第68話 還り着く約束の光
王都の一角、カイロス侯爵邸。
質素とはいえ、ニナにとっては十分すぎるほど立派で、どこか安らぎを与えてくれる家だった。
戦いを経て王宮を離れた彼女は、父カイロスの仕事を手伝いながら、侯爵邸と領地を往復する穏やかな日々を送っていた。
この日は久しぶりに王都邸へ戻った夜だった。
夏の盛りを越え、どこか名残を帯びたぬるい風が、季節の終わりをそっと告げている。
その夜。
扉を叩く音に応じると、現れたのは――すっかり貴公子らしい風格を纏った青年、シオンだった。
星空を背に立つその姿は、静謐でありながら息を呑むほど美しかった。
背は伸び、肩の線には凛とした強さが宿る。黒髪は夜の絹糸のように光を受け滑らかに輝き、紫の瞳は宝石のように澄んで深く、まるで星が宿ったかのように光を放っていた。
その瞳がニナを捉えた瞬間、彼の表情がわずかにほどけた。
長い時間を越えてようやく辿り着いた宝物を見るような、隠しきれない愛おしさが宿っていた。
ニナは朗らかに微笑んだ。
「本当に勉強熱心ね。……ユリア様も、そうでしたけれど」
優しく見あげながら、約束していた書物を手渡す。
「学ぶ楽しさを教えてくれたのは、ニナだよ」
その声は柔らかくも真剣で、ニナの胸を温かく満たす。
「それに、今は目標があるんだ」
「目標?」
首を傾げるニナを、シオンはまっすぐに見つめた。
「カイロスに言われたんだ。――『ニナが欲しいなら、認められるくらい良い男になれ』って。だから俺は、勉強して、強くなって、胸を張って君の隣に立てる男になる。ニナと結婚したいから」
「……えっ」
頬に熱が広がり、ニナは思わず視線を落とす。
シオンは続けた。
「いずれ正式に臣下となり、この国をより良くしたい。ニナと一緒にレイザルト領、アヴェルシアをもっと豊かにして――なにより、あたたかい家庭を築きたいんだ。もちろん、ニナが望むならだけど」
その真摯な言葉に、ニナの胸が震える。
涙がこみあげそうになるのを必死に堪えながら、ただ静かに頷き、微笑みながら彼を見つめた。
シオンはそんな彼女を見つめ、微笑む。
「どうして君は、そんなに可愛いんだろう」
「ニナ、これからも一緒に年を重ねて、たくさん思い出を作ろう」
「……はいっ」
小さく答えたその声に、シオンは微笑みを深め、ためらいなくニナを抱き上げた。
くるりと軽やかに回る。夏の終わりの風がカーテンを揺らし、二人の笑いが夜にほどけた。
視線が重なり、自然に距離が縮まる。
確かめるような口づけ。
唇が重なったまま、時がゆるやかにほどける。
彼の指先がそっと背に触れ、髪に触れ、頬を包んだ。壊れ物に触れるような手つきだった。
熱はあるのに、不思議なほど静かだった。
「ニナ、大好きだ」
囁きは夜に溶け、ニナの胸の奥へ落ちてくる。
瞳が滲み、笑みと涙が同時にほどけた。
唇が離れても、距離は離れない。
額が触れそうな近さで、ただ互いを見つめる。
胸の奥に灯った温もりは、もう消えないと分かる確かなものだった。
「私も……大好き……」
月光が窓から差し込み、二人の影を静かに床に落とす。
外の世界はもう関係ない。
長い旅路を経て、ようやく辿り着いた静かな幸福。
――その夜、言葉よりも確かなものが、二人のあいだに結ばれていた。




