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第50話 闇夜に灯る決意

夜が更け、風が止んでいた。

レイザルトの山々は白く沈み、月さえも凍えるように薄い光を放っている。

カイロスと別れたあと、シオンはひとり、雪を踏みしめて歩いていた。


遠く、村の酒場の灯がまだ揺れている。

戸口の隙間から、温かな笑い声とともに、いくつかの言葉が漏れた。


「王都じゃ、もうすぐ王太子の就任式があるそうだな。あの王太子妃候補のニナ様も出席されるとか」


「おお、カイロス侯のご令嬢か。ほんとに気立てのいいお方だったな」


「領主さまの娘さんなのに、病人の家まで手伝いに来てくれたんだ。王子殿下が惚れるのも当然さ」


「けどよ、あの優しい方が……王宮の暮らしに馴染めているのかねぇ。お心が疲れちまわなきゃいいが」


笑い混じりの会話だったが、ひとつひとつの言葉が、胸の奥を刺した。

彼らの声には悪意などなく、むしろ敬意があった。

――それが余計に、痛かった。


雪の上で足が止まる。

静まり返った夜に、ただ心臓の鼓動だけが響く。


ニナ。


その名を思うだけで、胸の奥がやわらかく熱を帯びる。

同時に、焦がれるような痛みが滲んだ。


幼いころ。

ユリアだった自分を、彼女はただの“人”として見てくれていた。

彼女といると、竜の血も、王の血も、自分が何者かなどどうでもよくなった。


どんな自分でも、あたたかいまなざしと変わらぬ笑顔で包んでくれた。

彼女自身つらい境遇にあっただろうに、それを微塵も見せず、いつも他人の痛みに寄り添える人だった。

思い出すのは、いつもあの穏やかな笑顔ばかりだ。


――もし黒竜だと知っても、彼女はきっと変わらない。

その確信が、いつしか自分を支えていた。


それでも怖かった。

彼女が自分を受け入れてくれるほどに、もう二度と離れられなくなってしまう気がしたから。


あの優しい瞳。

手を伸ばせば届く距離にいてくれた笑顔。


ユリアとしての自分を導き、人として立つ意味を教えてくれた人。


そして、シオンとして出会い直してから――初めて恋を知った。

風に揺れる髪に心を奪われ、言葉ひとつで世界が変わった。

ルイスの隣で微笑む姿を見たとき、胸の奥で何かが軋んだ。

あれが、嫉妬という痛みなのだと知った。


――それでも。


彼女の幸せを願っていた。

誠実に今を、未来を語るその声が好きだった。

人の痛みを分かち合いながら、自分の夢を語る姿が、美しかった。


時に可愛らしく、無防備で、時に凛として、勇敢で――

それでも真っ直ぐに歩み続けるその姿に、どうしようもなく惹かれた。


「……ルイス殿下」


雪の中で名を口にすると、その声は白くほどけた。


――彼が彼女を悲しませるのなら、そのときは俺が行く。

黒竜としてでも、人としてでも。

あの人の涙だけは、二度と見たくない。


風が静かに吹き抜けた。

遠くの森から、狼の遠吠えが響く。


シオンは空を仰ぎ、ゆっくりと目を閉じた。


掌に、黒い燐光が宿る。

闇を焦がすような熱を、必死に抑え込む。


熱は荒れ狂うのに、心は不思議なほど静かだった。


炎が地を走り、雪が一瞬で蒸気に変わった。

それでも、その眼差しは穏やかだった。


「……強くならなきゃ、な」


呟きは雪に溶けて消える。


「彼女を守れるだけの力を。

どんな運命でも、立っていられるように。」


雲間から、星がひとつのぞいた。

それはあまりにも小さく儚いのに、不思議と暖かかった。

――もしかしたら、ニナも同じ空を見上げているのかもしれない。


「ニナ……」


名を呼ぶと、胸の奥が静かに満たされた。


「幸せでいてくれ」


夜風が彼の髪を揺らし、外套の裾が舞った。

黒竜の瞳がわずかに輝き、やがて闇に溶ける。


その心の底には、誰にも知られぬ祈りが――

静かに、永遠のように燃えていた。


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