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第34話 静かな対話――第一王子テオドリク

 月の離れの静かな一室。


 包帯を巻かれた肩を庇いながら、ニナは柔らかな陽光の中で身を横たえていた。

 外のざわめきが遠くにあるのが、かえってここを異世界のように静謐にしている。


 不意に扉が叩かれる音がした。


「……ルイス?」


 現れたのは、意外な人物――第一王子テオドリクだった。


「入ってもよろしいかな」


 思わぬ訪問に、ニナは慌てて身を起こす。


「王子殿下……!」


 扉が開き、淡い陽光を背にした青年が姿を現す。

 銀糸のような髪と金色の瞳。病弱さを隠せぬ面差しでありながら、そこには確かな気品が漂っていた。


 彼はベッド脇の椅子に腰を下ろし、柔らかい笑みを浮かべる。

 ニナは慌てて体を起こそうとしたが、すぐに制された。


「無理に立たなくていい。今日は……一度、君とゆっくり話してみたかったんだ。具合はどうだ?」


 その声は柔らかくも、胸の奥を探るような響きを帯びていた。

 ――ルイスを庇った勇敢な女性。黒竜ユリア王女から絶対の信頼を受け、そして……ルイスを本気にさせた女性。

 改革派の魔女か、あるいは人々を導く聖女か。


 なるほど、ふんわりと可憐で、たしかに美しい。

だがそれは、作られた華やかさではない。


 静かな佇まいの奥に、澄んだ光を宿したような――

視線を向けるほどに、なぜか目を離せなくなる美しさだった。


 だがもっと華やかで、さらに目を引く美しい女性たちは、これまで弟ルイスの周りにも数多くいたはずだ。

――それなのに、なぜ彼女だけが、彼をこれほど惹きつけたのか。

 

「ご心配をありがとうございます。だいぶ楽になってまいりました。ですが……殿下こそ、お体は?」


「ふふ、気を遣ってくれるのか。ありがたいね。僕は、まあ……いつものことだ」


 場を和ませるように、彼は冗談めかして言った。


「ルイスは……君に守られてしまったことを、ひどく悔やんでいたよ。どうせ毎日顔を出しているのだろう?

……僕がいたら、叱られてしまうな」


 ニナは恥ずかしげにくすりと笑い、

「いえ、そんなことは」とかすかに首を振った。


 その微笑みに誘われるように、普段は言葉少なな王子の口が自然とほぐれていく。

 自分でも意外なほどに話が続くことに気づき、心の奥で小さく苦笑した。

 ――彼女には、人を安心させる力がある。


「……君は、この国をどう見ている?」


 問いかけたテオドリクの瞳は、病弱な印象とは裏腹に、真剣な光を宿していた。


 ニナは姿勢を正し、ためらわず口を開いた。




「恐れながら……私は、魔法に頼り続けるだけではもう難しい時代に入っているのではないかと思うのです。



「竜の血は薄れ、魔力も弱まっていると聞きます。でも……城下では、魔法がなくても工夫して生きている人たちがたくさんいます。知恵や技術で、毎日を支えている人たちが」


「……私も、かつてはそうした暮らしの中にいました」


少しだけ目が揺れる。


「だから今のうちに、身分に関係なく力を持ち寄れる国になれたらと……貴族も平民も共に。研究も、医術も、農業も。そういうものが増えれば、魔力が弱くても、人は生きていける気がして」


いったん言葉を置き、静かに息を整える。


「民への教育や福祉、暮らしを支える仕組みも、きっと未来への備えになるはずです。それは国のため……そこに生きる人が、明日を怖がらずに済むための力になるのでは」


テオドリクの視線を受け止め、ニナは続ける。


「もちろん、身分の違いや、長い間に生まれた不信が簡単に消えるとは思っていません。綺麗な言葉だけで変えられるとも」


小さく首を振る。


「けれど……難しいからと、最初から手を離してしまったら、何も始まらない気がして」


その声は穏やかなまま、その瞳に、迷いはなかった。


「それに……最近、魔物の襲撃が増えているのも、森の実りが減っていることと無関係ではないのでは、と。周辺国も飢えに苦しんでいると聞きました」


胸の前で指を重ねる。

少し言葉を探してから、彼女は続けた。


「これまでは自国の力だけで立って来られたのかもしれません。でもこれからは、他者、他国と助け合い、互いに足りないものを分け合える道を探す時なのではないでしょうか」


視線がまっすぐに上がる。


「そうできた時、ようやく……すべての人が、この国に生まれてよかったと思える未来が来て、希望を持てる明るい社会になるのではと、信じています」


 言葉を重ねるうち、ニナ自身も熱を帯びていくのを感じていた。

 だが彼女は決して声を荒げず、ただ静かに、真っ直ぐに語る。


 テオドリクは口を挟まず、身じろぎもせず、その一言一句を受け止めていた。

 その瞳に宿っていたのは、王族としての警戒ではなく――純粋な驚きだった。


 ――強い。

 いや、正確には“折れない”。


 この華奢な身体のどこに、これほど確かな芯があるのだろう。


 彼女の瞳は柔らかく、そして不思議なほど澄んでいる。

 力を誇示する光ではない。

 未来を信じ、人を信じようとする者だけが持つ、静かな輝きだった。


 言葉を終えると、しばし沈黙が落ちた。


(……驚いた。僕が言葉にできなかった思いを、彼女はまっすぐに語った。

 王族としては軽々に口にできぬ危うい思想――

 それなのに、胸の奥で静かに共鳴している自分がいる)


「なるほど……実に興味深い意見だ。研究を進めるべき、という点には深く頷ける。医術や農業もそうだが――魔法に頼らず知恵を積み重ねるべきだろう。平民の知恵を重んじ、次世代への責任まで語るとは……君はただ勇敢なだけでなく、賢い方だ」


 言葉は抑えられていたが、その奥に熱が潜んでいた。

 

 思いがけない言葉に、ニナは一瞬言葉を失った。

 評価の言葉よりも、その重さが胸の奥に静かに沈んだ。

(――私などが、そんな……)

 だが、その想いを、否定することもできなかった。


 彼はふっと表情を和らげ、懐から小さな布袋を取り出した。


「実は手土産を持ってきていてね。肩に合うといいが」


「まあ……!」


 驚きの声を上げたニナに、彼は照れくさそうに笑う。

 広がったのは爽やかな香草の香りだった。包帯にあてがうと、ひやりとした冷気が走り、痛みがやわらいでいく。


「……冷たくて、気持ちいい」

ニナが驚きに声を洩らす。


「殺菌効果もある。子どものころから薬草を調合するのが好きでね。母上には『王子らしくない』と叱られたが……治癒魔法に頼らずとも、まだ学べることは多い。今こそ研究を進めるべきだと感じている」


「素敵です……! これは何と何を?」


「君の目が本当に輝いているな。僕の弟子になるかい?」


 二人の笑い声が、静かな部屋に広がった。

 

 (……ああ、ようやく分かった。弟が本気になった理由が。彼女は、可憐さだけではなく、その心で人を惹きつける。気づけば僕まで引き込まれそうになっている。あぶないな――ここで帰ろう)


ふっと、僅かな笑みが溢れる。胸の奥に、熱く静かな共鳴が残っていた。


「ありがとう。……こんなふうに心から語り合えたのは、久しぶりだ」


 やがて立ち上がり、窓から差す光を背にして、彼は静かに告げた。


「――さて、そろそろ時間だ」


 言葉を探し、一瞬だけ逡巡する。

 ルイスをよろしく、と言い掛けたが――

 しかし別の言葉に置き換える。


「……レイザルト侯爵、そして……ニナ嬢。国を頼む」


 深く一礼し、扉を後にした。

 

 第一王子殿下……これまで派閥の壁があって、誤解していたのかもしれない。私の言葉を真摯に聞いてくださった。あの方は、立場を超えてルイスと同じ未来を望んでおられるのかも……。


静けさの戻った部屋に残されたニナは、胸の奥で熱い余韻を抱きしめていた。


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