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第49話 冬の邂逅 炎のかたわらで

吹きすさぶ風が、山の谷を抜けて雪を運んできた。


レイザルト領のはずれ、小さな村の酒場を兼ねた食堂。

灯りは柔らかく揺れ、客の数もまばらだ。

暖炉の火は赤金の呼吸を繰り返し、ぱちぱちという音が、凍える夜気にかすかな温もりを与えていた。


その奥の席に、鳶色の髪の青年がひとり。

粗い旅装に身を包み、手元の杯で身体を温めている。

紫の瞳は炎を映してなお昏く、星を沈めた夜の深度をたたえていた。


「……ここにいたのか」


低く落ち着いた声が響き、扉口にひとりの男が立った。

厚手の外套の下には庶民の服――だが、その存在だけで空気が変わる。

カイロス・レイザルト侯爵。

けれどここでは、誰もその名を口にしなかった。

ただ一人、隅の老人が気づき、静かに目を伏せた。


カイロスは歩み寄り、シオンの隣に腰を下ろす。

しばし、二人の間には焔の音だけがあった。


「凄腕のハンターが現れたと聞いた。明るいが、妙に影もある美しい若者だと。――お前じゃないかと思ったよ」


杯を手に取りながら、カイロスは微かに笑った。


「領地中を探した。まったく、隠れるのが上手い。まるで風のように足跡も残さぬ」


シオンはわずかに目を伏せる。


「……見つかりたくなかったんです」


「だろうな」


カイロスは温い酒をひと口だけ飲んだ。


「――ニナが、心配している。ユリアのことも、お前のことも」


ニナは日々カイロスにユリアとシオンの安否を探してほしいと懇願していた。


ニナ――その名を聞いた瞬間、シオンの指が止まった。

鼓動が、外套の下で静かな嵐のように鳴っていた。


「……彼女は、どうしてますか」


問う声は低く、それでいて切実だった。


「王宮に留まっている。王太子妃候補として、な」


「……そう、ですか」


言葉の先が続かなかった。

噂で知っていた。だがカイロスの口から直に聞かされると、自分でも驚くほど胸が痛んだ。


愛するニナが、ルイスの隣にいる。

妻として微笑む未来を想像しただけで、胸が焦げるようだった。

もう何度嫉妬したことだろう。


だが同時に、彼女が幸せならそれでいいと自分に言い聞かせてきた。

彼は杯を見つめたまま、唇をわずかに震わせる。


「……ルイス殿下は、彼女を幸せにしているのですか」


カイロスは答えず、しばらく炎を見つめた。

揺れる火だけが、肯定も否定も拒んだまま答えていた。


その沈黙は、何より雄弁だった。


「――じきに大きな戦が始まるだろう」


カイロスの声は低く重く、炎の音に溶ける。


「宣戦布告はまだないが、隣国との関係は悪化している。辺境も、周辺諸国も不穏だ。

戦の匂いが、風に混じってきている。……前の戦で勝った慢心が、国を鈍らせているのだ」


シオンは拳を握りしめた。


「なら、俺が戦います。力を鍛え続けてきました。

竜の力を……制御できるようになってきた」


その眼差しに、カイロスは一瞬、息を呑んだ。

かつての親友――前王キリウスが見せた、あのまっすぐな瞳が重なる。


* * * (回想)


――あの日。

魔法の閃光が空を裂き、車輪は砕け、崖の上の馬車が激しく横転した。

従者は即死。

カイロスが駆けつけたとき、キリウスはすでに血の中にいた。


「キリウス……!」


「いいのだ、カイロス」


前王の声はかすかだった。


「レオニスからも忠告されていた。……グラシエラ家が私を狙っているとな。分かっていたのだ」


「馬鹿なことを……まだ生きられる、治療を――!」


「いや……いいのだカイロス。妻が逝った七年前に、私はもう生きる理由を失っていた」


キリウスは穏やかに笑い、血に濡れた指でカイロスの袖を掴んだ。


「ユリア――シオンが希望だった。

だが、守ることばかり考え、あの子の翼を縛っていたのかもしれぬ。


グラシエラ家は何度も言った。

『抹殺はしない。ユリアを差し出せ、国のために使え』と。


私は拒んだ。

あの子は“国のための竜”ではなく、“生きるための人”だからだ」


「違う。お前が守ったからこそ、今もユリア、シオンは生きている!」


キリウスはわずかに首を振り、カイロスの手を握った。


「これからあの子は王宮で監視されるだろう。

弟とともに見守ってやってくれ。あの子の意思を尊重してほしい」


「――必ず」


キリウスは安堵の息を吐き、微笑んだ。


「これで……妻のもとへ行ける」


その言葉を最後に、穏やかな微笑を湛え、キリウスは静かに目を閉じた。


凍てつく風の中、カイロスはひとり、声を殺して泣いた。

雪が降っていた。今宵と同じように。



* * *


「……キリウス、お前の子は強くなった」


カイロスは炎を見つめながら微かに呟いた。


「もう、誰の庇護もいらぬほどに」


「……連れ戻すのですか?」


シオンの声が震える。


「俺はもう、王宮には帰りたくありません。

自分を偽って生きるのは、もう嫌なんです。

誰かに守られるのも」


シオンの問いに、カイロスは微かに笑み、首を横に振る。


「いや。お前の居場所はお前が決めればいい。……だが、貴族たちは腐っている。

次の戦で、痛みを知ることになるだろう。」


そして、カイロスは懐から小さな封筒を取り出した。


「一つ頼みがある。ニナに手紙を書かないか」


「……ニナに?」


「あの子は今、幸せではない。笑ってはいるが孤独だ。

その心はひどく疲れている。――お前の言葉なら、彼女の心に届くかもしれん」


雪の音だけが、静かに降り積もる。


シオンはしばらく何も言わなかった。

やがてゆっくりと頷いた。


「……分かりました。

殿下がなぜ彼女を苦しませているのか分からないけど……

ニナが少しでも安心できるように、ユリアは元気だと伝えます。

『心配しないで、必ず会いに行く』と」


カイロスは静かに笑い、頷いた。


「それで十分だ。あの子はきっと、お前の言葉を待っている」


外の風が止み、雪がしんと夜を包む。


ふたりの影が、炎の揺らめきの中で重なる。

それはかつて交わされた約束が、時を越えて再び結ばれた瞬間のようだった。


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