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第26話 王都襲撃──蒼き騎士団と毒刃の影

 五月の陽光が穏やかに降り注ぐ昼下がり――その明るさは、かえって街の陰を際立たせていた。

ニナは市街視察に訪れていた。その隣には、王女ユリアの姿もあった。


「――ここが、孤児院……」


ニナは足を止め、煤けた石造りの建物を仰ぎ見た。王宮の光に包まれた日々を送る彼女にとって、この景色は胸を刺すように痛かった。


本来は教会の加護を受けるはずの施設だと聞いていたが、壁には補修の跡もなく、窓枠は歪み、祈りの象徴であるはずの紋章さえ色褪せていた。


「守られるべき場所が、どうしてこんな……」


大きな籠に詰め込まれた食料を運び込み、子どもたちに分け与える。

小さな子を膝に抱き寄せ、微笑みながら一口ずつ食べさせながら、ニナは心の奥で何度も謝っていた。


 (私は何不自由なく暮らしているのに……この子たちは飢えている。

 ごめんなさい。でも――だからこそ、見捨てるわけにはいかない)


破れた靴を履き、痩せた頬を紅潮させながらも笑顔を浮かべる子どもたち。

その笑顔は、まるで風に吹かれれば消えてしまう灯火のように儚かった。


「市井を見よ。民の声を聞け」――それはカイロスから与えられた課題だった。

王都の王族による公式な視察は本来なら容易には許されぬ。だが今回は、ユリアの強い願いと、カイロス侯爵の働きかけにより、特別に孤児院訪問の許可が与えられていた。


ニナにとっては、それは切実な願いでもあった。

王都に初めて足を踏み入れた折、路地に蹲る痩せた子どもを助けられず、ただ胸を痛めることしかできなかった。

その悔恨は、今も棘のように心に刺さり続けている。


だからこそ――自分にできることを探さなければならない、と。


孤児院と連携し、貧しい家庭の子どもを一時的に預かり、親には働き口を斡旋する仕組みを作れないか――小さな制度の芽を、彼女は静かに動かし始めていた。



その想いは、隣に立つユリアにも伝わっていた。王宮で甘やかされるだけではなく、民の声に耳を傾けたい――彼女が「孤児院を訪れたい」と願ったのは、ニナの姿に影響を受けてのことだった。王女として学ぶべきものを、ニナと共に見出したい。ユリアの胸にもまた、密かな決意が芽生えていた。


 ユリアは乳児を抱きあやしながら、わざとおどけた顔をして、周囲の子どもたちを笑わせていた。その笑い声に囲まれながら、彼女は自分が果たすべき務めを何なのか考えていた。

ニナはその様子に胸が熱くなり、目が潤んだ。


「いかがなさいましたか」

従者が小声で問いかける。


「……ごめんなさい。でも、どうしても確かめたかったの。

 改善の道を探すために」


その言葉を聞いたユリアは、そっとニナの手を取った。


「大丈夫。あなたがいるから、きっと変えられるわ。私もいるでしょ」


ウィンクを添えた囁きに、ニナの胸が温かく満たされた。



突如、地の底から呻くような轟音が奔り、石畳が軋んだ。孤児院の窓が次々と砕け散る。


「まさか……侵入を、許した……?」


街に現れたのは魔物だった。兵士の動揺を引き裂くように、黒ずんだ鱗をまとい、爪で石畳を削りながら腹を空かせた魔物が、人を喰らうかのように群れをなして襲いかかった。


本来なら周辺の魔物は、貴族の魔力と街の警護装置によって早期に察知されるはずだった。

だが近年、血脈の衰えとともに魔力は弱まり、教会と一部貴族による資金の横流しで、警備も監視も形ばかりのものへと堕していた。


逃げ惑う人々の奔流が路地を埋め、血と煙の匂いが鼻を刺し、恐怖の悲鳴が響き渡る。

子どもたちは泣き叫び、母親は我が子を抱え必死に走る。



「――怯えるな! 隊列を組め!」



その瞬間、街角から鋼の光と威厳が一挙に差し込む。


ルイス率いる王国騎士団の精鋭たちが整然と駆け込み、槍の穂先を揃えて魔物に立ち向かった。


「王国騎士団だ!」

「蒼翼隊だ!」


民の口から安堵の声がもれる。恐怖で震えていた子どもが、列をなす騎士たちを見上げ、その瞳に初めて小さな希望の光を宿した。


槍が地を叩き、統一された掛け声が響く。盾と槍が一体となった鋼の壁が市街の路地を覆い、魔物の群れを押し返す波となる。

爪や牙が盾を叩き割ろうと軋むたび、槍が突き出され、黒い体を貫いた。石畳が割れ、瓦が崩れ、戦場は恐怖と秩序のぶつかり合いで震えた。


 そして、


 戦場に圧倒的光が差した。


 白馬と銀鎧をまとった第二王子ルイス。

その姿は、混乱のただ中で際立つ存在だった。


「我に続け!」


 馬上からの澄みきった号令に、騎士団の意志がひとつに束ねられる。


(……間に合え。ひとりでも多く。

 あの人のもとにも――必ず)


その呟きは、戦場の喧騒に溶けるほど小さかったが、ルイスの双眸には揺るぎない決意が宿っていた。



ルイスの蒼の剣が閃くたび、水流がその刃に沿って奔り、魔物の群れを押し流す。さらに次の一撃では、水流の中に蒼い炎が混じり合い、蒸気と青白い閃光を爆ぜさせながら魔物を焼き裂いた。

吹き飛ばされ、なお動く魔物の四肢は、追撃の氷が瞬時に絡みつき、地面ごと凍りつかせる。


水しぶきと蒼炎、氷の破片が乱舞する中、黒い影は次々と崩れ落ちる――その光景は、まさに戦場に降り立った英雄の舞そのものだった。

馬のたてがみをなびかせ、剣を振るうたび、民衆は歓声を上げ、騎士たちは恐れを忘れて前進する。


隣でアレクシアは紅蓮の槍を振るう。炎槍が魔物を貫き、飛び散る火花が瓦屋根に落ちて小さく爆ぜる。

さらに彼女が大きく薙ぎ払うと、槍先を起点に烈風が生まれ、炎を纏った熱波となって戦場を薙ぎ払った。


風に乗って加速した炎は、避けようとした魔物の退路ごと断ち切り、灼熱の壁となって押し潰す。

熱風に髪をなびかせ、毅然と立つその背に、民はまるで炎と風を司る女神が戦場に降臨したかの幻影を見た。


その間を縫うように騎士団が列を保ち、槍を突き、盾で攻撃を受け止め、弓兵が矢の雨を降らせる。負傷者を抱えながらも戦列を離れぬ者、仲間を庇って盾を掲げる者――名もなき騎士たちの奮戦こそが、英雄ルイスを支えていた。


水と炎、氷と風――

ルイスの剣が生み出す蒼の奔流と、アレクシアの紅蓮と烈風が互いを際立たせ、蒼・紅・白の光が市街に交錯する。

飛び散る水しぶき、蒸気、氷片、火花が戦場を鮮烈な舞台へと変え、五月の陽光がそれをさらに照らし出した。


民は恐怖の中に希望を見た。

街のあちこちで息を呑んでいた人々が、兵の姿に目を見開く。


「助かった……」

「王子殿下、騎士団が来てくれた!」


逃げ惑っていた足が止まり、幼い子どもが母の袖を握りながらおずおずと顔を上げる。



――この昼、守るべき民が初めて「守られた」と実感した瞬間だった。

精鋭王国騎士団の到来は、人々の胸に揺るぎない灯をともすとともに、その勇姿を記憶に深く刻みつけた。



***


 その頃――


孤児院の子どもたちの悲鳴が鳴り響いた。

天井の梁が軋み、粉塵がぱらぱらと降り注ぐ。

ニナは思わず両腕で幼子をかばい、振り返った瞬間、窓の外にぞっとする影がうごめいた。


――それは、獣のものとも竜のものともつかぬ醜悪な姿だった。ぬらりと濡れた黒皮に、眼窩の奥でぎらぎらと橙光が燃える。割れた窓枠に巨大な頭部がねじ込まれ、飢えた瞳が室内を舐めるように走った。


(怖い。でもニナを泣かせたくない。みんなを守りたい。なら、迷っている暇はない――!)

ユリアが身を翻し、鋭く声を放つ。


「ニナ! 私が奴の注意をひく。その間に子どもたちを避難させて!」


「ですが、ユリア様――」


「心配はいらないわ。私が強いって、あなたが一番知ってるでしょう?」


その瞳に宿った決意の強さに、ニナの心が動いた。


「……わかりました。どうかご無事で。またあとで必ず!」


「必ず戻るわ!」


ユリアは微笑を一瞬だけ残し、瓦礫の舞う中へと駆けていった。


その背を、祈るような想いで見送った。


その混乱の最中――


「こちらへ!」

従者が手を伸ばす。


だが次の瞬間、冷たい刃が左腕をかすめた。刃先に仕込まれた毒が、焼けつくように流れ込む。

冷えが血管を這い、視界がかすみ、体は膝から崩れ落ちる。


(……何……? なぜ、こんな時に……)


呻く間もなく地面が迫る。閃いた刃がかすり、冷たい毒が血流に走る。

焼けるような痛みと共に力が抜け、視界が揺らいだ。


(怖い……苦しい……でも――

 私より弱い子どもたちを、絶対に見捨てない。

 大人の私が立たないで、誰が守るの?)


 ニナは、悲鳴ではなく――

かすれた声で願いを託した。


「子どもたちを……地下室へ!」


その声は震えていた。

けれど、確かに――誰よりも強かった。

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