表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
67/70

第66話 静かなる継承と、密かなる想い

戦が終わり数ヶ月――。

王都の空は高く澄み、白い雲がゆるやかに流れていた。


重症のレオニス王は容態が戻らず、王位を翌春、王太子である第二王子ルイスに譲ることを決意した。


王都では、人々がまだ見ぬ若き王の時代を語り合っていた。

英雄の即位に、希望を口にする声があちこちで溢れていた。

その即位は、王室に緊張を残しつつも、長い冬を越えた国に差し込む新たな光となろうとしていた。


街路では子どもたちの笑い声が弾み、遠くの市場からは果実を売る声が届く。

国は確かに、前を向いて生き始めていた。



病床に伏す王は、静かに王妃の手を取る。


開け放たれた窓から、夏の風が白い帳を揺らし、遠くで蝉の声がかすかに混じっていた。


「……王妃。お前は王妃として素晴らしかった。お前が妻で、わしは幸運であった」


「陛下……」


王は微笑み、続ける。

「テオドリクも良い青年に育った。ルイスも……義母としてよく導いてくれた。感謝している」


「……」


「……わしが逝ったら、お前は好きに生きろ。もう義務に縛られる必要はない」


驚くヴァレリアに、王は一度、静かに息を整えた。

「……カイロスにも頼まんとな」


「……陛下……!」


「わしが気づかなかったと思うか。結婚前――お前とカイロスは、深く惹かれ合っていたな」


ヴァレリアは息を呑む。だが王は穏やかに首を振った。

「良いのだ。私はお前を何度も悲しませた。……だが、お前は王妃として義務を果たし、最後まで寄り添ってくれた。……感謝している」


「……わたくしは……」


「過ちも、悔いもあった。だが最後は――お前に看取られたい」


王の手が、涙に濡れるヴァレリアの頬をそっと撫でる。



数日後――。


竜を祀る教会の鐘が、遠くでひとつ鳴った。

かつては銀竜を建国の祖と称え、真の歴史を覆い隠してきたその教会も、

いまは過ちを認め、黒竜の名を再び掲げている。


白い石壁には修復の跡が残り、午後の光がステンドグラスを透かして、

淡い色の影を床に落としていた。


外では強い陽射しが石段を白く照らし、教会の庭では背の高い夏草が風に波打っている。


カイロス・レイザルトはその光の中に立ち、静かに祈っていた。

祈りなど、長く忘れていた。だが今はただ――

アヴェルシア王国の安寧と、ニナとシオン、そして人々の未来のために。


若き日に守れなかった願いを、せめてこの国では誰にも失わせぬようにと、彼は歩き続けてきた。

遠く、城の方角から祝福の鐘が重なり、夏空へ溶けていく。


背後から、衣擦れの音がそっと響く。

振り向くと、ヴァレリアがいた。光を背にして立つその姿は、

かつてと変わらぬ気高さを宿している。


その輪郭が、遠い夏の日、ひまわりの咲く野に立っていた少女の面影と静かに重なった。

あの日、身分も義務も忘れ、自由に笑っていた彼女に、彼は心を奪われていたのだった。


「……あなたがここにいるなんて、珍しいわね」


ヴァレリアは静かに微笑んだ。


カイロスは穏やかに頷く。

一瞬だけ言葉を選ぶように黙り、やがて昔の呼び方のまま口を開いた。


「昔のことを思い出していたのだ。ニナとシオンが互いに学び合う姿を見て――若き日の我らを。」


窓の外で、風に擦れた木々の葉がさらりと鳴った。


ヴァレリアはわずかに目を伏せた。


「本を読み合ったこと、学びを語り合ったこと……馬を駆けて、大地を自由に走った日々を」


その声音には、戻れぬ年月の温度が滲んでいた。


ヴァレリアのオーロラ色の瞳に、遠い日の自分を静かに笑うような光が揺れた。


「若かったわね。……すべて遠い過去」


教会の鐘が、ゆるやかに二度、鳴る。

その音が、二人の間に静かな沈黙を落とした。


「政治のために、私はあなたを敵とした。けれど……あなたを尊敬していたわ」


「ヴァレリア。……私もだ。君は己の信念を貫いた。それを誇りに思っている」


ヴァレリアの目がわずかに潤む。

それでも気丈に笑みを作り、問いかけた。


「……あなたは結局、伴侶を迎えなかったのね」


カイロスは小さく息をつき、光の差す方へと視線を向けた。

ブロンズの髪と瞳が、午後の陽にやわらかく光る。


「そうだな。妻を持たなかった。

だが――領地と民があり、王の友であり続け……

そして遠くから、お前を見守ることができた。

それで十分だった。」


ステンドグラスの光が、二人の影をひとつに重ねる。


ヴァレリアの目に、涙がにじむ。


カイロスは穏やかに微笑み、静かに告げる。

「お前のことだ、最後まで王に寄り添うのだろう。だが――もしも落ち着いたら、気が向いたらでいい。いつでも領地で待っている。」


その言葉は、静かな夏の光の中に溶けていった。



その時だった。

光の中で、彼女の胸の奥に、かつての彼の、

あの静かで真摯な眼差しがよみがえった。


ー君をいつか、解放したいー


遠い日の声が、胸の奥に重なる。


指先が、わずかに震えた。


彼女だけが知るカイロスの温もりが、

凍っていた時を溶かすように、静かに広がっていく。


ヴァレリアは嗚咽をこらえ、涙を抱いたまま、ただ深く頷いた。



――やがてカイロスの姿が去り、教会には祈りの灯と、彼の残した温もりだけが残る。

ヴァレリアは背筋を正したまま立ち尽くし、袖でそっと頬を拭った。


「……本当に、不器用な人……」


小さく笑みを浮かべながらも、頬を伝う雫は止められない。


蝋燭の炎が、彼女の瞳にきらめきを映す。

その光は、沈みゆく陽の代わりに、まだ見ぬ明日を照らしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ