花の魔法
高校の部活で書いた短編をちょっと編集してみました
花屋という職業が存在しなくても、人々はきっと困らないだろう。公園に花壇が無いからといって損害を受ける人はいないだろう。人の生活から花が無くなっても、困る人はいないだろう。ちょうどコンビニ弁当に大抵付いてくるパセリの様に。
だが、それでも花は人の生活を彩っている。人が何かを感じたい時、伝えたい時、そっと気持ちと一緒に添えられる。感謝、追悼、告白、祝福……、様々な場面で人は花を用いている。
水崎夕香は人の生活を彩る花を愛する、花屋『ガーデン』の店主だった。
そこそこの地方都市の商店街の一角に構えた店の佇まいは親の代から続く十八年の歴史を感じさせ、店内は実に多種多様な花々が所せましと置かれている。どれも夕香の目には愛らしく映り、それらを買っていくお客の表情を見るのは夕香の密かな楽しみの一つなのだ。
「ありがとうございましたー!」
一人のお客さんが買った花を持って店を出て行った。夕香はその後ろ姿を笑顔で見送ると、レジの奥にある小さな休憩スペースで椅子に腰かける。ようやく全てのお客を捌き切り、花屋『ガーデン』の店内には夕香以外の人の姿はなかった。椅子に腰かけたまま夕香は目を瞑り、先ほど花を買っていったお客たちの表情を思い返していた。
今さっき見送った男性はきっとあの花を奥さんにプレゼントするだろう。日頃の感謝と労いを籠めてハンカチでも一緒に贈るだろうか? その前の男の子が買っていったのはお母さんへのプレゼントだろうか? お手伝いをして一生懸命貯めたと言いながら見せてくれたお金、その範囲内で夕香に作れる最高の花束を渡してあげた。更にその前の女性が買っていったのはきっと夫の両親へのプレゼントだろう。軽く見積もっても三十分以上は真剣にあれでもない、これでもないと悩んでいたのが印象的だった。
「……もう二時過ぎちゃったか。う~ん、そろそろあの子も取りに来る頃だと思うんだけど……」
お客達と買われていった花々に思いを馳せていると意外と時間が経っていた。夕香はレジの方へ戻ると、片隅に用意してある可愛らしいデザインの花束を手に取った。夕香にとって大切なお客様が予約した花束だった。綿密に打ち合わせて、今年も最高のものが出来る! と二人で盛り上がったのはつい先日のこと。時間的に見てもうじき来店する頃だろうな……、そう思っているとカランッカランッと来店を知らせるベルが『ガーデン』に響いた。地方都市の花園に待ちかねたお客がようやく来てくれたのだ。肩で息をして恐らく走ってここまできたであろう女子高生程の女の子は、花園の主を見つけると可憐な笑顔を見せてくれた。
「夕香さん! 私のカーネーション、準備できてるッ!?」
「ふふ、いらっしゃい陽菜ちゃん。勿論、最高の仕上がりよ?」
夕香がレジの上に先ほどの花束を置くと、陽菜と呼ばれた女の子は興奮気味にレジの前まで近寄ってきた。その花束はルビーの様に美しい、赤のカーネーションで構成されていた。
「うわぁ~、もう最ッ高! やっぱり母の日は夕香さんのとこが一番だよ!!」
カーネーション程ではないが、可愛らしく頬を赤く蒸気させた陽菜は笑顔の花を咲かせながら夕香からカーネーションの花束を受け取った。そしてそのうちの一輪を愛でる様に撫でた。
「えへへ……」
「お代は予約の時に貰ってるし、早いとこお母さんに渡してあげたら?」
「うん! 夕香さんありがとう! また来年もお願いするねーー!!」
急ぎながらも決して花を潰してしまわないように、陽菜は花束を大切に抱える。そして少しでも自分の母への感謝の気持ちをこの贈り物にこめられる様に。
夕香は花が好きだ。花を買う時、ほとんどの人はどこか温かい満足した様な表情を見せてくれる。そしてその花々は別の誰かに渡され、きっとその人へ渡した人の心を伝えてくれる。そんな魔法を花は持っている。
「バイバイ夕香さん、またねー!」
手を振って『ガーデン』を出ていく陽菜。彼女とカーネーションがこれから起こす魔法、それを見られない事が夕香はなんだか少しだけ悔しい気がした。
「……お母さん、私の送っておいたカーネーション喜んでくれるかな?」
夕香は携帯電話を取り出す。その待ち受け画面には一輪の赤いカーネーションを持って笑いあう親子が映っていた。