その男
城壁の門にその男は立った。
「挨拶でもしていくか」
そう呟いた男は、懐から札を出した。城壁の門番にそれを見せる。男の目には、門番の顔に緊張が走ったように見えた。否、緊張というよりも……
「……少々お待ちください」
困惑に近い顔。
ーーどういうことだ?ーー
男は疑問を隠しながら、辺りを警戒する。兵士が集まる。男は悟られないように、腰の剣を確認する。
「迎えが来ます。今しばらくお待ちを」
そう伝えにきた兵士の顔は、鋭く男を監視しているようだ。
ーー迎えが来る?ーー
男自身も困惑していた。
「迎えとは大層なことだな」
兵士に気軽に話しかけてみるが、兵士の顔は大きく歪み、その目はさらに鋭さが増した。
ーー何かあったのか? 彩の国とーー
その報せはレオンが王間に到着すると共に届いた。ピリッとした空気が王間を包んだ。
「迎えを出せ。話しはそれからだ」
王が静かに言い放つ。レオンは手に力を込めた。その者が来るまで、王間は静まり返っていた。
男は厳重に兵士に囲まれている。
ーーこの張り詰めた空気は何なのだ?ーー
男は小さく息を吐いた。苦しいほどの張り詰めた空気。息が苦しくなる。
「どうぞ」
兵士に促され、その部屋に足を踏み入れた。男の顔が強ばる。その部屋はさらに空気が重かったのだ。そして、突き刺さる視線。平然と歩きながらも、その視線のひとつひとつに気を向ける。どれも男を歓迎するものはなかった。そして、目の前の義父でさえも。
「開門してすぐとは、すでに陣でも出来ているのか? リョク殿」
その男、リョクは義父の言葉に眉をしかめた。
「……」
ーー開門? 陣?ーー
リョクは全く情況が掴めず、言葉が出てこない。
「返答はまだ決まっておらぬ。陣に戻りしばし待たれよ」
王はリョクに冷たく言い放つ。
「すみません! 私にわかるようにお話いただけませんか?」
リョクは、バッと前に進み出た。と同時にいくつもの剣がリョクの進行を阻んだ。
「なっ!!」
その対応に声が出る。
「何故、このような!?」
「何故?」
王は軽く手を上げ合図を送る。剣が退かれた。王は少し考えた後、発した。
「シェリーは健在か?」
リョクはさらに困惑する。だが、正直に伝えた。
「一ヶ月ほど会っていませんが、健やかに彩の城で過ごしているかと……」
「……」
王はリョクを見続ける。やがて、王の視線はレオンに移った。目で会話をする。お互いが納得。そして、二人の視線はマークに。マークは二人の視線に頷く。リョクの方に進む。
「こちらを」
リョクの手にそれが渡る。リョクの目がそれを捉えた。両手が震え出す。彩の国からの、否、シェリーからの文がリョクに渡されたのだ。愛する妃シェリーの……クシャクシャで、破られた紙にシェリーが書いた文字。そして、血判。リョクは顔を上げ王を見る。
「……シェリーは健在か?」
王は再度リョクに問うた。
「何が! 何があったのです?!」
リョクが声を張り上げた。
「何があっただと? その文の通りだ!」
今度は王が声を張り上げる。二人の視線が固まる。緊迫が王間を支配した。
「リョク殿は何故この涼の国に?」
レオンが緊迫を破る。皆の視線がレオンに集まった。落ち着いたレオンの声が、その場を少しばかりであるが和らげた。
「私は、レオン殿の婚礼の祝いの挨拶に……」
「私の婚礼は一ヶ月も前に済んでいますが?」
「私は、っ、収集に……、一ヶ月以上前より収集のためこの中央大陸に来ておりました。少々手間取りまして……」
リョクはどこまで収集のことを喋ろうか迷った。
「収集は、太子自らが行うのですか?」
レオンは驚きを隠しながら問う。
「……収集は、王子の仕事です」
場は、リョクへの考察に変わる。レオンは、後方の兵士に合図をした。レオンの元にあるものが届けられた。
「リョク殿、このマントをご存知か?」
レオンはリョクにマントを見せる。それは、アイラの部屋から海に消えていったマント。その後の捜索で、マントのみを回収していたのだ。リョクの目が大きく開かれた。
「こ、これは、我が弟ダラクのマントです!」
その発言は王間をざわつかせた。レオンは、フゥーっと息を吐いた。
「リョク殿、このマントの主がこの涼の城に忍び込み、アイラを連れ去ろうとしたのです」
リョクは喉をグッと詰まらせる。
「な、何故……」
やっと出てきた言葉は、自身にもわかるほど、動揺していた。レオンは王に顔を向ける。この先を話すべきかの確認だ。王は王間を見渡し、皆の同意を得た。
「マーク、リョク殿に詳しく話せ」
……
……
リョクは歯を噛み締めていた。彩の国の太子として、居たたまれなくなる。
「すみません! 涼王様」
リョクは頭を深く下げた。
「私が、収集に時間がかかっため……、このような事態に陥りました」
その言葉にひっかかりを感じ、レオンは問う。
「収集が成功したなら、陥らなかったのですか? ……彩の国に何があったのです?」
リョクは意を決し、話はじめた。あの虫の話を。
「我が彩の国は、華の国。ですから、華に関する収集は、彩の国の第一の仕事なのです。稀少な華の種を得るため、各国に正規ルートのみならず、裏ルートでも入国収集にあたります」
リョクはそこで一息ついた。レオンに目を向ける。レオンは小さく頷いた。
「……我が父の代からは、稀少な華の種のみならず、華に有益なことは全て収集するようになりました」
そこで、リョクは王に視線を移す。
「ミュウ虫か?」
と王。
「はい」
リョクは重い口を開く。ここからが本題であったのだ。
「中央大陸、青の国に生息するミュウ虫の収集が近年の課題でした。収集自体は容易にできました。ですが……ミュウ虫は海を渡ると死んでしまうのです」
リョクはフゥーと息を吐いた。
「何度も収集し、何度も海を渡りました。ですが……」
「全滅した」
レオンがその先を言った。
「我が涼の国に、青の国から贈られたミュウ虫も全滅したのでわかります」
レオンの言葉にリョクは頷く。
「気候があわないのでしょう。ミュウ虫は青の国でしか育たない」
リョクはそう続けた。
「父はどうしてもミュウ虫を欲したのです。そこに中央大陸の魔の封印が解かれた事件が起こる」
「ああ、そうだ。その浄化と封印の後、大陸各国は魔の封印を協力して行うこと、記述を残す作業等で交換留学を行うこととした」
王が話し出した。リョクの話の先がわかったのだろう。
「青の国から、巫女侍女が涼の国に来るときに、ミュウ虫も持参したのだ。青の国からの献上品として」
そこで、リョクは王に深く頭を下げた。そして、話を再開する。
「どうしてもミュウ虫が欲しかったのです。……涼の国に贈られたミュウ虫が欲しかったのです」
「……」
「……」
王もレオンも黙する。
「涼やかな涼の国でも育つであろう、強いミュウ虫が贈られたと思ったのです。その強いミュウ虫が欲しかった」
「だから……」
リョクが言い淀む。王間が静まった。
「だから、我が妹シェリーとの婚姻を望んだ」
レオンが告げる。リョクは目を閉じ、そのレオンの言葉を認めた。
「シェリーを迎えるため涼の国を訪れた時に、草原でミュウ虫を収集しました」
「シェリーの婚姻の時には、すでに我が国に贈られたミュウ虫も全滅寸前だったはず」
レオンの疑問にリョクが答える。
「その情報を私達は知りませんでした。ミュウ虫を広い草原の端から端まで探しました。見つからないように、夜に行ったのです。そのためミュウ虫が早々に見つからないことに疑問を抱かなかったのです」
リョクはレオンの疑問をそう返した。レオンは軽く手を上げ了承する。リョクは会釈した後、話を続けた。
「ミュウ虫を辛うじて二匹収集しました。……海を渡ることが出来たのです、そのミュウ虫は」
リョクの話は続く。
「ですが、持ち帰ったミュウ虫は両方とも雄だったのです。……その内の一匹はやはり気候があわないのか、日に日に弱くなっていき、生を閉じました。残る一匹をどうしても生き残らせたかったのです。父は……」
またもリョクは言い淀む。
「リョク殿?」
レオンはリョクを促す。
「はい……、父は禁じ手を命令しました」
力なくリョクが話した。
「禁じ手?」
王はリョクに問う。
「はい、禁じ手です。別種の掛け合わせを行ったのです。彩の国に耐えうるミュウ虫にするために、彩の国でもっとも強い"ゲ虫"を掛け合わせました」
「ゲ虫? 初耳ですな」
マークが漏らす。リョクはその言葉を捕らえた。
「ゲ虫は、彩の国におけるミュウ虫のような虫です。あまり存在は知られていません。それだけ彩の国では大切な虫なのです。ミュウ虫は植物の悪い部分を食する虫。ゲ虫は、土を豊かにする虫なのです」
「土を豊かにするとは?」
レオンがすかさず問う。
「植物の枯葉、溢れ葉を食べ土に戻す。栄養のある土を作るためには、通常数年かかります。ですがゲ虫が居れば、土はずっと豊かなままです」
王間は再度静まり返る。
「掛け合わせは成功した」
またもレオンがそれを破る。
「はい、……いえ、成功ではありません。掛け合わせは成功しましたが、ミュウ虫でもゲ虫でもない、『害虫』になってしまったのです」
リョクはここで周りを見渡した。皆の顔を見て確認する。
「皆さんの思っている通り、彩の国が作り出した害虫が広まっていったのです」
リョクは肩を落とした。
「私は、彩の国を立て直すため、種の収集、書物の収集を行うため中央大陸に渡りました。農業大国でもある青の国に行き、了承を得て虫に関する書物を写しました。その後に、……中央大陸全土の岩山の探索を行いました」
リョクは、咳払いをした。
「我が涼の国といにしえ国と間の岩山も探索したのであろう?」
王は幾分不機嫌な声で言った。
「はい、すみません」
リョクは認め、頭を下げた。
「ですが、領土に関することは調査しておりません! 種の収集と虫に関して調べていただけなのです」
王は軽く手を上げ、リョクの言葉に理解を示した。
「それで?」
リョクの話を進めるため、レオンは急かす。
「はい、それでですね、……足を滑らせたのです。岩山から」
リョクは、右足の衣を上げて見せた。白い布がグルグルと巻かれていた。
「どこの岩山かは訊かないでください。山人に助けられて三週間程動けませんでした。……その間に、父とダラクは、その……」
リョクは項垂れた。
「リョク殿、話はわかりました。ただ、その話が本当だとしても、嘘だとしても、……いや、そうではないな」
レオンは少し考える。アイラを思って。
「レオン、どうした?」
言い淀むレオンに王は声をかけた。
「いえ、リョク殿、貴殿の話は本当でしょう。ですが、リョク殿を彩の国に帰すわけには行きません。……おわかりですよね?」
リョクは頷いた。
「はい、例え私が帰国し、父とダラクの説得にあたったとしても、……どう転ぶかわからない。彩の国がシェリーを人質にしているなら、私は、……涼の国の人質になった方がいい」
王間は喉をゴクリと鳴らす音が聞こえるようだった。
「して、リョク殿、アイラは何処か予想出来るか?」
王はリョクに問うた。レオンはハッとする。
「父上!」
王はチラリとレオンを見たが、すぐにリョクに視線を固定する。
「……ダラクは失敗したと思います」
リョクは答えた。
「……では、アイラは?」
と、王。
「……涼の国内だと思います」
と、リョク。
「彩の手の内か?」
と、王。
「いえ、この言い方はおかしいですが、収集に失敗した場合は、……一旦引くのです。再度完璧な収集を行うため、国内に引きます」
レオンは心の中で舌打ちした。
「父上、アイラは私の保護下におります」
レオンは王間に声を通す。その内容に誰もが唖然とした。
「レオン、どういうことだ?」
王はレオンに訊く。
「……先程、私の隠部隊から報告が上がりました」
「隠部隊だと?!」
王は驚く。三年前に解散した部隊だからだ。
「はっ」
「……そうか。ではアイラをここへ」
「出来ません!」
レオンの強い返しに王はさらに驚く。
「……動ける状態ではないのです」
レオンはアイラを守りたかった。たくさん傷つけたアイラに、これ以上辛い目にあわせたくなかったのだ。
「アイラは私の妃です。私が守ります。父上が母上を守っているように……」
王はレオンの目の強さに見いった。
「ふん、やっと生きた目になったな、レオンよ」