリアが悲鳴にも似た声を上げた。
閃光が地を這う。光が草原を走った。
「アイラ様! もうお止めに! お願いいたします!」
クレアが叫ぶ。
「ま、だ、……まだ、ハァハァ」
アイラは苦しそうに息を吐く。
「三豊の力を使ってはなりません! アイラ様のお体がもちません」
二人はアイラを支えた。
「駄目、まだよ。ハァハァ」
アイラは、遠くに淡く光る草原を見つめた。アイラは二人を払った。クレアとセリアはすぐにアイラを支えようと手を伸ばす。
「駄目!」
両手を真っ直ぐに左右に伸ばし、クレアとセリアの動きを制した。一瞬、二人の動きが止まる。その間をアイラは逃さなかった。
「風に願う! 我の力を我の想う元へ届けたまえ! この緑の力を!」
左右に伸ばした両手をそのままに、クルクルと回転するアイラ。光る風が草原を伝う。伝うその場はあの遠くに淡く光る草原に。クレアとセリアはへたりこみ、そのアイラの様を見守るだけであった。アイラの動きが止まる。
静寂
ーードサッーー
「「アイラ様!!」」
立ち上がる二人の侍女と倒れる姫。
「ハァ……、二人、とも、……後を……ちゃん、と、お願いね」
アイラの意識はそこで一旦途切れた。
***
「何が起こったのだ?! あの光は一体何なのだ?!」
王の問いに答える者はいない。王塔最上階、王の間はザワザワとしていた。
「ただいま戻りました」
そこにレオンとマーク、ジークが入ってきた。三人の帰還を待ちわびていたように、一斉に視線が集まる。三人が王の前で一礼した。
「何があった?」
王が問う。三人は顔を見合わせる。レオンがマークに視線を送り頷いた。それを合図にマークが一歩前に出た。
「草原の被害は広範囲に及んでおりました。焼き払い寸前で、雷雨にあい火が消えてしまいました。そして」
マークは、一呼吸おいた。
「光が被害草原を覆い、風が吹いた後、大地が潤い草原の緑が……蘇っておりました」
王の間は、シーンと静まり返る。
「光は……」
王はそう言うと、その続きに言葉を選んでいるようだった。
「天候、大地、緑の復活……」
王の呟きが響く。やがて、ヒソヒソと部屋がざわめきはじめる。マークは睨みをきかせた。しかしそれは止むことがなかった。次第にヒソヒソからザワザワと、ザワザワから言葉が認識できるまでとなる。
『豊の力か?』
『あの姫は今、何処に居る?』
『あの姫は何者だ?!』
「静かにせよ!!」
王の一喝で再度静けさが戻る。
「レオンよ。アイラとはどうじゃ? 今朝も一緒だったのだろう?」
マークは焦る。レオンも、王の問いにピクンと体が反応し、その答えを詰まらせていた。
「王様、昨日よりアイラ様は体調が芳しくなく、青の国の巫女侍女が治癒にあたっております」
マークは隠さずに答えた。そして、さらに続けた。
「レオン様は、昨日の会議より草原の件で準備と指揮をしておりましたので、アイラ様の件はご存じないのです。アイラ様から、『体調のことは内密に』とのことで」
王はマークの発言の様に、違和感を感じ眉を寄せた。王の怪訝な顔にマークは気づく。そして、さらに取り繕う。
「アイラ様は、レオン様に心配をかけたくないとおっしゃられまして」
部屋に微妙な空気が流れる。何故なら、レオンの発言が未だないからだ。
「王様、後日詳しく調査した内容を報告しますので、私はこれで退室してもよろしいでしょうか?」
レオンの退室願いに王は、「すまぬな、心配であろう。すぐにアイラの元に行ってやれ」と言った。王はレオンの退室願いが、アイラを見舞うためと思っていた。レオンは一礼すると、ジークとともに部屋を出ていった。マークもそれを追おうとしたのだが、王に呼び止められる。
「マーク待て。草原の件でまだ訊きたいことがある」
マークは留まり王の問いを待つ。
「皆の者下がれ! 草原の件は後日の報告を待つ」
王とマークだけになった部屋。王は、草原が見えるバルコニーに移動した。マークも後に続く。
「見よ」
マークは王の指差した方を見た。
「まだ光っておりますな」
草原には光の帯ができていた。そして、その帯は被害草原へと続いていた。
「マーク、我々はとんでもない姫を」
王は、先程と同様に言葉を選びあぐねていた。
「ですが、まだそうとは決まっておりません。草原へ行けるはずがないのです」
王は少し考え込んでから言った。「隠れ門は、そのままか?」と。
「はっ、城に帰還する際に確認しましたが、開いた気配はありませんでした」
「そうか。アイラは昨日から体調が悪いのだな?」
「はい、今頃は治癒で落ち着いていると思われますが」
マークは、朝にアイラに会えなかったことを思い出していた。そして、クレアとセリアにも会えていないことを。マークの中の引っ掛かりが大きくなる。
「王様、私もアイラ様のお見舞いに伺います。様子を見て参ります」
王は草原にあった視線を、マークに向けた。
「ああ、行ってこい。報告を頼む」
「はっ」
海の塔に行く途中で、マークは庭園に寄ることにした。
「存在しか知らぬ隠れ門に、どう行くと言うのだ?」
独り言を言いながら、薔薇の通路を進む。農機具小屋の前に立った。辺りを見渡すが、別段変わったところはない。
「まさかな」
マークは、小屋に入った。五枚の板壁をコンコンと叩く。
「いちお、中も確認するか」
マークは仕掛け扉を開けて確認した。鍵は三つともかかっていた。
「……」
マークはさらに鍵を開けて確認する。
「異常はない……が、うーん」
マークの第六感が何かを感じ取っている。おかしくはないのにおかしい。そう感じていた。
マークは海の塔に向かいながら、考えていた。小屋で感じた違和感の答えを掴もうと、マークは思い出す。
ーー仕掛け扉……、あの確認の時に感じた何か。鍵は三つともかかっていた。別段変わっていなかった。なのだが、……何か、何かおかしいのだーー
マークはフゥーっと息を吐いた。足を止める。塔を見上げた。海の塔である。
「答えはここにあるはずだ」
ポツリと呟き、塔内に入っていった。
***
「レオン様、アイラ様のお見舞いに行かないのですか?」
先を歩くレオンが、海の塔とは違う方向に進んでいくのをジークが問う。
「草原に戻る。詳しく調べるぞ。ひとつ確認し忘れたのだ。新種の害虫がどうなったかを」
レオンの言葉にジークはハッとした。
「そうですね。草原が復活して、王様への報告で、確かに害虫の存在を忘れていました。あの光は害虫までも駆除したのでしょうか?」
「……」
レオンは答えなかった。
草原に到着したレオンは、調査をしている兵士を集めた。
「何か変わったことはあったか?」
数人の兵士が前に出た。ジークの指示が出て、そのうちの一人が報告する。兵士は腹部から布を取り出した。
「レオン様、こちらをご覧ください」
兵士の広げた布の中には、キラキラと輝く虫がいた。
「これは?」
レオンはその虫を観察した。やがて気づく。
「これは! ミュウ虫ではないか!」
ミュウ虫、それは稀な虫。稀少虫である。宝虫、緑虫、ミュウ虫、呼び名は様々あった。植物の負の部分を食する。その糞は大地を豊かにする。だが、中央大陸では青の国に生息するのみの稀少な虫であった。
「何故ミュウ虫が? まさか生きていたのか?」
レオンは一年前を思い出す。巫女侍女とともに青の国からミュウ虫が贈られたのだ。だが、涼の国の気候に合わなかったのか……
「青の国から、貰ったミュウ虫は一年前死滅したはず。これは一体」
レオンはミュウ虫を見ながらそう言った。兵士は緊張の面持ちで口を開いた。
「これは、この虫は……」
兵士が口ごもる。
「早く報告せよ!」
ジークが命じた。
「はっ、この虫は害虫でございました。あの光の前までは!」
「今、なんと言ったのだ?」
レオンは信じられぬといった表情だ。
「あ、あの、草原に火を着けたら、そこに放り込もうと、持っておりました。ですが、あの雷雨があり、光が……、レオン様達が城にお戻りになり、草原を調査している時に思い出したのです。虫のことを」
若い兵士は、微妙な間のある喋りをしていた。兵士自身がその起こった現象を信じられないようだった。
「で、確認したらミュウ虫になっていたと言うことか?」
ジークが兵士の言葉を補足した。
「はっ、ミュウ虫に変わっておりました」
「「……」」
レオンとマークが沈黙する。
「あの!」
先程の兵士が再度話し出す。
「草原にいた害虫も、全てミュウ虫に変わっておりました」
「何だと?!」
そう言ったレオンは、すぐに屈み草原を確認する。ジークも場所を変えて確認した。
レオンの手の中にミュウ虫。ジークが近寄り、手を広げた。ジークの手の中にもミュウ虫がキラキラと輝いていた。レオンとジークはそっと草原にそれを戻した。そして、立ち上がり草原を見渡した。
光の帯が瞳に映る。
「ミュウ虫の光」
レオンは光の帯の答えを得た。だが、
「何故」
「そうですね。何故なんでしょう?」
ジークも口にする。
そうである。光の正体が判明したとしても、その現象が究明されていない。草原に起こった奇跡の正体も。
「それに、光っているミュウ虫。青の国から、貰ったミュウ虫は光っておりませんでした。本当にミュウ虫なんでしょうか?」
ジークは疑問を口にした。
「それもあの光の影響か。そして、あの光は」
レオンは光のはじまりの草原に視線を送った。
「レオン様、城に戻りましょう」
ジークが進言する。
「いや、港に行く。港の調査隊からも話を聞かねば」
レオンとジークか港の向かった。
***
マークは巫女侍女に進路を阻まれていた。
「少しなら良いであろう! アイラ様に訊かねばならぬことがあるのだ」
マークは苛立った声を出す。侍女も黙ってはいなかった。
「治癒睡眠を施したばかりです! 安静にしないといけないのです。今、覚醒させたら全く効果がなくなってしまいます!」
侍女二人が扉の前で仁王立ちをして、マークを止めていた。
「では、一目アイラ様の在室を確かめさせてくれ!」
侍女達は顔をひきつらせた。
ーーパッタンーー
侍女達の後ろの扉が、小さく開く。
セリアがそっと体を扉から出した。そのまま、侍女達の横をすり抜け廊下を数歩進んで振り向いた。セリアはマークを見据え佇む。マークもセリアを見据え数歩進み、対峙した。
「傷が化膿しております」
セリアが冷たい声で告げる。
「……アイラ様に会いたいのだ」
マークは、間をためてセリアに挑んだ。
「正気でございますか?」
「一目でよいのだ」
「正気でございますか?」
セリアは再度同じ言葉を口にした。マークの眉が上がる。
「何故、会えぬのだ!」
低い凄みのある声が廊下を渡る。扉の前の巫女侍女達がギロリとマークを見た。
「昨日の傷を覚えていないのですか? 全身傷だらけです。やっと眠りについたばかりなのです!」
セリアも凄む。
「アイラ様の在室を確認したいのだ」
今度はセリアの眉が上がる。
「在室の確認? アイラ様はずっと、この海の塔に閉じ込められているではないですか!」
マークは唇を噛んだ。
「王様に命じられたのだ!」
マークは発した。最上級の命を口にしたのだ。だが、セリアは動じなかった。
「寝着であることを理解した上での命ですか? 先程全身傷だらけであると、治癒睡眠中だと伝えました。当然寝着です。……レオン様以外の男性に……わかりませんか? 正気でございますか?」
セリアの発した内容に、マークはグッと喉を詰まらせた。容赦なくセリアは追撃する。
「当のレオン様ですら、寝着のアイラ様を見たこともないですよね? 王様に伝えましょうか? アイラ様の寝着をはじめて見たお方(男性)は史官様ですと!」
「い、いや。すまぬ。け、軽率であった」
セリアがマークをやり込めた様を、巫女侍女達は目を丸くして見ていた。だが、ここでマークは思い付く。そして、口にした。
「では、レオン様に来ていただこう」
セリアの眉はさらにつり上がり、マークもその形相にたじろいだ。
「そちらの申し出を、アイラ様は受け取ったのです! 失礼にも程がある!」
上官であるマークに激しく叫んだセリアはズンズンと歩き、部屋に入っていった。唖然とするマークに、ジーナが近づく。
「史官様、本日はどうか……、どうか」
ジーナの声でマークは意識を戻した。
「あ? ああ、そうだな」
なんとかそう言ったマークは、廊下を歩き出した。数メートル歩いて立ち止まる。踵を返し、再度アイラの部屋に戻った。ジーナとエレーナが、帰ってきたマークに怪訝な顔を見せる。
「史官様、どうか「いや、そうではない」」
マークはジーナの言葉に被せた。二人の侍女が顔を見合わせる。
「朝のことを覚えているか?」
マークの問いに侍女達は首を傾げた。
「朝言っていたであろう? ……薔薇がと」
ジーナが小さく"あっ"と声を出した。それから、エレーナに視線を送る。エレーナはコクリと頷いた。
「史官様、豊の姫に"切り花"を贈る意味をご存じないのですか?」
エレーナは小声でマークに訊いた。
「意味?」
エレーナは、静かに考え込むマークを待った。マークは、草原の異変で忘れていた、薔薇の見舞いのことを思い出していた。
ーーそうだ! そう、豊の国のこと、豊の姫のことを調べようとしていたではないか! ……草原の件で忘れていた。そうだ、草原の件でも豊の姫の力について調べなければーー
「昨日、薔薇を贈った時の侍女達の振る舞いも、アイラ様の言動も確かに奇妙であった。何かあるのか?」
マークはそう言いながら、あることをさらに思い出していた。エレーナが言葉を発する前に、それを口に出した。
「アイラ様は、『お受けします』と言っていた。先程のセリアの言葉は!」
マークはバッと二人の侍女に顔を向けた。侍女達はビクンと体が跳ねた。今度はマークの形相があまりに恐ろしかったのだ。
「あの薔薇には、何の意味がある?!」
マークの声が廊下を支配した。
ーーパッタンーー
「まだ居たのですか?」
セリアの声で、廊下を支配していたマークの気迫が消される。マークはセリアに問うた。
「先程、『そちらの申し出を、アイラ様は受け取った』と言ったな?」
「ええ、言いました」
「どういう意味だ?」
「大国の礼儀とは……」
「……その言葉も聞いた。そう薔薇の見舞いの時に」
「どういう意味だ?」
「豊の姫を海の塔に閉じ込め、侍女は青の国の者。おまけに……豊の姫に切り花を贈る。それも薔薇! これが大国涼の国の礼儀でしょう!」
マークはセリアの言う内容に、何の問題があるのかわからない。困惑しながら、さらに問うた。「どういう意味なのだ? 何が問題であるのだ?」と。
「……」
セリアは黙して何も語らない。マークはそっと青の国の侍女を見た。二人とも俯き、マークを見ようとしなかった。
「……わかった。調べよう」
「今更、遅いですよ。アイラ様は受け取ったのですから」
「……」
マークが黙する。
「ジーナ、エレーナ、すみませんね。これは涼の国とアイラ様の問題です。あなた方を責めてはいませんので。……史官様に、薔薇について教えてあげて」
セリアは優しく二人に言うと、部屋に入った。
***
海風がレオンの頬を撫でる。報告は、とても明快であった。
「一ヶ月前に、婚礼の祝船の往来が激しくなってから、被害が出始めた。ということのようです。……なお、豊の国の荷物は陸上経由でした。船便はありませんでした」
ジークはそこで一息ついた。レオンがジークが続けようとするのを手で制した。
「つまり、中央大陸以外からの害虫侵入だと言うことか」
「はっ。可能性が高いのは楽の国、もしくは……」
ジークが言い淀む。
「彩の国であろうな」
レオンはあっさりとジークの言葉の後を繋げた。レオンは海を眺める。
「……」
海風が言葉をさらっていった。ジークはレオンが小さく発した言葉を聞き取れなかった。
「レオン様、今なんと?」
「気にするな。町に向かうぞ」
ジークはレオンの様子が少しおかしいと感じながらも、後に続いた。
町では、ダラクが……
***
残された廊下で、マークはジーナとエレーナからその意味を聞く。マークの顔は次第に険しくなっていった。
「では、『会いたくない。愛していない』と、そういう意味になるのか……」
マークは力なく声にした。
「で、でも! 知らなかったのですから」
ジーナはフォローする。マークは額に手をあて考えた。そして、再度言葉にたどり着く。
「待て、申し出を受け取った? お受けしますと言っていた。会わないことを了承したと言うのか!?」
マークは侍女を見た。二人の侍女は微妙な表情で目を泳がせた。
***
「ゴホッ、ゴホッ……」
兵士は苦しく息を吐き出す。
「すまんな。ちょーっとばかり、その兵士服を借りるぞ。っと」
ダラクは兵士のみぞおちに足を落とす。兵士の瞳はゆっくりと閉じていく。薄れいく意識の中で兵士はあるモノを刻んだ。意識下に刻まれたモノは、"彩の国の木札"であった。
ダラクは兵士が意識を失ったことを確認せず、黒いマントを脱いだのだ。腰にかかっていた木札を兵士は見たのだった。
「姫さんは海の塔か……。さて、準備が必要だな。っと」
兵士はすでに目を閉じてはいたが、意識が遠のいてはいたが、"海の塔"と言ったダラクの言葉を耳にした。
"彩の国の木札"と"海の塔"
兵士はそれを胸の中で繰り返し言いながら、意識を失った。
***
ジークが町の調査隊の長を捜す。レオンとジークは調査を指示していた原町に来ていた。
「では、内町と門町にも一名ずつ調査を出しているのだな」
ジークと調査隊長の話し声が、レオンの耳に届く。レオンは近づく二人に向き直る。
「何かわかったか?」
レオンの問いに調査隊長が答える。
「はっ。ここ原町周辺の草原は被害はありません。ですが、花屋が奇妙なことを言っております」
「花屋か……。もしや彩の国からの花に関してか?」
兵士は驚いた顔になった。
「あ、あの?」
兵士はレオンをマジマジと見つめる。その兵士の様に、レオンはフッと笑って言った。
「花屋は何と言っておる?」
「はっ。彩の国から輸入された花が、"あまりよろしくない"と」
兵士の言いようにレオンは首を傾げた。
「もっと詳しく述べよ」
兵士はグッと喉を鳴らした。
「はっ。店主の言った通りに言います。『花に華やかさがない』『花に元気がない』『葉の緑が薄いような』『茎に張がない』……などです」
レオンはこめかみをトントンと指で叩く。
「なるほどな。ひとつだけを聞くと、店主の主観かと思うが、全部を聞くと確かに"あまりよろしくない"となるのだな」
レオンの言葉に兵士は頷いた。
「では、虫に関してはどうだ?」
ジークが問う。
「原町には侵入していないようです。あ! あの、草原の害虫はどうなりましたか?」
兵士の疑問にジークが答えた。その内容に兵士はさらに驚いた。そして慌てたように布を出した。
「それは、あの光の前の害虫を捕らえたものか?」
レオンの問いに兵士は頷く。
「ゆっくり、そっと開いてみよ」
レオンの許可の元、兵士は布を開いた。ミュウ虫が布の中でキラキラと輝いていた。
「こ、これは!」
兵士が大声を出す。あたりの民が一斉にレオン達を見た。ジークは手を"行け"と振り、止まった民を動かした。兵士はすみませんと頭を下げる。
「それは、そのまま城に持っていくぞ。兵士を全員召集しろ」
レオンが命じた。城に戻ったレオンは、王塔に向かった。
「レオン様、アイラ様のお見舞いに行かれないのですか?」
ジークは、レオンの背を見ながら訊いた。
「……報告が先だ」
レオンの声の戸惑いにジークは気づいた。
「レオン様、ご心配なら先にアイラ様を見舞っては?」
レオンの声の戸惑いが、アイラに対する心配と思ったジークはそう進言したのだ。
「……いや」
レオンの歩調が速くなる。ジークはそれ以上は何も言わず後を着いていった。
***
ダラクは城に帰還する兵士に紛れ、城内に入り込んでいた。顔の傷は、首巻きを深く巻き隠していた。涼しい涼の国の兵士服は、首巻きも常着であった。
ダラクは首巻きの中でニヤリと笑う。幸運にも、城に帰還する隊に紛れ込むことが出来たからだ。それはレオンが指揮する、原町の隊であった。
ダラクが幸運であったのは、召集を伝えにきた兵士がジークでなかったことだ。城内を身を潜めながら移動する。ダラクは脳内の地図を開いた。開いたと同時に思い出す。
『豊の姫を連れてくれば良いのです! 居なくなったとしても、問題はないわ。だって、婚礼後一年間は城外には出れないの。居なくなったとしても……民は気づかない。お父様も、お兄様もきっと内密にするわ。用事が済んだら還せばいいのだから』
茶会でそうコッソリ侍女に告げていたシェリー王太子妃の言葉を、偶然耳にしたのだ。ダラクはその言葉を王に伝える。それからは早かった。王は、すぐにシェリー王太子妃を呼び出した。焦り、真っ青になるシェリー王太子妃は、冗談で口走ったのだと弁明する。
がしかし、彩の国の実情は危機的であった。王は、シェリー王太子妃の言葉に希望を抱いたのだ。隠密の計画が企てられた。シェリー王太子妃の記憶から、海の塔までの城の地図が出来上がる。ダラクがそれを記憶したと言うと、シェリー王太子妃は隙をつきその地図を焼き払った。そして、シェリー王太子妃は泣き崩れた。
『私が……、私のせいで、私、母国を裏切ってしまった』
ダラクの胸にチクリとするものは、罪悪感。だが、このままでは彩の国が崩壊してしまう。
『シェリー王太子妃様、胸を張ってください。貴女は彩の国の王太子妃です。これは正しいのですよ。自国を守るための行為なのですから』
シェリー王太子は、虚ろな瞳となる。両脇を侍女に支えられながら、私室へと戻っていった。
「……フッ。俺としたことが、職務中に要らぬことを思い出すとはな。っと」
ダラクが身を潜めている所は、薔薇庭園の隅にある腐葉土置き場。この場所もシェリー王太子妃から聞き出していた。人があまり来ない場所として。だが、ダラクは知らない。本当に人が来ない場所は、草原の塔なのだ。シェリー王太子妃は、エミリアが入るはずであった草原の塔については、口を割らなかった。否、最初から言うつもりはなかった。
ダラクは草原の塔から見られぬように、身を盛られた腐葉土に潜らせた。草原の塔から見る者は存在しないのであるが……否、ダラクは人影を確認していた。草原の塔に……
***
「……こ、ここは?」
目を覚ましたアイラは、見慣れぬ天井をぼーっと眺めながら言った。
「アイラ様! 良かった。お目覚めになられて」
アイラは声の方を見る。クレアが涙ぐんでいた。
「クレア、ねえ、ここは?」
「草原の塔にございます」
「え? 草原の塔? どうして? 出なきゃ」
アイラは体を起こそうともがく。
「アイラ様! どうか、どうか安静に」
クレアはそっとアイラの体に触れた。起き上がろうとしたアイラであるが、その意に反して体は小さく揺れるのみ。
「アイラ様、三豊の力を使ったのです。一週間は動けませんよ」
クレアが優しく言った。
「でも、出なきゃ。ここはエミリアさんの塔なのよ。……待って、ここ、この部屋は?」
「三階の部屋でございます」
「三階? 部屋? セリアね! 解錠したのね! 駄目よ。ここはきっと……」
アイラの瞳が悲しく揺れる。
「……はい、たぶんエミリア様の私室になるかと。ですが! 未だ使われておりません。エミリア様はレオン様の所に居られるのでしょう。今は、ここが唯一安全であり、もとに戻る力を得られる場にございます」
クレアは真剣な眼差しをアイラに向ける。
「そう、わかったわ。でも立てるようになったら、直ぐに海の塔に戻るわよ」
「アイラ様、海の塔では回復が出来ません! あのような海しか見えぬ塔では。力を使ったのです。緑の元に居なければ、アイラ様のお体は動けなくなります」
クレアの目に涙が溜まる。
「クレア」
アイラは何も言えなくなる。アイラの体が動けなくなった過去を、クレアは思い出していた。
そう、それはアイラが七歳の時。今から十年前、豊の国を猛暑が襲った年のことだ。
……
……
……
「王様、儀式の準備が整いました」
兵士が王に報告する。王間に居た全員がアイラに視線を向けた。七歳のアイラに。
「アイラ、さあ行こう。儀式だよ」
豊の国王は、スッと立ち上がりアイラの手を掴む。
「はい! ちちさま」
アイラは元気に返事をした。
城の周辺に広がる田と畑。見渡す限り……ではなく、そこにポツンと豊樹。樹齢は何百年なのか? 枝を広げ、空に映える緑が唯一日陰をつくっている。豊樹の前には石の台座。高さは、階段三段ほど。王はアイラをその台座に立たせた。
「アイラ、いいかい? 父と練習した通りに言うんだよ」
「はい! ちちさま」
アイラのこれまた元気の良い返事に王は頬を緩める。頭をポンポンと撫でた。
ーー天の力であってほしいのだがなーー
王は心の中で呟いた。豊の姫は七歳になると儀式を行い、その力の識別を行う。生まれながらに力を持ってはいるが、その力は七歳になるまでは封印している。この豊樹の前で赤子の時に封印の儀式を行うのだ。
何故封印を行うか? 幼少期での力の使用は、体に負担となるためだ。成人であっても豊の力を"言葉の力"とともに限界まで行えば、その負担は体に現れる。体は動かなくなり、丸一日寝込んでしまうほど。酷いときは、寝たきりとなりそのまま起き上がれなくなることもある。
幼少の子供は知らず知らず、その言葉を口にしてしまう。姉の真似をして、伯母の真似をして。そして悲劇が起こるのだ。豊の国の歴史書では、眠り続けた姫の記述もある。そのため赤子の時に封印を行う。そして、七歳になると封印は自然に解かれ、力の識別を行う儀式をするのだ。
「はじめるぞ!」
豊樹を背に立った王は、アイラと向かい合わせになり、そう叫んだ。風がザワーっと吹き始める。豊樹の葉がサワサワと音を揺らした。
台座の後方には、正妃が十四歳のフローラと立っている。心配そうに儀式を見守っていた。フローラは心の中で妹アイラに声援を送る。そして声援はその二人のさらに後方でも……正妃の侍女セリアとアイラの侍女クレアからも送られていた。
豊樹を中心に広い範囲を兵士が取り囲む。第一王子、第二王子がその指揮をしていた。ピーンとはりつめた空気が漂う。
皆、アイラに期待していた。……この猛暑を変える『天の力』であることを。
フローラ姫は『大地の力』、伯母は『緑の力』、……『天の力』の姫はいなかったのだ、この猛暑の時に。
「アイラ! 言葉を。その力を豊の国に現しなさい!」
王はそう言うと、右手を胸に当てた。対面のアイラは、左手を胸に当てる。儀式がはじまった。王の左手が空に向かう。伸ばした手の平が空と面する。アイラは右手を天に伸ばした。王と同様に。違うことは、アイラが"言葉の力"を発したことだ。
「ねがう!」
アイラの言葉を確認した王は、次の動きをする。左手をアイラに向けた。アイラは右手を王に向ける。否、その手は豊樹の葉に向けられる状態となる。
「ねがう!」
アイラが再度言葉を発した。王は最後に、その左手を大地に向けた。アイラも右手を大地に向ける。そして、
「ねがう!」
三度目の願うの言葉が。王はそっと左手を胸の前で右手と合わせた。後、ゆっくりと腕を下ろしアイラに向けて頷いた。アイラは右手を胸に当てた左手に重ねた。
「われのちからを、ほうのくにに、しめしたまえ!」
ゴロゴロ
サラサラ
ザワザワ
最初のゴロゴロで、その場に居た皆の顔が歓喜に満ちた。がしかし、続く音に皆異変を察した。
天から満ちる雨。
風が運ぶ緑の音。
大地を力が走る。
ドサッ。
アイラの体が台座の上で崩れた。そう、その時まで皆放心していた。
『三豊の力』
それは、歴史書で最初の記述にある。豊の国の始まりとともに。
「アイラ!!」
王がいち早くアイラの元へ。正妃は足が縺れながらアイラの元へ。フローラはペタンと腰を抜かす。クレアは正妃を追い越しアイラの元へ。セリアは正妃を支えながらアイラの元へ。第一王子は、第二王子に馬車の用意を命じた。
「アイラ!! アイラ!!」
ピクリとも動かないアイラに、王は呼びかけ続けた。
「アイラ……」
正妃はアイラの体を擦る。
「アイラ様、どうかどうか……」
クレアとセリアは両手を握りしめ祈った。
「父上! 馬車が直ぐに来ます! アイラを、泉の森へ!」
第一王子の声に王はハッとした。
「正妃! 泉の森へ行くぞ! 泉の主様に、主様だけがアイラを助けることが出来るはずじゃ!」
泉の主。
泉の森には小さな泉がある。が、その泉はどんなに探しても見つかることはない。
否、歴史書でその泉は『願いが叶う泉』として記述があるのだ。泉は願いが主に届いた時だけに出現すると。これを信じ、様々な人間が森に入っていった。しかし、皆入って一日もしないうちに森の入口に戻る。どんなに歩いても、どんなに願っても気づけば森の入口。豊の国ではそう伝えられている。
そして、その泉を見つけたのが、その泉に願いが届いたのが、この豊の国の初代の王である。その王の娘(姫)が『三豊の力』を持って生まれてきたのだ。姫は王の娘でありながら、主の娘としても育った。初代王の願いの産物であるからだ。
初代の王は願った。
『この島を豊かな国に』と。
泉の主は願いを聞き入れ、こう答えた。
『宝の力を授ける』と。
主は付け加えた。
『力はお前ではなく、姫に授ける』
初代の王には姫は居なかった。王は首を傾げる。
『生まれくる姫に、我が力を授けよう』
その声を最後に泉は消えた。そして、王は知らぬ間に森の入口に立っていた。
それから一年後に姫が生まれた。豊の力(宝の力)をもって。姫はその力を豊の国に捧げた。
豊かな大地。
豊かな緑。
天に愛された国。
姫は力を使って国を豊かにしていった。王はその国を治める。ずっと豊かが続くようにと。
平穏は長くは続かなかった。豊の姫の噂を聞いた大国の王が、その力を自分のものにしようと豊の国を狙った。
姫は天の力で、嵐をおこし大国の船団を混乱させ、緑の風の力で大地の土を巻き上げ大国視界を防いだ。『三豊の力』を同時に使い、国を守ったのだ。
だが、力を同時に使った姫は意識を失う。何日経っても目を覚まさない。初代王は、姫を背負い泉の森へと入る。何日も森に留まった。主に姫をもとに戻してもらうために。
『何を願う?』
泉が現れ王に問うた。
『姫を……』
王はここで迷う。姫が元に戻ったら、また狙われるのではと。
『……何を願う?』
泉の主が再度問うた。
『姫を普通の姫に戻してください』
王は姫の幸せを願った。
『願いを叶えよう。しかし、授けた力は我には戻らん。三豊は分けて受け継がれるであろう』
泉が消えた。と同時に姫が目を覚ます。
数年後、次期国王に子供が出来る。姫が生まれたのだ。『大地の力』をもって。
王と正妃、そして、アイラを乗せた馬車が駆ける。
泉の森へ。
クレアの胸に込み上げてきた、辛く苦しい過去。アイラの身に起こった悲劇。
クレアは、泉の森へ入っていった王と正妃、アイラに何があったのかわからない。が三日過ぎて、王と正妃がアイラと手を繋いで、森から出てきたことで、歴史書に伝えられている通りに泉の主が姫を救ったのだとわかった。それは、森の入口で三人の帰りを待っていた人々も、同じに思ったようだった。
あの時の記憶が蘇る。クレアは大きく息を吐いた。
「アイラ様、どうかもう三豊の力は使わないでくださいませ」
潤んだ声のクレア。アイラは小さく頷き、
「心配かけてごめんね、クレア」
そう声をかけた。
***
王間に緊張が走る。レオンとジークが戻ったからだ。少し前に戻ったマークは、全てを王に話したのだ。レオンとアイラの関係を。一ヶ月アイラの元に訪れてないこと。草原の塔でのこと。そして、見舞いの薔薇のこと。最後に自身の禁忌を。アイラに隠れ門の存在を話したことなどを。ジークは王の形相に一瞬たじろぐ。
「レオン! 何処へ行っておった!?」
王の怒鳴る声が部屋に響いた。
「調査に行っておりました。草原と港、原町で情報収集を」
王の視線は鋭い。
「他にも報告することがあろう!」
レオンは王の怒りの原因がわからず、ただ黙るのみ。
「『はじめて声を聞いた』と言ったそうだ! 『伸びやかで素敵』だとな!」
レオンはさらに混乱した。
「何の話でございましょう?」
困惑するレオンに王はさらに告げる。
「傷が化膿し、治癒睡眠中だそうだ」
王の声が低く深くなる。その声は、怒りを奥底に鎮めている声。
マークはレオンに合図を送った。王に見えぬように、指を海の塔に向けたのだ。レオンはマークの合図に気づく。そして、王の言葉を頭の中で反復した。
ーーはじめて声を聞いた? 傷が化膿? 海の塔には……豊の姫がいる!ーー
答えに気づいてもなお、レオンは押し黙っていた。そのレオンの様子に、王はさらに追い討ちをかける。
「見舞いにルークが、薔薇を贈ったそうだ。私も知らなんだが、豊の姫に切り花を贈る行為は、会いたくないと伝える意味になるそうだ。そして、花言葉の反対の意味も。『会いたくない、愛していない』とな」
レオンの驚く顔を見ながら、王は言った。
「我々は、豊の国のことも、豊の姫のことも、豊の力のことも何も知らない。アイラの侍女は『大国の礼儀とは!』と声を張り上げたそうだ。なあ、マーク?」
マークは頷く。王の声は段々と弱くなっていった。
「我々はアイラの何を知っている?」
王が小さく溢した言葉の内容は、レオンに鈍い痛みを与えた。
「遠い南の島より、侍女二人だけを連れ嫁いできたアイラは、涼の国をどう思ったであろうか? ひとり海の塔で何を思ったであろうか?」
王の呟きがさらにレオンに痛みを与える。
「何の落ち度もないのにのお」
王の最後の言葉は、レオンの胸に苦しい杭を打ち込んだ。




