はじまり
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物語は一通の文からはじまった。
否、仲睦まじき二羽の鳥がはじまりであった。
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「ひっ!!」
少女は短い悲鳴を上げた。見上げた空を覆うように、ズンと人が仁王立ちしていたのだ。
「姫様!!」
仁王立ちの人物の声が、辺りに響いた。少女は、口元をヒクヒクとさせながら声を出す。
「ク、クレア、ごきげんよう?」
クレアと呼ばれた仁王立ちの人物は、"フゥーッ"と鼻息を荒くする。
「きげんが良いわけありません! 姫様、何度言ったらわかるのですか? ひとりで、"田"に来られては困ります」
「だって、"呼んでいた"んですもの」
「"呼ばれていた"としても、ひとりで動くのはもっての他。私にお知らせ下さい。このクレア、姫様のお供は何があっても優先致します」
「だって、クレアと来ると、皆怖がってしまうんですもの」
少女は、そう言って田の苗を優しく撫でた。
「姫様、そんなに私は怖がられているのですか?」
クレアは、少女に近寄り小声で訊ねた。
「クレア、どんなに小声で話しても皆には筒抜けよ。フフッ、アハハハッ、駄目だわ。お腹がいたーい。皆、クレアに話しても良いかしら?」
少女の言葉に、田が一瞬水々しく輝いた。
少女の言う皆とは、この田の"土"と"苗"のようだ。
「あのね、クレア。皆ね、クレアが嫌いなわけではないのよ。なんというか、そのね……クレアのその体がね、少々大きいでしょう? だからね、皆潰されはしないかと、心配で怖がっているのよ」
少女はクレアに告げた。
「皆まだ、出来立ての赤ちゃんだからね」
と、新しく出来た田を優しい眼差しで見渡した。クレアはそんな少女の傍らに、これまたズンと立ち腰に手をあてた。
「えー、私クレアは、小さき頃より、田畑のお世話をしているわ。ベテランよ。誤って、あなた方を潰したりなんてするもんですか!」
クレアは、田に向かって演説を始めてしまった。少女は、そんなクレアを見て笑い出す。
「姫様、笑ってないで、皆に伝えて下さい!」
「えぇ、フフッ、皆聞いて。コホン、クレアは私の大事な侍女よ。そして、優秀な侍女なの。皆を潰したりなんかしないから安心してね」
少女の優しい声が田に広がる。田はまた、水々しく光り返答をしたようだった。
「姫様、いえ、アイラ様。先ほど、城に中央大陸の"涼の国"より書簡が届きまして、城内が騒がしくなっております」
少女と、いや、アイラとクレアは城に向かって歩いていた。クレアは、田に来る前の城の状況をアイラに伝えた。アイラは、クレアの言葉に小首を傾げる。
「"涼の国"って、確か中央大陸の北方の国よね。そんな遠い国から、この南の島の"豊の国"に何の用かしら?」
アイラはこの時、その用が、その用の中心が自分にあることも知らずに、呑気に田と畑の小道を歩いていたのだった。
"豊の国"
この国は、中央大陸のほぼ南に位置する小さい島国である。丸に近い空豆の形をした島。島の北西部には、この島の3分の1の面積を有する"泉の森"が広がる。島の中心には、泉の森を背に城が建っていた。城の周りに"田"と"畑"が広がっている。城の北方向は陸町と呼ばれ、南方向は海町と呼ばれていた。小さな島国ながらも、
暖かい南の気候
恵まれた大地と食物
開かれた海の航路と海の幸
平和な生活
まさに名の通り、"豊の国"であった。
そしてまた、この国を豊の国と謂わしめる、特殊な宝があったのだ。この国の王族に生まれし姫には、特殊な力が備わっていた。
天候を操る力を持って生まれし姫
大地を豊かにする力を持って生まれし姫
植物にエネルギーを与える力を持って生まれし姫
この3つの力のどれかを持ち、生まれてくるのだ。宝の力を持つ国。名実共に"豊の国"であった。
「えっ? お父様、私が"涼の国"に嫁ぐのですか? ……私がですか?」
アイラの父、豊の国王は、中央大陸"涼の国"より届いた書簡を広げアイラに見せた。
「……アイラ、大陸の大国"涼の国"からの申し出だ。断る理由などなかろう?」
「お父様、ですが! 私は……、芽の出ぬ者でございます。そんな私に嫁ぐ資格などありません」
「アイラよ、この南の島"豊の国"では芽が出なくても、大陸に行けば芽が出るやもしれん。私も正妃も諦めてはいないのだよ」
豊の国王と、その隣に座する正妃は、互いに視線を交わした後、アイラに優しい眼差しを向けた。
「お父様、お母様……」
こうして物語は、一通の文からはじまる。中央大陸"涼の国"の文から……。
***
「ハァー」
涼の国王は、ため息をついた。王は、額に手を当て考え込む。この一年、両手には数えきれぬ程の縁談を試みた。が、しかし、一向に息子である第一王子レオンは、全くなびかぬのである。
国内の妃候補は、乱立、混迷。国外に目を向け、大陸全土から相応しき姫を捜したものの、婚儀打診への快い返事は得られなかったのだ。名が上がる姫達には、すでに決められた相手がいた。そして、長らく涼の国では、自国妃が続いたこともまた影響したのであろう。
"涼の国は、自国妃しか迎え入れぬ"
大陸の国々に、周知の事実として広がってしまっていたのだ。
王はバッと立ち上がり、気晴らしにバルコニーに出た。青空を眺める。
「レオンの心はまだ動かぬ。三年前に止まったままじゃ」
呟きが空に消えた。王は、視線を町に移した。
"涼の国"
中央大陸北の端の国。海と岩山脈に挟まれし国。草原を涼やかに馬が駆けている。国の東側一帯を草原が占めるこの涼の国は、馬の産出国として大陸に名を馳せていた。西には、海を背に城が建ち、城から伸びた城壁が岩山まで連なっている。城壁近くの町は、門町、草原に接している町は、原町と呼ばれていた。そして、この2つの町に挟まれた町が内町。涼の国でもっとも賑わいのある町である。
閉鎖的な立地ではあるが、それが幸いし、涼の国は平和を保っていた。海からの侵略も、岩山脈からの侵略も、城壁からの侵略も不可能に近いからだ。
涼やかに凛と成る国。それが、この"涼の国"であった。
王の視線は、その涼の国にある。海、草原、岩山、城壁、そして、町と視線は移っていく。
「レオンよ。お前しかいないのだぞ。この涼の国を背負っていく者は……」
王の呟きは、またも空に消えた。
ーーピィー ピッピッピッーー
二羽の仲睦まじき鳥が、王の瞳に映った。城の見張り塔を、グルグルと回り翔んでいる。
ーーバタバタバターー
と、王のいるバルコニーの端に、羽休めにとまったようだ。王は、その二羽に何故か目を離せずにいた。二羽は、お互いを啄み、小さく"ピピピ"と鳴いた後、南の空に向かって羽ばたいていった。王は、その南の空に消える二羽をただ眺めていた。
「あの二羽は、南の島にでも行くのかのぉ? 南の島か。確か豊の国であったかの。……!!」
王は、バルコニーからバタバタと部屋に戻り、側近を呼んだのだった。
そうである。
"豊の国"への書簡は、こうして送られた。二羽の仲睦まじき鳥が、運んだようなものだ。
「レオン様、王様がお呼びです」
レオンの側近ルークは、レオンの背に向かって、遠慮がちに伝えた。しかし、思っていた通り、レオンに反応はない。ルークは、それ以上の発言を控えた。そして、ただ待った。
ーーカーンコン カーンコンーー
遠くで夕刻の鐘が鳴る。レオンは、鐘の音が鳴ると同時に、足早に歩き出した。ルークも後を追う。城内に入ったレオンとルーク。
「レオン様、王様が本塔広間においでです」
「広間?」
「はい、王様側近の方より、レオン様を広間にお連れしろと」
「縁談ではあるまいな?」
「そのような方の入城は、報告が上がっておりませんから、別件かと」
無言になった二人は、広間入口に到着した。
「失礼します」
レオンとルークが広間に入ると、床半分に地図が広がっていた。
「父上、これはいったい?」
「おお! レオンか。良いところに来たな。大陸の地図を広げておったところじゃ。見よ、これが"涼の国"。そして、南にずーっと下がったところに……」
王は、軽やかな口調でレオンに向かって話す。
「して、この南方の島国はなんじゃったか? レオン、わかるか?」
指し棒は、南の島を指していた。レオンは、視線を地図に移す。
「"豊の国"です、父上」
「おお! そうじゃった。"豊の力"を生まれし頃より持つ"姫"がおる、"豊の国"じゃ」
王の視線は、意味深にレオンに向けられた。
「父上、私は」
「レオンよ」
レオンの言葉を遮った王は、再度指し棒を涼の国に戻した。
「レオン、わしの子は、第一王子であるお前、第一姫、第二姫の三人じゃ。第一姫は嫁いでいった。第二姫は十七歳、すでに嫁ぎ先も決まっておる。して、涼の国の次期国王は……わかるな、レオンよ」
「はい、父上、ですが!」
「エミリアの代わりはおらん」
またも、王はレオンの声に被せた。
「そしてレオン、"涼の国次期国王"であるお前の代わりもおらんのじゃ」
無言でレオンは俯いている。
「お前の隣はエミリアじゃ。わしは、そのことに口出しはせん。しかし、次期国王の隣は口出しするぞ。よいな、レオン」
「はい」
「"豊の力"は、涼の国草原に役立つと思わぬか? "涼の国次期国王"としての、お前の意見が訊きたい」
「役立つと思います。ですが」
「レオン」
レオンの言葉を遮るのも、これで三度め。
「レオン、長らく涼の国は自国妃であった。他国の力を入れぬため、他国の権力争いに、巻き込まれぬためにな。……だが、今はどうじゃ? レオンよ」
レオンは答えない。
「知らぬはずはなかろう?」
王は、レオンの言葉を待った。
「国内で、権力争いがおこっております」
レオンは、静かに発した。
「そうじゃ、してその原因は?」
「私の妃が原因です」
次期国王の妃が未定。これによりおこる争い。我が娘を妃にと、貴族、権力者たちの争いが激化していた。ここ一年の争いは、酷いものであった。有力候補たちによる、否、有力候補たちの背後にいる者たちが流す悪評。足の引っぱりあい。そして、拉致。
王は頭を悩ませた。この争いを収めようと、大陸の姫に目を向けたのだ。快い返事は得られなかったのであるが。
王は、レオンの言葉に頷いた。
「そうじゃな。では、どうする? レオンよ」
広間に沈黙が流れる。王は待った。
ーーカーンコン カーンコン カーンコンーー
夜刻の鐘が鳴った。
王は待つ。レオンの言葉を待つ。次期国王としてのレオンの言葉を。
「父上……」
レオンは、父である"涼の国王"に顔を向け、無表情のまま小さく頷いた。
「良いのだな?」
黙して頷いたレオンに、王は確認した。
「はい」
レオンは、ただ返事をするのみ。二人の間に、しばしの刻が流れる。
「次期国王として、豊の国の姫をめとります」
レオンは、抑揚なく発言したのだった。