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第33話 認められし厄災

重厚な会議室に、石のように冷たい沈黙が満ちていた。

高い天井には、古い竜紋の彫刻が刻まれている。

ここはかつて、銀竜――すなわち竜神を国祖として祀る、信仰の中枢として築かれた場所でもあった。


当主マルセロ・グラシエラは、手にした報告書を机に打ちつけ、低く告げる。


「……暗殺は失敗だ」


乾いた音だけが、会議室に残った。


「――生きている」


淡々とした補足。

それこそが、この場における“失敗”の定義だった。


空気が、張りつめる。


沈黙を破ったのは、教会派を束ねる老司祭だった。

白い法衣の奥で、指が杖を強く握りしめられている。


「だが――確証は得た」


老いた声が、静かに、しかし断定的に響いた。


「ユリア王女は、やはり黒竜だ。

覚醒は、疑いようがない」


重臣たちの間に、わずかなざわめきが走る。

何人かは、目を伏せた。


(――この結果を得るために、どれほどの禁を踏み越えたか。

マルセロたちは、その名を決して口にしなかった。)


その脳裏に、一瞬だけ影がよぎる。

夜に消えた者たち。

名も残らず、命だけを置いていった暗殺者たち。


忠誠は確かだった。

技量も、覚悟も。


――無駄死にではない。

そう定義しなければ、次へ進めない。


マルセロは、その思考を感情ごと切り捨てた。

死者を悼むのは、決断を終えた者の特権だ。


そして、もう一つの名が浮かぶ。


キリウス。

理想を語り、子を隠し、政治に使うことを嫌った王。


強い疑念は、以前からあった。

そして彼らは、先王キリウスを事故に見せかけて排し――

その代償として、黒竜を手に入れたのだ。


マルセロは視線を伏せなかった。

正しかったかどうかを考えること自体が、

すでに贅沢なのだと、彼は知っている。


選んだ以上、意味を与え続けるしかない。



老司祭は、続ける。


「聖典は明確に告げている。

銀竜こそが、この国〈アヴェルシア〉の祖であり、守護神。

王家の血は、竜神より分かたれた“神の系譜”である」


声が、わずかに低く沈む。


「黒竜は、それに仇なす存在。

人の世を滅ぼす“影”だ」


視線が、重臣たちを射抜いた。


「慣例どおり、抹殺すべきである」


杖が、床を強く打つ。

空気が、ぴり、と張りつめた。


即座に、実務派の重臣が冷笑を浮かべ、口を開く。


「……慣例、か」


肩をすくめる。


「だが現実を見よ、司祭殿。

あの力を前にして、剣も軍も意味をなさぬ」


机に指を置き、ゆっくりと続けた。


「完全な覚醒を遂げた黒竜を、我らは止められぬ。

排するか、使うか――選択肢は二つしかない」


重臣たちの視線が集まる。


「そして、排除が不可能なら……答えは一つだ」


「……管理、だ」


老司祭が眉をひそめる。


「管理、だと?」


「民は黒竜を恐れている。

だが――教会が“認めた黒竜”であれば、話は別だ」


低く、現実的な声。


「“神の監督下に置かれた災厄”。

そう定義すれば、民は納得する。」


「愚かしい……!」


老司祭が吐き捨てる。


「人が、神罰を御するなど。

それは統治ではない。傲慢だ」


そのとき、厳格な保守派の老貴族が、静かに口を開いた。


「……待て」


一同の視線が集まる。


「黒竜を縛るという発想そのものが、危険だ」


慎重に、言葉を選ぶ。


「竜の力を操る者が実権を握る国――

それは、王が治める王国ではない」


「竜を持つ者が、王となる国だ」


沈黙。


「たとえルイスが王太子となろうとも……

黒竜の処遇を決める者こそが、真の実権を握る」


老貴族は、当主を見据えた。


「それは、王国の根を腐らせる」


一瞬、空気が凍りつく。


だが、その沈黙の底にあったのは、理想ではない。

――恐れだった。


改革派は、すでに力を持ちすぎている。

このままでは、王権の名のもとに、教会も古き貴族も切り捨てられる。


老貴族は、低く続けた。


「……だが」


視線が、老司祭へ向く。


「黒竜が、“教会に認められた存在”であるならば……話は別だ」


老司祭の指が、杖を強く握り直す。


「神に祝福された存在ではない。

だが――神に否定された存在でもない」


苦い言葉だった。


「“管理される災厄”として位置づけるならば……

教会は、沈黙できる。」


それは信仰の勝利ではない。

権力を失わぬための、妥協だった。


老貴族が、静かに頷く。


「狡猾なレオニス王には情があるだろうが、黒竜を利用したがっているはずだ。

その正体を隠し続けた以上、排除は選ばぬ」


「ならば――我らが先に、枠を作る」


「王は象徴として立つ。

改革派は表で喝采を浴びる」


「その裏で――

黒竜を縛る定義と管理権を、教会と我らが握る」


沈黙が、ゆっくりと肯定へ変わっていく。


そのすべてを、

マルセロ・グラシエラは、感情のない瞳で見下ろしていた。


「それでいい」


静かな一言が、会議室を制圧する。


「改革派は勢いづく。

王も、黒竜を手に入れる」


一拍。


「そして我らは、“黒竜を認めた者”として、

権力の中心に残る」


唇が、わずかに歪んだ。


「誰も損はしない。

……黒竜と、その鎖を除いてはな」


当主は、報告書の一箇所に指を置く。


「庭園での件だ」


淡々と告げる。


「完全な暴走寸前。

雷、黒翼、威圧――」


指が止まる。


「だが、一瞬で収束した」


誰も、口を開かない。


「剣でも、命令でも、祈りでもない。

ただ――“声”が届いた」


名は出されない。

だが、理解は行き渡った。


「偶然ではない。カイロスが、策もなく置くわけがなかろう」

「……制御に関わる因子か」


マルセロは静かに続ける。


「確証はない。

だが、黒竜は“誰かの影響下にある”」


「完全な覚醒の途上だ。

意志も力も、なお定まっていない」


唇が、わずかに歪む。


「この段階でしか、外から手を伸ばす余地はない」


そして、冷酷に結論を下した。


「その因子は、消すな。

人質ではない。だが――離すな」


「守れ。囲え。管理しろ」


誰も、異を唱えなかった。


――黒竜を制御し得る“鍵”。


それが人であるならば、

竜よりも脆く、

竜よりも扱いやすい。


こうしてグラシエラ家は、

暗殺の失敗を、新たな策へと転じる。


黒竜を恐れ、

黒竜を利用し、

そして――


黒竜を繋ぎ止める存在へと、

静かに狙いを定めた。


王国の実権を、

決して手放さぬために。

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