第07話 星降る邂逅
平民出の少女ニナは、侯爵の伯父に養女として迎えられ、王宮へと送り込まれた。
任された役目は――「王女を支え、王子の心を味方につけること」。
冷たく美しい王子との出会い。
愛らしい王女との、七年ぶりの再会。
その一つひとつが、ニナの胸を静かに揺らしていく。
そしてある星降る夜――
ニナは、もう一つの運命と出会うことになる。
夜。ユリアの部屋を辞した帰り、王宮の庭園に足を踏み入れたニナは、人気のない回廊でふと立ち止まった。
頭上には満天の星が瞬き、夜風が冷たく頬を撫で、春先の花や草木の香りをほんのり含んだ空気が漂っている。
そのとき、影のように静かに佇む一人の男が現れた。
「危ない場所だ。ひとりで歩かないで」
振り向いた瞬間、ニナの呼吸が止まった。
そこに立っていたのは――肩までの黄金色の髪が夜風に揺れ、深みのある紫の瞳が星々のように輝く若々しい人。
均整の取れた体躯はしなやかで、少年と大人のあわいに漂う中性的な美が宿っていた。
まるで夜空の星々を一つに集めたかのような美貌。その神秘の輝きには、目を奪われるほどの引力があった。
ニナは息を呑んだ。
「護衛の方……?」
彼は軽く肩をすくめ、腰の剣に手を添える。
「そう、今は稽古中なんだ。夜に稽古しているって、少し変かな」
いたずらっぽく微笑んだ瞬間、堅苦しさは消え、少年らしい柔らかさがにじんだ。
「なぜひとりで帰るの? 付き添いは?」
初対面から親しげだが、不思議と嫌な気分はしなかった。
むしろ少し歳下に見えるせいか、気安さがあった。
「剣のお稽古、お疲れ様です。
私の侍女には先に休んでもらいました。夜まで付き添わせるのは申し訳なくて……。
あっ、申し遅れました。私は王女殿下の侍女、ニナと申します」
彼女が慌てて自己紹介する姿は愛らしく、レイザルトの名を出さなかったのは、侯爵令嬢として特別視されたくない気持ちからだった。
彼はニナを見て、優しく微笑む。
自然な気遣いと誠実さが感じられ、心が和むようだった。
「俺はシオン。ユリア王女殿下の護衛だ。ニナ嬢、君のことは聞いている」
そう言うと、表情を引き締め、真摯に見つめてくる。
「これからは君のことも守る。殿下からそう頼まれた」
まるで愛する姫を見つめる騎士のような眼差しだった。
驚きと恥ずかしさに心が揺れるが、不思議と安心感が広がっていった。
「あ、ありがとうございます……護衛を……」
声は震え、思わず視線を床に落とす。
「緊張しないで」
シオンは軽く笑い、片手を差し伸べる。
「王宮生活では怖い思いや辛い日があるかもしれない。
でも、俺がいることを忘れないでほしい」
その眼差しには、揺るがぬ誠意と願いが込められていた。
――優しい……これは任務なのね。
離れまで送るというシオンと並び、しばし黙って歩いた。
足音だけが夜の回廊に響く。
「夜の回廊って、ちょっと冒険してるみたいで楽しいね。君もそう思わない?」
少年らしい無邪気な言葉に、ニナは思わず笑ってしまう。
「こちらの道は少し暗い。滑りやすい石段もあるよ」
シオンはさりげなく手を差し伸べ、ニナが戸惑うと、照れくさそうに笑って先に歩いた。
風がやわらかく二人を包み、月明かりが庭園の苔や石畳に淡く光を落とす。
「冷えてない?」
シオンは歩みを緩め、心配そうに覗き込む。
「いえ、大丈夫です……」
ニナは小さく答え、肩をすくめた。その仕草に、シオンの視線がほんの一瞬やわらかく揺れた。
夜風は涼しいのに、彼の隣にいるだけで寒さが和らぎ、胸の奥に温もりが広がっていく。
(どうして……この人の笑顔を見ていると懐かしい気持ちになるのだろう)
―瞳の色がユリアと似ているからだと、無意識に思い込んだ。
「ここが離れだ」
シオンは立ち止まり、静かに腰を折って礼をした。
初々しさの中に、騎士らしい正確さと落ち着きが感じられた。
「ありがとうございました……シオン様」
ニナは小さく頭を下げる。
この人なら信じられる――そんな気持ちが芽生えていた。
「……“様”なんていらないよ」
シオンは優しく微笑む。
その笑顔には、どこか時を越えたような温さが漂っていた。
「シオンって呼んで。俺も……ニナと呼びたい」
「え……?」
驚きながらも、ニナはその瞳に吸い込まれるように、はにかみながら頷いた。
「……シオン、さま」
「うん、それでいい。少しずつでいいよ」
そう言う声は、春の陽だまりのようにあたたかかった。
けれど、その微笑の奥には、淡い孤独の影が揺れていた。
――その夜の短いひととき。
けれど、胸に残った温かさは、これから訪れる幾多の試練の中でも、そっと心を照らす光のように感じられた。
シオンはゆっくりと離れから退き、夜の闇に溶けていく。
その背中に、なぜか思わず手を伸ばしたくなる衝動を覚えたが、ニナはそっと胸に収めた。
――今夜の出会いは、静かに、けれど確かに、彼女の心に刻まれた。
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