第05話 朝の光と再会 ― 白き花の庭で
平民の娘として生まれたニナは、伯父である侯爵に養女として迎えられ、王宮へ送りこまれる。
与えられた使命は――「王女を支え、王子の心を味方にすること」
侍女としての初めての朝ーー
光に包まれ、懐かしいあの人と再会する
朝の光が、王宮の庭を柔らかく包み込んでいた。
咲き始めた白いマグノリアの花が枝いっぱいにほころび、その下を小川が静かに流れている。
昨夜――ルイス王子との出来事の余韻が、まだ胸の奥で小さく波打っていた。
(あれは……現実だったのだろうか)
まともに眠れなかった。
けれど、今日これから待つのは、もうひとつの大切な再会。
幼い頃から親しく、かつて無邪気に笑い合った少女――ユリアのもとだ。
ユリア王女は花木の下、小川のほとりで待っているという。
案内され、歩を進める。
侍女としての自覚と覚悟を胸に、背筋を伸ばす。
「今日から、王女殿下のために――どんなことがあっても心を尽くしてお仕えしよう」
小川のせせらぎに耳を澄ませると、胸の奥に幼い頃の記憶が蘇る。
レイザルト領の森で、ユリアと水をかけ合った日々――
無邪気に笑い、手を伸ばして互いに水を跳ね返したあの時間。
あの笑顔を思い出すだけで、胸がきゅっと締め付けられる。
ユリアの両親――父である前王は、ユリアが生まれてすぐ退位し、親友であるカイロスの領地に移り住み穏やかに彼女を育てた。
だが五歳で母を病で失い、十二歳で父も事故で亡くした。
孤児となった彼女は、叔父である現王に養女として引き取られ、以後三年間は貴族学校に籍を置いた後、王宮で過ごしていた。
七年ぶりの再会。
辛い出来事を経験したユリアを思いやる。
ふと白い花びらが舞い散る枝の下に、淡い金色の髪が朝の光を受けて揺れていた。
振り返った十六歳に成長した少女の姿――
その瞬間、ニナは言葉を失った。
白き肌は花びらより清らかで、
薄紫の瞳は水面に落ちる星のように澄み渡っている。
一筋の風が吹けば、金糸のような髪がきらめき、
舞い落ちる花びらと光に包まれた姿は、まるで朝そのものが形を得たかのように見えた。
幼い面影を残しながらも、ひと目でわかるほど美しく成長していた。
けれど微笑んだその仕草は、幼き日に小川で笑っていた少女のままで――
神々しさと懐かしさ、そのどちらもが胸を締めつけた。
(ユリア様……!)
互いに視線を交わす。
距離は数歩しかないのに、時間が止まったかのように感じられた。
言葉より先に、七年分の想いがそっと呼び合うようだった。
「ニ、ナ……」
ユリアは小さく息を吸い、どこか恥ずかしげで無邪気な笑みを浮かべていた。
その表情の奥に、寂しさや孤独がちらりと覗いたような気がする。
ニナはそれを見逃さず、胸の奥がじんわりと熱くなる。
二人はしばらく、互いにじっと見つめ合ったまま立っている。
風に揺れる髪、朝日の光に照らされる顔、そして水面に反射する光――
水面に映る淡い花々の花びらの煌めき。
どれもが、幼い記憶と現在の姿をそっと重ね合わせていく。
――久しぶりに、ただ存在しているだけで心が温かくなる相手。
「……王女殿下……」
思わず口をついて出た呼び方に、ユリアは小さく顔を曇らせる。
「やめて。そんなふうに呼ばないで」
「?……ですが、私は侍女として……」
「それでも、“ユリア”って呼んで。昔みたいに」
ニナは微笑みながら、丁寧に言葉を落とす。
「……承知いたしました。……ユリア、さま」
ユリアはにっと笑みを浮かべ、目をわずかに細める。
その奥に、ただ“ユリア”とだけ呼ばれたいという小さな願いが揺れているのが見えた。
「ねえ、覚えてる? 昔、こんなふうに遊んだよね」
そう言ってユリアはふいにしゃがみ、冷たい水面に指先をそっと触れると、ぱしゃりと小さな水しぶきが飛ぶ。
「あっ……! ユリア様、そこは――」
慌てて手を伸ばすニナ。
ユリアの足が水に入ろうとするのを制しつつ、その無邪気さに胸が柔らかくなる。
ユリアは少しはにかみながら、もう一歩川の中へ指先を入れようとする。
「大丈夫よ、ニナ。水遊びくらい……」
でもニナは心配で、そっと手を握り制す。
「濡れてしまいます……まだ冷たいですし……」
その声も、わずかに揺れる。
やがて二人は川の真ん中でしばし見つめ合った。
陽光が水面にきらめき、花の香りが風に乗る。
「……寂しかったでしょう?」
思わず口にした言葉に、ユリアの肩が小さく震える。
王女には不敬な言い方だったかもしれない。
言ってしまってから気づいたが、口をつぐむことはできなかった。
「……父まで……いなくなってしまったの。王宮は……息苦しくて。ずっと、ひとりで悲しかった。」
淡い紫の瞳に、涙の粒が光る。
幼いころの笑顔で隠していた孤独が、あふれ出した瞬間だった。
ニナはためらわず、ユリアを強く抱きしめる。
「大丈夫です。……もう、ひとりではありません」
その優しい温もりに、ユリアの胸はぎゅっと締めつけられ、
こぼれた涙の奥に、ずっと忘れていた安らぎが満ちていく。
――どうしてだろう。こんな気持ち、いつ以来だろう……。
しばらく抱きしめ合った後、ユリアはふいに水に手を差し入れる。
「ニナ、ほら、昔みたいに水遊びしよう」
涙の跡を笑顔で隠すように。
少し躊躇いながらも、ニナは手を伸ばす。
二人は笑いながら水をそっとはじき合い、飛び散る水滴が陽光にきらめく。
花の香りと混ざった水しぶきは、まるで時間を超えてふたりの記憶を結び直す光の粒だった。
無邪気な笑い声と水のせせらぎ。
幼いころの思い出と、今の現実――
二つの時間が交差し、花木の下の庭は柔らかく輝いていた。
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