第53話 届かない心、ほどけない想い
夜更け。
月の離れの自室は深い静寂に沈んでいた。
今夜も、ルイスは来ないだろう。
寝台に身を投げ出し、瞼を閉じても、今日の出来事が胸を離れない。
王妃の低い声と、養父の腕の感触が、重い余韻となって胸に残っている。
認めてもらえた喜びを抱きしめながらも、あとに残ったのは、自分一人の問いだった。
――あの秋の日。
ルイスに未来の話を拒まれてから、季節はゆっくりと冷えていった。
一緒に夢を語ることはもう叶わず、彼と自分との理想の「王妃」は違っているのだと、薄々気づいていた。
それでもいつか、また隣で語り合える日が来ると信じていた――。
けれどその願いは、雪のように静かに積もるばかり。
彼の望む伴侶は、もしかして……私ではないのかもしれない。
ユリア。シオン。侍女仲間たち。
支えてくれる人々の姿を思い出すほどに、胸は切なく軋む。
王宮で耐えられたのは、ユリアの侍女としての誇りと使命があったから。
それだけが、私をここに繋ぎとめていた。
今は心許せる人もおらず、厳しい監視の下で過ごす日々。
ルイスの政務はますます増え、日々すれ違うばかり。
彼の隣にいるはずなのに、忙しさの中で言葉を交わす時間は減り、
夜に訪れても、互いの疲れを癒すように身を寄せ合うだけ――。
手を伸ばしても届かない心が、そこにある。
(どうして……こんなに遠くなってしまったの)
「……私は、本当に……王太子妃、王妃に……?
それとも…側室に…?」
囁きと共に、涙が頬を伝う。
思い出すのは、ユリアの笑顔。
どんなに辛い日でも、ただまっすぐに笑いかけてくれたあの瞬間。
シオンの優しい声、ふとした気遣いも――
名を呼ばずとも、そこに在るだけで心がほどけた存在。
ふと、ユリアの言葉を思い出す。
「ニナのお陰よ」
「あなたに守られているだけは嫌――」
違うんです、ユリア様。
守られていたのは、私のほうなんです。
子ども時代、家庭の事情で辛かった私は、あなたの太陽のような笑顔で救われていた。
母を亡くしたあなたを守りたいと願ったけれど、あなたの強さに励まされていた。
あなたとの時間が、私を少しずつ強く、変えてくれたのです。
なのに私は、あなたがどれほどの深い孤独を抱えていたか、知ろうともしなかった。
恐れられる竜の力を抱えたまま、微笑み続けたあなたの痛みに、気づけなかった――。
そしてシオン。
短い時間でも、あなたは毎日私を笑わせ、励ましてくれた。
その優しさに、どれほど助けられたか――。
『ユリア様、シオン……
どうかお元気でお過ごしになられていますように……』
やがて疲れ果て、意識が遠のく。
まぶたの裏に浮かんだ二人の笑顔が、静かに溶けていく。
涙の中で眠りに落ちたその瞬間――。
――頬に触れる、温もり。
涙を拭い、髪を撫でるような優しい仕草。
「……ユリア様……? それとも………」
目を開けると、誰もいなかった。
窓がわずかに開き、夜風がカーテンを揺らすだけ。
廊下にも、人の気配はなかった。
けれど胸には、確かに温もりが残っている。
それは言葉にも形にもならず、胸の奥で静かに灯るものだった。
ニナは身を起こし、窓辺に歩み寄る。
夜空には星々が寄り添うように瞬き、
闇の底に、小さな湖面のような光を落としていた。
――消えない。
胸の奥にともる小さな光を、両手で包むように感じながら、
ニナはそっと息を吸い込む。
震える唇に、かすかな笑みが宿った。




