第六話
「おう、なんだおめぇもう帰ってきたのか?配達終わったら休暇だっつったろ。せっかく俺が気を利かせて最後に『飾り窓』紹介してやったんだから遊んでこいよ。それともすぐイっちまったか?」
詰所に戻ると、うんうん唸りながら書類に向かっていたランクスが、こちらににやけた顔を向けてくる。
「鎧買ったからそんな金は無い。そもそも俺はまだ未成年だ。ていうかなんだよあの配達任務は。ほとんどあんたの個人的な用事ばっかじゃねーか」
「あーん?金なら、エリーシアに渡した袋に多目に入れといたはずだぞ。配達の報酬と遊ぶ金に使えってメモ入れて」
「は?そんな事あの人一言も……」
一瞬の沈黙の後、盛大な溜息。
「やられたな。下手に気を利かせた俺が馬鹿だったか。あの強欲女に金を預けるような真似するんじゃなかった」
つまり、エリーシアに渡した金には配達任務の報酬50cと、幾らかは知らないが外周区で遊べるだけの金が含まれていたというわけか。
1sは貰いすぎどころか、エリーシアにかなり余計に持ってかれた事になる。
俺としては50c多く貰えたのだから文句は無いが、ランクスは後悔からか、額に手をやり天井を仰いでいる。
「まぁ仕方ねぇ。随分長い事ツケっぱなしだったから、利子だと思って諦めるか。で、他んとこにはちゃんと届けてきたのか?」
「当たり前だろ。騎士団の隊長が災禍の森の虚族の件と、クラクス村周辺の大型モンスターについて近いうちに話し合いたいそうだ」
「マジかよ。あの隊長さんは堅っ苦しくて苦手なんだが……」
「後シャミルが今度は月光の雫を掛けて勝負とか言ってたな」
「なにぃ?あのアル中娘、次は月光の雫まで毟り取ろうってか?上等だ、次こそコテンパンにのしてやらぁ」
「で、ジーファさんは『新約創世神話第九巻』を取り置きしとくから近いうちに借りに来い、手紙の返事はその時に、だとさ」
ふんふんと頷いていたランクスは、手紙の下りで椅子から盛大に転げ落ちた。
「てってて、てが、手紙!?ああっ!無い!手紙が無い!おいお前、まさかあの、あの手紙ジーファに、渡した、のか?」
どたばたと騒々しく、書類に埋もれた机の上を引っ掻き回し、引き出しの中身をぶちまけながら、大いにうろたえるランクス。
「そりゃ渡すだろ、それが任務だったんだし……なんかイラっときたから破り捨ててやろうかと思ったけど、あの人一目で内容判ったみたいだったしな」
ありえん……と呟いて床に突っ伏すランクス。項垂れる様orzの如し。
人にラブレター届けさせといて随分余裕こいてやがると思ったら、あの手紙は手違いで鞄に入っていたのか。
良い気味だ。
「まぁそう気を落とすなよ。女なんて他にもいるさ」
精一杯相手を気遣うような微笑を浮かべて、そっと肩に手を置く。
俺の芝居は効果覿面だったようで、ランクスは緑色の肌を青ざめさせて床に崩れ落ちた。
まぁ実際の所ジーファさんも満更ではないようだったし、案外上手くいくんじゃないだろうか。
しかし、こんな娼館にツケ溜めとくような馬鹿の何処がいいんだろうか。
彼女の未来のためにも心ばかりの助言をするべきかもしれないな。
この筋肉達磨が立ち直った頃を見計らって。
俺は燃え尽きた馬鹿を放置して詰所の二階へと続く階段を昇る。
二階は傭兵隊員の居住スペースになっており、かなりの部屋数がある。
特に決められた部屋の割り振りはされておらず、空き部屋があれば適当に利用するシステムだ。
空き部屋が無ければ相部屋か、詰所周辺にいくらでもある空き家を利用する。
幸い今日は出払っている隊員が多いのか、空き部屋はすぐ見つかった。
部屋に入って粗末なベッドに腰掛ける。
「『システムブック』」
システムブック右上にはゲーム内時間と、現実時間が表示されている。
ゲーム内時間は20:40、現実時間は20:10。
ログインした時はゲーム内では正午頃だったはずなので、八時間程プレイしていたようだ。
しかし現実時間では午後六時にログインして、現在午後八時なので、未だ二時間しか経過していない事になる。
アトラスではVRシステムによって脳機能を機械的に補助する事により、通常の四倍という加速状態でのプレイを可能にしている。
つまりゲーム内では四時間が経過していても、現実で経過する時間は一時間というわけだ。
我が家では午後八時半が夕食の時間と決まっているので、そろそろログアウトをしなければならない。
「『ログアウト』」
システムブックを開いた状態でログアウトを宣言すると、ログアウトの確認ウインドウが表示される。
『ログアウト処理を開始します No/Yes』
Yesに触れると、三十秒のカウントダウンが始まる。
カウントダウン中に一定範囲を越える移動をしたり、攻撃を受けるとログアウト処理は中断される。
『3...2...1...ログアウト処理完了。お疲れ様でした』
一瞬の暗転。
周囲には何も無い空間。
エントランスレイヤーだ。
目の前にはシステムブックが開かれた状態で浮いている。
『システムブックを閉じる事でゲーム終了処理が完了します。このままゲームを終了するのであればシステムブックを閉じてください』
開かれたページの上に表示されるウインドウに従って本を閉じる。
表紙が閉じられるのと同時に意識が暗転する。
目を醒ますと、俺の身体はアトラスのキャラクター『ガイアス』から、現実の『藤代孝彦』に変わっていた。
微かな駆動音と共にVRベッドのカバーが上がってゆく。
覚醒誘導機能によって気持ち悪い程目覚めはいい。
時刻は八時十三分。
夕食には少し早いが、たまには配膳の手伝いくらいするのもいいだろう。
僅かに凝り固まった身体を解しながらリビングへと向かう。
夕食はカレーだった。
なんせ我が家は家族全員がゲーマーなので、ネトゲのサービス開始から三日間は一日三食手のかからないカレーがお約束だ。
巨大な寸胴鍋になみなみとカレーが作り置きされている。
「で、タカとヤッコはもうやったんだろ?どうだった?」
飲酒状態ではVRシステムが起動出来ないので、晩酌はお預けとなった親父が待ち切れないといった具合に感想を聞いてくる。
ちなみにタカとは俺の事で、ヤッコは妹の事だ。
父泰彦、母孝子の名前を組み変えて、俺が孝彦、妹が泰子。
もうちょっと捻った名前を付けて欲しかったものだが、俺の名前の第一候補は騎士と書いてナイト君だったそうなので贅沢は言えない。
祖父母の猛反対が無ければ、俺はすごくかっこいい名前で一生を過ごさなければならなかったのかと思うと、祖父母には感謝しきりである。
「やっぱすごいよー。前評判以上って感じ。エルフの里とか景色が綺麗だったから、みんなとずーっと街の中ぐるぐる回ってたもん」
身振り手ぶりで感動を現すヤッコ。
ヤッコが選んだ種族は光神の末裔であるエルフ。
事前のアンケートでは全種族の中で二番目に人気のある種族だった。
やはりエルフといえば美男美女に、自然に囲まれた美しい町並みというイメージのせいか、女性プレイヤーが多いという。
ちなみに女性人口に釣られた男性プレイヤーもかなりの数だそうな。
「こっちは風景は確かにリアルだったけど、景色が綺麗って感じではなかったな。初っ端から荒野に放り出されたし」
あの景色を見て綺麗という感情が浮かぶ奴はそうはいまい。
「どうせおにいちゃんの事だから戦ってばっかだったんでしょ?」
なんか引っかかる言い方だが、避けられない戦いだったにせよ事実なので言い返せない。
「人を戦闘狂みたいに言うな。まぁ一戦しかしてないけど、戦闘もかなりリアル志向だよ。やっこなんかビビって何も出来ないんじゃねーの」
「うちはおにいちゃんと違って仲間がいるから平気ですー」
やっこは以前にやっていたネトゲの取り巻きを、アトラスでもそっくりそのまま引き連れてプレイしているようだ。
親父に言わせればネトゲの女性プレイヤーは昔と比べてかなり増えたらしいが、それでも男女比は偏っている。
おまけにやっこは他人から見るとそこそこ可愛い方らしく、リアルの体形データを利用する最近のネトゲでは、半ばネットアイドル状態なのだ。
俺から見たらクソ生意気なガキでしかないのだが、まぁ身内と他人であれば感じる物も違うという事だろう。
ちなみに俺の顔の造詣はごく普通と言った所だ。
強いて言えばイケメン寄りだと自負してはいるのだが、以前友人とそういった話になった際に
「ああ……まぁそういう美的感覚の部族も世界のどこかにはいるかもね」
と生ぬるい微笑みを向けられてしまった。
そう悪い顔ではないと思うのだが……
「そういえば、たっくんのいる場所と私達が始める場所って遠いんでしょう?やこちゃんのいる所は近いみたいだけれど。手軽な移動手段とかあるの?」
「休憩時間にwiki見てたんだが、マップを見る限りでは確かに遠かったな。移動手段が徒歩しかないとしたら、全員が集まるのはなかなか大変そうだぞ」
親父と母さんは種族にヒューマンを選んだので、ノスフェラトゥを選んだ俺とはゲーム開始地点が離れている。
ヒューマンのスタート地点は大陸北西部、ノスフェラトゥは大陸南東部なので、大陸の両端に分かれている事になる。
「合流してまでパーティー組むメリットは俺にはないし、急いで合流する必要も無いだろ」
「うちも別ゲーの友達と組むから、たまには夫婦水入らずでやればいーじゃん。若い頃思い出しちゃうかもよー」
「そういう言い方やめてくれる?すげー萎えるんですけど」
「いやーまいったなー」
「頬染めてんじゃねーよ気持ち悪い」
「パパとじゃなくてたっくんと一緒にすればよかったな……」
蔑ろにされたからってこっち睨んでんじゃねーよ負け犬親父。
親父とメンチ切り合っている間に、やっこが先に風呂に入ってしまった。
仕方ないので風呂の順番待ちついでに親父を格ゲーでこてんぱんにのした後、手早くシャワーを済ませ自室に戻って来た。
再びログインする前に、PCを起動して情報を漁る事にする。
殆どの廃プレイヤーは正式開始直後から繋ぎっぱなしだろうから、恐らく大した情報は未だ出回っていないだろうが、こういうのは確認しておかないと気が済まない性質なのだ。
ブラウザを開き、巡回しているゲーム情報サイトとアトラス関連のページを片っ端から開いていく。
ゲーム情報サイトの新着情報を流し読みしていると、メッセンジャーソフトがメッセージの受信を告げる。
『よっす』
ビジュアルチャットの画面に映るのは昔馴染みのネトゲ仲間。
ジャージ姿にノーメイク、適当に髪をポニーテイルに纏めただけの、油断しきった格好の三十路目前の女の名前は水瀬美奈子、ハンドルネーム『ミナミナ』。
「よっすじゃないっすよ。またそんな女っ気の無い格好で……」
『馬鹿言うな。女は本気出すのも一苦労なの』
「本気出した時と落差がやべーっすよ」
以前一度だけ、完璧メイクでビシっと決まったスーツという出来る女の姿を見ているだけに、すごく残念な気持ちになる。まぁあれはコスプレだったらしいが……。
『まぁそんなんどーでもいいよ。それよかアトラスだよアトラス。もうやったんでしょ?』
「ええ、まぁ。晩飯だったんで一度ログアウトしたとこです。ミナさんはまだやってないんですか?」
俺が繋いだタイミングでメッセを送ってきたということは、丁度彼女もPCに向かっていたのだろう。
『シゴトガオワンナーイのよ。早くやりたいのに。あーVRベットじゃん。ブルジョワ死ねよ』
煙草の煙を盛大に吐きながら死ねとか言われた。
『あとちょっとで一段落着くから、そしたら廃プレイだねー。もうログアウトしないよ。あっちで生きる』
「さすが廃神。ダストのメンバーも殆どプレイ予定でしたっけか」
彼女は所謂廃人、いや廃神プレイヤーで、ダストとは、彼女をマスターとしてネトゲを渡り歩く廃ギルド『エンジェルダスト』の通称だ。
彼女を筆頭に、人生をネトゲに捧げているような廃神プレイヤーの集まりで、かなりぶっ飛んだ面々が揃っている。
俺も一時期所属していたので知り合いは多い。
『まーね。他のゴミどもはもう全員プレイ中。マスターが出遅れるなんて情けない』
わざとらしく目元を拭う。
全然かわいくねぇ。
『ま、一応合流しやすいように光の種族で揃えてはいるけど、当分はそれぞれ勝手にプレイする方針だから、塵が積もるのは当分先だと思うけど』
塵が積もるというのは、『Angel Dustを結成する』、つまり『Dust(塵)が積もる』と言う事だ。
関係があるかは分からないが、彼女は自分のギルドメンバーを『ゴミども』と呼ぶ。
それでいてメンバーからの人望が厚いのは、彼女のカリスマ故か、生粋の変人の集まりだからなのか。
『たっくんは種族ノスフェラトゥって言ってたっけ。相変わらずマイナー所が好きだねぇ』
母さんに『たっくん』と呼ばれているのがバレて以来、彼女も面白がってその呼び方をするようになってしまった。
嫌がっても喜ばすだけなので無視しているが、正直勘弁してほしい。
「人とは違う事をやるのが好きなんで」
『まぁらしいっちゃらしいけどね。またうちにおいでよ。常識人が少ないと苦労すんのよね』
少ない……?いないの間違いじゃないのか……?
「あー、まぁソロに疲れたらお世話になりますよ。んじゃそろそろインするんで」
「えー私まだ原稿終わってないのに!ずるいずるい!」
彼女に付き合っていたらいつまで経ってもログインできないので、適当にあしらってPCをシャットダウンする。
ビジュアルチャットをしながらだったので細かい部分まで読み込んではいないが、主だったサイトには目を通し終えた。
予想通りまだ大した情報は出回っていなかった。
唯一目を引いたのは、闇の種族の宿命値の低さが予想以上に厄介であるという内容の書き込みのみ。
大規模掲示板の本スレでは、闇の種族を選んだプレイヤーの悲鳴と共に、光の種族に作り直すという書き込みが目立った。
どうやら宿命値を上げるためには宿命値の高いNPCからのクエストをこなす必要があるらしいのだが、宿命値が低いと宿命値が高いNPCからクエストを受ける事が出来ないというジレンマが発生するらしい。
「そりゃ高ステータスのデメリットとして宿命値が低く設定されてるんだから、簡単には上がらないとは思ってたけど、相当マゾそうだな」
だがそれがいい。普通の人にはそれがわからんのです。
トイレを済ませてからVRベッドに横たわり、再びアトラスへとログインする。
眠りに落ちてゆく意識の中で、まだ見ぬ冒険の世界へと思いを馳せていた。