第27話 雷光と毒夜と、シオンの告白
毒に侵されながらも、ニナは必死に子どもたちを導き、一人ひとり地下室へ押し込む。
小さな手がしがみつくたび、胸の奥に焼ける痛みが走った。
扉を閉ざし、何度も点呼を繰り返し――ようやく全員の無事を確かめた。
視界の端が揺れ、耳の奥で高い耳鳴りがじんじんと響く。
毒のせいか、子どもたちの泣き声すら遠く、かすれて聞こえた。
(よかった……でも、さっきの悲鳴……まだ外に誰かが――)
ふらつきながら再び外へ出る。
毒が全身を回り、指先は氷のように冷え、息は荒く、途切れがちだった。
だが――心だけは折れなかった。
そのとき。
柱の影から覗き込む魔物の眼が、ぎらりと光った。
涎を垂らし、鉄錆の臭気を漂わせながら、子どもたちの潜む地下室を探っている。
「……っ!」
胸の奥を鷲掴みにされるような恐怖に、ニナは思わず壁を背にした。
もう足は言うことをきかない。
(ここで倒れたら……みんなが食べられる……!)
影から飛び出した魔物が牙をむく。
倒れかけた身体に、黒い影が迫る――。
その瞬間――
雷鳴が、夜を裂いた。
耳を貫く轟音とともに、白熱の閃光が孤児院の窓を満たす。
稲妻をまとった剣が天より振り下ろされ、
魔物の巨体は、一瞬で両断されていた。
灼け爛れた肉片が床を打ち、焦げた臭気が広がる。
さらに奔った雷光が、群れ寄せる怪物たちを次々と弾き飛ばした。
闇を切り裂く光の嵐――。
あまりの眩しさに、ニナは思わず腕で目を覆う。
そして稲光の向こうに“彼”の姿を認めた瞬間――胸が跳ねた。
(……シオン……!)
「ニナ!」
稲光を纏った剣で魔物を蹴散らしながら、
シオンは 倒れかけたニナへ一直線に駆け寄る。
剣は血に濡れ、肩で息をしながらも、
その瞳には怒りと焦燥――そして、失うことへの恐怖が同時に激しく燃え上がっていた。
だが瞳は幼さを残しながらも、確かに戦場に君臨する者の眼差しだった。
ニナは震える唇を開く。
「ありが、とう……。ユリア様は……?」
「大丈夫だ。無事に保護された。今は安全な場所にいる。心配はいらない」
「……よかった……」
安堵が、かすかな息になってこぼれる。
すぐに焦点の定まらぬ瞳で彼を見上げた。
「……逃げ遅れた人が、いないか……確認して……」
「今は君の手当が先だ!」
ニナは弱々しく首を振る。
「お願い……子どもたちも……みんな……」
その途切れがちな声の奥に、揺るがぬ意志があった。
――自分の命よりも他者の無事を優先する、その生き方が。
シオンの胸を突き刺した。
「……ニナ……」
彼は苦悩に顔をゆがめ、唇を強く噛みしめ――やがて無言で頷く。
地下室の入口の影に寄り添わせるように彼女を横たえ、
マントで小さな身体を包む。
指が一瞬だけ、名残惜しそうに頬に触れた。
そして剣を握り直し、咆哮する群れへと身を投じた。
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稲光をまとった刃が夜を裂き、怪物を焼き払い、恐怖をねじ伏せていく。
泣き叫ぶ民を地下へ導き、倒れる者があれば肩を貸し、背負い――守り抜く。
すべてが終わったとき、彼は息を切らしながら真っ先にニナの元へ戻った。
紫に染まりかけた唇を見た瞬間、胸の奥が凍りつく。
「……毒……!? 時間がない……」
王宮に戻る余裕はない。
竜の濃い血だけが毒を祓える――唯一の賭けだった。
焦燥が、彼の全身を支配した。
シオンはニナを抱きかかえ、戦火を縫うように街を駆け抜ける。
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煤けた宿の一室。ランプの柔らかな光が揺れ、壁に寄り添う影が二つ。
彼はためらいなく掌を裂き、滴る血を彼女の唇に触れさせた。
数時間、何度も。
そのたび、彼の前腕に黒い紋が滲み、
竜の鱗めいた光沢が一瞬だけ覗く。
まるで“覚醒”を求めて脈打っているかのように。
「……頼む……これで……生き延びてくれ……」
ニナは荒い息を吐き、夢の中から名を呼んだ。
「ユリア様……!」
夢の中でも現実でも、
まず浮かぶのはユリアの安否。
無事でいてほしい――その祈るような気持ちが、かすれた声になって漏れた。
その瞬間、シオンの胸は熱くなった。
――苦しみのさなかでも自分を呼んでくれる。
――ただそれだけで、救われた。
シオンは彼女をそっと抱き寄せ、かすかな震えを押し隠すように囁く。
「大丈夫、ニナ……私はここにいる」
だが次の瞬間。
「……ルイス……」
その名が、彼女の唇からこぼれた。
一瞬にして、喜びは胸を裂く痛みに変わった。
焼けつくような痛みが胸の奥で暴れ、
シオンの腕の黒い紋がさらに濃く脈動した。
握る手に力がこもり、瞳の奥に切なさが滲む。
だがそれを顔には出さず、彼はただ汗を拭い続けた。
震えるニナの指先が彼の袖を掴む。
「……こわい……」
シオンはその手を握り返す。
彼女の呼吸がひどく弱い。
その温もりが消えてしまうことが――恐ろしくて仕方がなかった。
その手を包み込み、決して離さない。
――どうか……俺の手から、離れていかないで。
君がいない未来なんて、考えられない。
胸の奥で押し殺してきた思いが、もう堰を切っていた。
言葉にしたら壊れる。
望んではいけない。
だから、何度も飲み込んできた。
それでも――
この瞬間を逃したら、二度と届かない。
「……愛している」
抑えきれぬ真実。
祈り、願い、
すべてが一つになった声だった。
確かに心からの告白だった。
しばらくして、ニナの瞼がわずかに開き、
その唇が、かすかに弧を描く。
弱々しく――それでも確かな微笑み。
彼女が告白の言葉を聞いたのか、告白に応えたものかは分からない。
けれどシオンには、その微笑みが世界でいちばん尊い答えに思えた。
ニナは再び瞼を閉じ、深い眠りへと沈んだ。
夜明けまで、シオンは彼女を胸に抱き、
祈るように見守り続ける。
切なさと慈しみが溶け合う――
静かで深い、ふたりだけの夜だった。




