自らを律する
現代人が文明の遅れた場所に適応できないということはない。
要はどれだけガマンできるか、これに尽きる。
毎日風呂に浸かりたい、トイレは水洗でなければ嫌だ、冷暖房は完備、食材をその都度会に行くのは面倒、長距離の移動を楽かつ早く……
そんな事は考えず、周囲の生活様式に合わせておいた方が余計な軋轢を生まずにやり過ごせる。
それに未だオムツも取れないような歳であることを思えば、不便な生活を学習するだけの時間もあると言うものだ。
先進的な発明や発見をした人間のほとんどは碌な終わりを迎えていない。
利権に群がる金の亡者と社会システムに揉まれて搾り取られるだけなら未だ良い方で、科学に基づく知識など披露して魔法や悪魔の力と噂されれば、宗教権力によって魔女狩り・悪魔祓いで拷問された挙句に命を落としかねない。
それらを免れる為には、強固な後ろ盾や人脈や資金力、それなりの武力を保持している必要が在る。
俺には集まってくる脅威から己を守れるだけの何物をも持たない。
それを得る為には膨大な時間と努力と資金と人付き合いと運が必要なのだ。
故に俺は、体臭が臭かろうと、トイレが屈辱的だろうと、茹だる様な暑さだろうと、凍えるような寒さだろうと、飢餓に苦しもうと、移動が不便だろうと、ギリギリまでは周囲に社会に合わせて生きていく覚悟が必要なのだ。
両親は田舎の貧乏貴族。
親から得られるものは身分だけ、つまりは人脈を得るための足がかりしかない。
といってもそれがあるのは非常に大きい。
国民の1パーセントにも満たない特権階級であるというのは、どのような世界においても幸運であることには違いないのだ。
努力は自分次第として、時間はそれなりに在る。
革命的発明ではなく、精々が旧来の常識的な改良程度に止める。
匙加減が難しいモノには手を出さない。
目標とするのは偉大な発明家ではなく、村のアイデアマン。
大きな勝ちはいらない。
コツコツと少しづつ500円貯金のように力を蓄えるのだ。
何かあったら『出る杭は打たれる』という諺を思い出せ。
ニホンジンはそうやって平穏を築いてきたのだ。
自らを律して前に出ない。
自己主張は隠れて行う『粋』の精神こそが自らを助けるのだ。
生まれてより少年期に入るまでの膨大な時間。
己が成すべき事、成しては危険な事を周囲を観察しながら延々と思索した。
思索に疲れうつらうつらとしていると、一日の仕事を終えた両親がやってきて俺の顔を見詰める。
このごろ両親が話す言葉をなんとなくではあるが理解できるようになってきている俺は、両親の会話にそっと耳を傾ける。
「この子は将来どんな子になるのかな」
「そうねぇ、私達の息子だからそんなに大それた事はできないでしょうけど、健やかに育って、優しくて心の強いあなたみたいな領主様になってくれたらいいわね」
「私は君が言う程に良い領主ではないが、この子に負担が掛からない程度に治めていければと思うよ」
「ふふふ、そういうところが良い領主様なんですわよ、旦那様」
「そういう君こそ、良く私を支えてくれる良き妻だよ」
両親のノロけを聞きながら、俺は砂糖を吐き出しそうな気分と暖かい幸福感に包まれて眠った。