我思う故に我あり
仏陀が誕生した際、天地を指差して『天上天下唯我独尊』と唱えたそうだ。
俺が自分の中にある本当の自分自身に目覚めたのはそれよりも遅く、丁度言葉を覚え始めた頃と合致する。
言葉の獲得によって論理的な思考を得た事が引き鉄になったのだと思う。
もはや世界が違うと言ってよい……いや、恐らく俺は違う世界にいるのだろう。
文法・発音・文字・表現・名詞などあらゆるものに差異がある。
ついうっかりこちらの言葉を習得する前にニホンゴで両親に話しかけてしまった事がある。
しかしそれを両親はそれを言葉だとは思わず、赤ん坊のうめき声と誤解したようだ。
声帯が発達する前だったので意味のある音の羅列だと気付かれなかったのだろう。
『腹減った!オッパイオッパイ!!』『トイレ!漏れる漏れる!』とか色々言ったんだが、変な鳴き声だと解釈された程度だ。
以心伝心と言うのだろうか。時々間違ってはいたが、大体のところではきちんと対処してくれるので、親の偉大さをしみじみ感じた。
もしここに同じニホンジンが居れば、明らかに俺が異質な存在である事に即座に気付いた事であろう。
しかしここに居る人々は明らかにニホンジンでは無い容貌をしている。
――金髪碧眼、白い肌と長身。俺がニホンジンであるなら彼らはセイヨウジンだ。
そして俺に向かって話しかける言葉は少なくとも俺が知っている言語ではない。
英語でもなければ中国語やロシア語、ドイツ語、イタリア語、フランス語でもない。
まあ英語以外の言語は、どれもも挨拶ぐらいしかわからないから確実ではないが。
一生懸命自分を指差して同じ言葉を繰り返す男を見て、その言葉が『おとうさん』を表す言葉であることを悟る。
発声の練習も兼ねて何度か俺も復唱すると、男は驚愕し、歓喜し、隣の女性に何事か伝えている。
多分「凄い!今この子がおとうさんって言ったよ!まだこんなに小さいのに……うちの子は天才だぁッ!!」ってところだろうか?
隣の母親らしき女が、父親らしき男と同じ様に自分を指して同じ単語を繰り返す。
こちらは多分『おかあさん』を表す言葉だろう。
それをまた復唱すると、彼女も喜び何事か捲くし立てている。
「おかあさんって言ったわ!なんて賢いんでしょう。きっと私に似たのね。」だろうか?
そんな二人の様子を見ていると自然に笑みがこぼれた。
この二人が今生の俺の両親だというのなら、俺の人生はきっと暖かで幸せなものとなるだろう。
そのように確信できるほど、部屋の中は喜びで満ち溢れていた。




