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第03話 王命と月の離れ

平民の娘として生まれたニナは、伯父である侯爵に養女として迎えられ、王宮へ送られた。

使命は――「王女を支え、王子の心を味方にすること」。


謁見の間――王と王妃の視線が、彼女の運命を静かに揺さぶり始める――。

謁見の間。


天井一面を覆う聖竜の壁画が、来る者すべてを見下ろすように輝いている。

燭台の炎は大理石の床に揺らめき、幻想的な光を描き出していた。


玉座に座すのは、アヴェルシア王国の主――レオニス・アヴェルシア王。

金を湛えた琥珀の瞳には、齢五十を超えてなお衰えぬ艶と、老獪な企みを秘めた光が宿る。


ただ座しているだけで、場の空気は自然と支配される。

その視線が、まっすぐに若き娘を射抜いた。


そこには噂にあった“醜い娘”の影はなかった。

立っていたのは、儚くも可憐な美しさをまとい、あどけなさを残す黒髪の少女――ニナ。


王はその姿を見て、口の端をわずかに上げた。


(カイロスめ……。隠された花を、ここで咲かせようとしているのだな)


「――レイザルト家のニナよ」


王の声が広間に響く。


「余の娘ユリアの侍女として仕え、その心を支えるがよい」


ニナは一瞬、圧倒されて心が固まる。だが、ふとレイザルト領の静かな谷や伯父カイロスの教えを思い出し、胸の奥で小さく息を整えた。

深く頭を垂れ、静かに返す。


その隣に座す王妃ヴァレリアの視線が、冷ややかに彼女を値踏みする。

竜の血を引く王侯貴族には容姿端麗な者が多い中、ヴァレリアは華やかさに欠ける存在であった。

しかし赤みを帯びた金髪と、オーロラのようなヘーゼルの瞳が印象的で、背筋を伸ばしたその姿勢に宿る気品は圧倒的だった。


それでも怯まず、静かに視線を伏せるニナ。

その柔らかな佇まいは、王の目に特別なものとして映った。


「ユリアを――頼んだぞ」


レオニス王の声は、先ほどとは違い、深く重みのある響きを帯びていた。

――そこには、養父としての真剣な思いが潜んでいるのかもしれない。


(……伯父様だけではない。陛下もまた、私に役割を望んでおられる)


「全力で努めさせていただきます」


ニナの手が僅かに震えたが、胸の奥で小さく息を整え、静かに誓った。

自分にできることをすべて果たす、と。


***


謁見が終わり、広間に静寂が戻る。

臣下たちが退いた後、王妃ヴァレリアは玉座に残る王に歩み寄った。


「陛下」

低く、確かな響きを持つ声。


「……あの平民の血を引いた娘をユリアの侍女とするだけでは飽き足らず、ルイスと近づけるおつもりですか?」


レオニス王は片眉をわずかに上げる。


「何を言う。余はただ、あの娘にふさわしい部屋を与えただけだ」


「『月の離れ』を、ですか」

ヴァレリアの瞳が細められる。


「そこが誰の部屋であったか、そして今は誰が使っているのか――陛下はご存じのはず」


『月の離れ』。

かつてルイスの母であった側室が暮らした館。

今は空室だが、ルイスがしばしば“第二の部屋”として使うことは、宮廷では公然の秘密だった。


レオニスは肩をすくめ、あえて無邪気に笑んだ。


「だからこそ良いではないか。あの子には、もう母の影に縋らず前に進んでもらわねばならぬ」


「……それで、あの娘をそこに置くと?」

王妃の声には冷ややかな棘が宿る。


「偶然だよ」


王はあっさりととぼける。

その笑みに、真意を読み取ろうとするヴァレリアの視線が突き刺さった。


「……陛下。あの娘はレイザルト侯爵の姪であり養女。あの男がどのような意図で彼女を送り込んだか、分からぬわけではございません」


ヴァレリアの声は冷ややかに響いた。


「改革を口にする侯爵の娘同然の存在を、ルイスの傍に置くなど……王家の均衡を乱す火種となりましょう」


レオニス王はわざと軽く笑みを浮かべる。


「ヴァレリアよ、考えすぎだ。あの娘を侍女に推薦したのは余だ。侯爵に余計な力を与えるつもりはない」


「ですが――」


言葉を続けかけた王妃は、ふと唇を閉ざす。

わずかな沈黙ののち、視線を逸らした。

その眼差しの奥には、政治的な警戒心だけではない、言葉にならぬ影が揺らめいていた。


王はそれ以上追及させぬよう、疲れたような笑みで言葉を結ぶ。


「ルイスには、もう母の影に縛られぬ未来を歩ませねばならぬ。それだけのことだ」


ヴァレリアは深く頭を垂れた。

だが胸の奥には、消えぬ疑念と抑えきれぬ感情がわだかまっていた。


***


こうして、ニナは侍女として仕えることとなり、王宮での自室として『月の離れ』が与えられた。

それが誰の思惑によるものか、彼女にはまだ知る由もない。


その静かな扉の向こうで――

運命の糸は、見えぬ手によってゆるやかに編まれ始めていた。

読んでくださり、本当にありがとうございます!


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それでは、次回もお楽しみいただけますように。

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